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38.秘密の扉(3)


「ローゼ、アンがやられた」


 エリック様が、抱えていたアンを机の上にそっと置いた。アンの白いシャツがざっくり切られ、真っ赤に染まっている。アンから流れ出す血は机さえ赤色に染めていく・・・・。


「なぜ・・・?」


 私は、ふらふらっとアンのそばに近寄った。血の気のない土色をしたアンの頬を撫ぜる。頬を撫ぜているというのに氷のように冷たい。撫ぜる手が震える。喉の奥がひりつく。視界がぼやける。


「早く手当てを。かなりの血を流している」


 エリック様の声が遠くで聞こえる。

 

 耳元で心臓のドクドクという音がぐわんぐあん響いて、顔が熱い。心臓の音がうるさい。呼吸ができない。私は首元を押さえてうずくまりそうになった。・・・・不意に私は背中からふわっと温かいものに包まれた。


「・・・・ローゼリア、お前ならできる」


 耳元で聞こえた優しい低い声が、ぐあんぐあん響いていた私の心臓の音に重なる。


「大丈夫だ。アンは助かる。お前にはアンを助けられるだけの力がある」


 私にアンを助けられる力がある? 耳元で聞こえた優しい低い声が魔法のように私の中にしみ込んできた。

 私に出来ることと言えばクロッシェを編むことだわ。クロッシェを使えば・・・・。

 

 『私はさっきまで治癒作用のあるクロッシェを編んでいたわ。それを使えばアンを治すことが出来る』

 

 すとんと心の中に、気持ちが落ちてきた。・・・・手の震えも心臓のドクドクという音も消えた。


 一度目をぎゅうっと瞑ってそれから目を開けると、私の腕にエリック様の手が置かれている。耳元にはエリック様の顔がある。この温かさって、エリック様に抱きしめられていたの???

 男の人に後ろから抱きしめられるなんて、小さい頃ジュドお兄様にされたくらいよ! 恥ずかしい!! 


「・・・・エリック様、離れてください」


 なるべく平静を装って、エリック様に声をかけた。

 エリック様は私の頭を軽く撫ぜると、私からそっと離れた。


「・・・・よかった。もとにもどったな。薬草はどこだ? 俺が取ってこよう」

「いえ。クロッシェを使って治癒をします」


 私は、自分が座っていた椅子の横に走った。来路花と万年朗で編んだクロッシェがある。それをそっとアンの背中に置いた。あっ・・・・。・・・・・クロッシェが傷にくらべて小さい。これでは、背中の傷を半分も覆うことが出来ていない。


「・・・・足りないのか・・・」


 エリック様が呟いた。


「ええ・・・。魔方陣を使って作用範囲を大きくしようと思いますが、これでは、私の魔力量だけでは足りません。・・・・・やはり、薬草を取ってきます」


 私は、薬草室に来路花と万年朗を取りにもどろうと、視線を扉の方に向けた。エリック様が私の腕を押さえて「待て」と言った。


「魔方陣を展開する魔力だけでいいか? 俺は、治癒魔法は不得手だが魔力は沢山持っている。補助しよう」

「・・・・ありがとうございます。・・・・それでは、今から書く魔方陣を上書きしてください」

「わかった」


 以前、銀食器の『洗浄』魔法を行う時に、作用範囲を大きくする魔方陣を教わった。それを応用して、今回は『洗浄』魔法ではなくて『治癒』魔法を行う。

 私は、アンの背中の上のクロッシェに、作用範囲を大きくする魔方陣を描いた。エリック様が自分の魔力を込めながら私の書いた魔方陣を上書きしていく。淡い金色だった魔方陣の線が太くしっかりしたような気がする。よし、これなら大丈夫そうだわ。


 私は『治癒』魔法を唱えた。最初、手のひらくらいだった小さな魔方陣は、ぼおっと光りながら次第に大きくなりアンを包む。そして、まばゆい光を放つと、ふっと消えた。


 光が消えると、横たわっているアンが現れた。傷跡もついていない。綺麗な背中に戻った・・・・よかった。血の気がもどってきたようで、アンの頬が桃色になっている。

 初めて使ったクロッシェの『治癒』魔法。ふう。うまくいってよかった。


「ありがとうございました。おかげで、作用範囲を大きくすることができ、アンの傷を治すことができました」


 私は、エリック様にお礼を言った。エリック様は無言でじっとアンを見ている。破れたシャツから見えるアンの背中は、私がみてもぞくっとするくらい煽情的だ。もしかして、見惚れている?


「・・・・エリック様?」

「・・・ああ・・・」


 エリック様がかすかに頬を上気させている。


 来路花と万年朗のクロッシェを使った『治癒』魔法は、傷を綺麗に治すことが出来た。でも、傷を治すことはできても服には血がこびりついて破れたままだったし、机の上の血だまりはそのままだった。私は、あわてて、『洗浄』の魔法をかけようとしたけれど、対価になるものがなかった。困った。

 エリック様は相変わらずアンに釘付けだ。よからぬ妄想をしているのかしら? だとしたら、このままではいけない。私は少し大きな声でエリック様に声をかけた。


「・・・・エリック様、アンにかける毛布を持ってきます」

「あ? ああ・・・そうだな」


 エリック様は少し視線を彷徨わせるとポケットから魔石を取り出した。そして、『洗浄』の魔法を唱えた。

 

「・・・・ありがとうございます。催促したようで申し訳ありません」

「ああ。構わない。俺こそ気がつかなかった。それより・・・・」


 エリック様はぶつぶつ言いながら、アンを見ている。エリック様が『洗浄』をしてくれたことで、アンの服も机も綺麗になった。綺麗になったが、相変わらず、服は破れたままだった。


