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包丁と女子高生  作者: NAAA
本編
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8/12

ニートとゲーム

 部屋の隅で何かが動いた気がして、俺はぼんやりとした視線をそちらへ向けた。


 昼過ぎだというのにカーテンは半分ほど閉じられたままで、差し込む光もどこか弱々しく、薄暗い室内には昨夜からつけっぱなしだったパソコンの駆動音だけが低く響いている。机の上には飲み終えたペットボトルやコンビニ弁当の空き容器が積み重なり、床には脱ぎ散らかした服やゲーム雑誌が転がっていた。窓を開ければ多少は風も入るのだろうが、真夏の熱気を想像するとその気力すら湧いてこない。


 そんな部屋の壁際を、黒い影が素早く横切った。


「……ゴキブリか」


 思わず声が漏れる。


 その影は冷蔵庫の裏へ逃げ込むように消えていった。


「くそ……掃除してないからかな」


 立ち上がろうとして、やめた。


 面倒だった。


 それに、どこかで妙なことを考えてしまったからだ。


 ゴキブリ。


 誰からも嫌われる虫。


 見つかれば潰される。


 それでも生きるために走り回り、食べ物を探し、必死に生き延びている。


 そう考えると、なんだか自分の方が情けなく思えてきた。


 俺は大学を卒業した。


 それなのに働いていない。


 毎日家にいて、求人サイトを眺めては閉じ、履歴書を書いては途中で投げ出し、気付けばゲームや動画を見て一日が終わる。


 あいつらは少なくとも生きるために動いている。


 俺はどうだろう。


 ただ時間だけを消費しているんじゃないか。


 そんなことを考えているうちにゴキブリは完全に姿を消してしまった。


「まあ……今回は見逃してやるよ」


 俺は椅子にもたれながら呟いた。


「頑張って生きろよ」


 部屋にはパソコンの駆動音だけが残る。


 その時だった。


――――あなたも。


 誰かの声が聞こえた気がした。


 俺は反射的に振り返る。


 もちろん誰もいない。


「……気のせいか」


 苦笑する。


 最近こういうことが増えた気がする。


 人と話す機会が減ったからかもしれない。


 大学を卒業してからというもの、友人と会うこともめっきり減ってしまった。


 皆それぞれ働き始めている。


 忙しいのだろう。


 連絡しようと思えばできる。


 だが、今の自分から連絡するのはどこか気が引けた。


 近況を聞かれたら困るからだ。


 何をしているのか。


 働いているのか。


 将来はどうするのか。


 そういう話題になるのは目に見えている。


 そしてそのどれにも、胸を張って答えられない。


「はあ……」


 自然とため息が漏れる。


 窓の外では蝉が鳴いていた。


 ミンミンゼミだろうか。


 昔、高校の同級生に蝉に異常に関心を持っていた友人を思い出す。


 健二。


 あいつ今何してるんだろうな。


 そんなことを考えながら椅子を回転させる。


 部屋の天井を見上げる。


 何もすることがない。


 いや、正確にはやるべきことはある。


 就職活動だ。


 だが今は考えたくなかった。


 現実というやつは、時々ゲームのラスボスより厄介だ。


「あー……暇だな」


 口に出すと余計に虚しくなった。


 するとふと思い出す。


 大学時代の友人が勧めてきたゲームのことを。


 確か数週間前だったか。


 飲み会の帰りにやたら熱く語っていた。


 無料。


 オンライン。


 人生で一番面白かった。


 そこまで言うならやってみる価値はあるかもしれない。


「そうだ」


 俺は身体を起こした。


「暇つぶしにはなるだろ」


 パソコンの前に座り直し、送られてきていたURLを開く。


 するとブラウザが切り替わるより先にニュースサイトの画面が目に入った。


 何気なく視線を向ける。


 その瞬間だった。


 俺の動きが止まった。


――――〇〇県✕✕市△△町の民家で白骨死体発見。


「……は?」


 思わず声が漏れる。


 見慣れた地名だった。


 俺の住んでいる町だ。


 しかも写真まで掲載されている。


 どこか見覚えがある。


「なんだこれ……」


 記事を開く。


 読み進める。


 そして数秒後、俺は椅子から転げ落ちそうになった。


「嘘だろ……」


 記事に書かれていた人物名。


 経歴。


 勤務先。


 その全てに見覚えがあった。


「先生じゃねえか……」


 高校時代の担任ではない。


 だが三年間ずっと国語を教えていた教師。


 女子から妙に人気があった男。


 突然失踪した男。


 俺達の高校生活の風景の中に確かにいた人間だった。