「やはり、アンにかける毛布を持ってきます」

「・・・あ? ・・・・ああ。俺のコートを貸そう」


 エリック様が自分の青いロングコートを脱いだ。珍しくコートのあちこちが汚れている。エリック様もそれに気が付いたようで、自分のコートにも『洗浄』をかけた。そして、アンにコートをかけると、椅子にどかっと座った。エリック様にしては珍しい。そう思ってエリック様を見ると、あきらかに疲労の色が見える。今までアンのことで頭がいっぱいでエリック様のことまで気が回らなかったわ。自分の不甲斐なさを反省。


「エリック様、あの・・・」


 私が口を開けかけた時だった。


「・・・う・・・う・・」


 アンの長いまつげが微かに揺れた。


「・・・アン?」


 私は咄嗟にアンの名前を呼んだ。


「・・・おじょう・・・さま・・・?」

 

 アンは、手をつき顔を持ち上げて私を探そうとした。けれども、力がはいらず、そのままぺたんと崩れてしまった。私はあわてて、アンの手を握った。温かい。よかったぁ。私はアンの手を持ったまま、へなへなっと崩れてしまった。


「よかったぁ」

「・・・・お嬢様?・・・・お嬢さま、大丈夫ですか?」


 アンが慌てて、机の上で手をついて起き上がった。


「大丈夫よ。ちょっと安心しただけ」

「私は・・・?」

「エリック様がここへ運んでくださったの。治癒魔法をかけたわ。もう大丈夫?」

「ちょっと、くらくらしますが、大丈夫です!!」


 アンが慌てて机から降りけれど、「あっ」と言ってへたり込んでしまった。


「無理をするな。血を多く流したのだから、まだ休んでいた方がいい」

 

 椅子に座ったままエリック様が声をかけた。


「そうよ。エリック様の言う通りだわ」


 私はアンの手をとると近くの椅子に座らせた。そして、アンが起きた時に落ちたエリック様の青いコートをアンにかけた。


「でも、私はお嬢様・・・・」

「大丈夫よ。アン。無理しないで。今、羽織るものを取ってくるわ」


 アンの顔がくしゃっとなった。私は、にっこり笑って、アンを抱きしめると、寝室に服を取りに行った。アンの服はよくわからなかったので、自分の上着を持ってきた。

 戻ってみると、アンがぽろぽろ涙を零している。


「どうしたの? アン?」

「・・・・ポシェットがないのです!! お嬢様に頂いた大事なポシェットがないのです!!」


 アンが私が作ったポシェットをとても大事にしていてくれることは知っていた。「また、作ればいいわ」と簡単に言うこともできず、私は、ぎゅうっとアンを抱きしめた。そして、アンが泣き止むまで、抱きしめ続けた。

 ひとしきり泣いたアンは、私に涙をふかれて、照れたように笑った。もう大丈夫? 


 私は、断り続けるアンに私の上着を着せ、エリック様に青いロングコートを返した。


「ポシェットは、残念だったけれど、私は、アンが生きていてくれただけで嬉しいの・・・・」


 パタンと入り口の扉が開いた。


「・・・・・ポシェットならここにある」


 声がする方を向くと、入り口の扉のところにルーカス様が壁に寄りかかっていた。青い制服は破れ、髪もぼさぼさで、見るからに満身創痍な姿だ。けれども、左手にはアンのポシェットを握っていた。


「・・・・ルーカス様」

「すまない。赤いボタンを犠牲にした」


 ルーカス様がアンに近づいてきたので、私はアンの背中側に立った。ルーカス様は、そっとアンの膝の上にポシェットを置いた。


「ルーカス様、ありがとうございます。ありがとうございます。・・・ああ・・・よかった」


 アンはポシェットを抱きしめて、また、ぽろぽろと涙を零した。


「・・・しかし・・・」


 ルーカス様は赤いボタンのことを悔いているのだろう。アンの感謝を素直に受け止められないのか、下を向いている。真面目な性格の方だわ。「気にしなくていい」と言おうと口を開けかけた時、アンが顔を上げた。


「いいえ、お気になさらないでください。ルーカス様には感謝しかありません」


 アンは、指でそっと涙をふくと、ルーカス様に笑いかけた。ルーカス様もはにかんだような笑顔を返した。


「わかった。気持ちを受け取ろう」

「私のほうこそご迷惑をおかけしました。ルーカス様、その・・・お体は大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」


 ルーカス様は「問題ない」と言って立っているけれど、私が見てもルーカス様の顔色は悪い。


「しかし・・・・」


 アンが言い淀んだ。アンの言いたいことがルーカス様にもわかったらしく、少し照れたような顔をした。


「・・・・ああ、回復薬を飲もう」


 ルーカス様がベルトのところから、小さな小瓶を取り出してみせた。騎士は、いつも回復薬の小瓶を常備しているのね。私の視線に気が付いたのか、ルーカス様が照れたように笑った。


「レッドウルフの件以来、持ち歩くようにしているのだ。宵の杜は魔物も多く、何が起こるかわからないからな」

「そうですね。・・・・今回は、いったい何があったのですか?」


 私はルーカス様に、エリック様の横に座るよう促した。


「俺らも、アンが襲われているところに来たので、詳しいことは知らない。アン、話をすることができるか?」


 エリック様とルーカス様がアンを助けてくれたのね。よかった。


「はい。みなさんのおかげで、だいぶ元気になりました。着替えをしてお茶の支度をしてきます。それから、お話します」




ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回は、アンの話です。


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