 あの先生が白骨死体になって見つかった。


 それだけでも十分衝撃的だった。


 だが問題はそこではない。


 記事の下に掲載されていた民家の写真。


 少しぼやけていた。


 それでも俺には分かった。


 見間違えるはずがない。


「……健二の家だ」


 高校時代に何度も遊びに行った。


 夏休みも冬休みも関係なく入り浸った。


 縁側でアイスを食った。


 ゲームをした。


 くだらない話をした。


 そんな場所だった。


「なんでだよ……」


 自然と呟く。


 意味が分からない。


 失踪した先生。


 白骨死体。


 健二の家。


 頭の中でそれらが結び付かない。


 窓の外では相変わらず蝉が鳴いていた。


 じりじりとした真夏の日差しが街を焼いている。


 それなのに、なぜか背筋だけが冷たかった。


 俺はしばらく画面を見つめ続ける。


 やがて記事を閉じた。


 そして大きく息を吐く。


「……今度連絡してみるか」


 一也。


 健二。


 さやかちゃん。


 高校時代によく一緒にいた面々の顔が浮かぶ。


 卒業してから何年も経った。


 それぞれ別々の人生を歩いている。


 けれど、こんなニュースを見てしまったら無視することはできない気がした。


 先生はなぜ死んだのか。


 なぜ健二の家で見つかったのか。


 知りたいという気持ちもあった。


 だがそれ以上に、久しぶりに皆と顔を合わせたいと思った。


 昔みたいに。


 ただそれだけだった。


 俺は気持ちを切り替えるように首を振った。


「まあ今はゲームだな」


 そう言ってブラウザを切り替える。


 画面にはユーザー登録ページが表示されていた。


 黒い背景。


 妙に凝ったデザイン。


 無料ゲームにしては随分金がかかっていそうだった。


 そして中央に大きく表示されている文章を見て、俺は眉をひそめる。


 そこにはこう書かれていた。


【ユーザー登録には髪の毛二万本が必要です】


「……なんだこれ」


 思わず笑ってしまう。


 冗談なのか。


 世界観の演出なのか。


 よく分からない。


 だが妙に記憶に残る文言だった。


 画面の下には二つの選択肢。


 同意する。


 同意しない。


 俺は少しだけ考えた後、何の気なしにマウスを動かした。


 そして――。


 同意する、をクリックした。



 クリックした瞬間、画面が暗転した。


 数秒ほど黒い画面が続き、やがて中央に白い文字が浮かび上がる。


【ユーザー登録が完了しました】


「早いな」


 思わず呟く。


 普通ならメール認証だの利用規約だのがあるものだが、このゲームにはそういったものが一切ないらしい。


 続いて新しい文章が表示された。


【ゲームの説明を行います。下へお進みください】


 俺はマウスホイールを回した。


 文章はどこまでも続いていた。


 まるで古い契約書か何かのように。


「えっと……」


 適当に読み始める。


【このゲームはプレイヤー自身が勇者となり、数々の強敵を打ち倒しながら世界を救う物語です】


「まあ王道だな」


 さらに下へ進む。


【ゲーム内で死亡した場合、1ポイントのお支払いが発生します】


 そこで俺の手が止まった。


「ポイント?」


 課金要素か。


 そう思った。


 だが次の文章を読んで首を傾げる。


【ポイントはプレイヤー自身の身体からお支払いいただきます】


「なんだそりゃ」


 思わず笑ってしまう。


 世界観設定のつもりなのだろうか。


 そのまま読み進める。


 すると一覧表が表示された。


【髪の毛二万本・1ポイント】


【足の小指・1ポイント】


【その他の足の指・2ポイント】


【手の指・2ポイント】


【片手・18ポイント】


【腕・90ポイント】


【足・110ポイント】


 その先も延々と続いている。


 肩。


 耳。


 目。


 肺。


 腎臓。


 心臓。


 脳。


 人間の身体のあらゆる部位に数字が割り振られていた。


「悪趣味だな……」


 思わずそう呟いた。


 だが同時に感心もする。


 こういう細かい設定を作り込むゲームは嫌いではない。


 世界観へのこだわりというやつだ。


 少なくとも安っぽさは感じなかった。


 俺はページの最後まで読み終える。


 そしてゲーム開始ボタンを押した。


     ※


 気付けば窓の外は夕暮れに染まり始めていた。


 どれほど時間が経ったのか分からない。


 ただ一つ確かなのは、俺が完全にゲームへ飲み込まれていたということだった。


「なんだよ、これ……」


 画面を見つめながら呟く。


 面白い。


 とにかく面白かった。


 グラフィック。


 音楽。


 戦闘。


 世界観。


 どれを取っても一級品だった。


 無料ゲームとは到底思えない。


 むしろ今まで遊んできた大作ゲームのいくつかより完成度が高いようにすら思えた。


 それだけではない。


 妙な没入感があった。


 キャラクターを動かしているという感覚ではない。


 自分自身がそこに立っているような感覚。


 風が吹けば草原が揺れる。


 剣を振れば空気を裂く音が響く。


 敵の咆哮が鼓膜を震わせる。


 それら全てが異様なほど生々しかった。


 気付けばニュースのことも忘れていた。


 先生の死体のことも。


 就職活動のことも。


 ニートである自分のことも。


 全てが遠くなっていた。


 今の俺にとって重要なのは目の前の世界だけだった。


「いや……これ本当に凄いな」


 独り言が漏れる。


 大学時代、散々ゲームをやり込んできた。


 有名タイトルもマイナー作品も一通り触ってきた。


 その俺が断言できる。


 これは別格だった。


 何時間もぶっ続けでプレイしているはずなのに疲れない。


 むしろ続きが気になって仕方がない。


 気付けば最初のダンジョンを突破し、最初のボスの前まで辿り着いていた。


 巨大な魔獣だった。


 今まで戦った敵とは明らかに格が違う。


 画面越しですら圧迫感が伝わってくる。


「よし」


 俺は背筋を伸ばした。


「ここは雄大様の実力を見せる時だな」


 戦闘開始。


 そして。


 三分後。


【GAME OVER】


「……は?」


 俺は固まった。


 数秒後。


「いや、強すぎるだろ!」


 思わず叫ぶ。


 完全に舐めていた。


 レベルも装備も十分だと思っていたのに、一方的に叩き潰された。


 悔しい。


 異常なほど悔しい。


 ゲームで負けたくらいでこんな感情になるのは久しぶりだった。


 俺は画面を睨みつける。


「次は勝つ」


 本気でそう思った。


 すると新しい画面が表示される。


【お支払いを行ってください】


「お支払い?」


 俺は首を傾げる。


 すると例のポイント表が表示された。


 ああ、死亡ペナルティか。


 そう理解する。


 だが内容は相変わらず意味不明だった。


【1ポイント分の身体部位を選択してください】


【100ポイント以下の部位は前払いとなります】


【選択した部位は即座に失われます】


【ただしプレイヤーはその事実を忘却します】


「設定凝ってるなあ」


 俺は笑った。


 完全に世界観の演出だと思った。


 もちろん本気で信じているわけではない。


 ゲーム内で失われるという意味だろう。


 そう解釈した。


「じゃあ小指でいいか」


 適当に選択する。


 足の小指。


 1ポイント。


 最安値だ。


 確認ボタンを押す。


【お支払いが完了しました】


「はいはい」


 俺は適当に返事をした。


 当然何も起こらない。


 痛みもない。


 変化もない。


 当たり前だ。


 ゲームなのだから。


 気付けば開始から五時間近く経っていた。


 窓の外はすっかり暗くなっている。


 腹が減った。


 朝からろくに食べていない。


「一回飯にするか」


 俺は大きく伸びをした。


 ゲームは逃げない。


 続きは後でやればいい。


 そう思いながら椅子から立ち上がる。


 身体が少し重い。


 長時間座りっぱなしだったからだろう。


 俺は台所へ向かって歩き出した。


 その時だった。


 不意に違和感を覚える。


 ほんの僅かに。


 本当に僅かに。


 身体の重心がずれたような感覚。


 靴の中に小石が入っている時にも似た違和感。


「……ん?」


 だが次の瞬間には消えていた。


 気のせいだろう。


 そう思って歩き続ける。


 そして。


 何もない場所で足がもつれた。


「おっと――」


 身体が前へ傾く。


 慌てて壁に手をつく。


 なんとか転倒は免れた。


 だが心臓は大きく跳ねていた。


「危ない危ない……」


 俺は苦笑する。


 最近運動不足だからな。


 そういうことだろう。


 大学時代はそれなりに動いていた。


 今は違う。


 一日の大半を椅子の上で過ごしている。


 足腰が鈍るのも当然だ。


「もう年かな」


 冗談めかして呟く。


 もちろん本気ではない。


 まだ二十代だ。


 年寄り扱いするには早すぎる。


 だが、なぜだろう。


 立ち上がった時の違和感だけは、なかなか頭から離れなかった。


 まるで身体のどこかが、ほんの少しだけ欠けてしまったような。


 そんな説明のつかない感覚が残り続けていた。


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