74「甘えん坊な乙環さん」
◆◇
十二月十日
放課後となり運動部の気合い入った掛け声がグランドから響くけど、それを相殺する吹奏楽部定番曲は作業BGM代わりにもなって丁度いい。
そんな俺はあるところにいた。
ここは学園の叡智が集約された場所。
古新聞とカビがミックスしたような独特の香りが支配する空間。
多少シンナーぽいインクの匂いが鼻につくけど、気にすることでもない。
窓から入り込む琥珀色の光にハウスダストが反射する。
施設の名前は図書室。
勉学を勤しむ者達のサンクチュアリー。
宿題とか授業についていけなかった時一人で悪足掻きする最後の砦。
ここで騒ぐとヒンシュクものなので、モラルと小声が必須スキルだ。
今日は図書室で授業の復習をしている。
いつもなら俺を恐れてみんな距離をとるから気まずいので利用することはそんなにないのだ。
なんだけど……異常事態発生。
「——神無月先輩って珈琲淹れている姿格好いいですよね」
「先輩の隠れファン多いです」
「ちょいワル男に憧れます」
「そ、そうか…………」
りんご亭へよく来る常連客の一年女子達。
なので無下にはできず、質問攻めに困り果てている。
今までこんなことなかったから俺は困惑気味、正直エマージェンシーと叫びたい。
しかもかっこいいとかファンが多いとか心は揺すられた。
でも、ちょいワルじゃなくて、至ってまともな陰キャラぼっち。
そこだけは訂正してくれ。
彼女達は外部進学だから噂の洗脳が軽度なのか、俺へ怖いイメージをあまり持ってない様子。
いいことなのか、悪いことなのか、ここは慎重になる。
「神無月先輩は鹿伏兎先輩と仲良さそうですよね」
「そうそう。りんご亭のコンビネーションはお見事」
「いかにもバディって感じです!」
「それは仕事だからな。仲悪かったらできないだろ?」
「確かに」
「というか鹿伏兎先輩かっこいいですよね」
「でもでも王子様のウエトレス姿は反則です! 萌えて燃えます!」
「わかるけど、結構気にしているから本人には言わないでくれ」
はーいとの返事と共に、「——皆さんごめんなさい。元気いいのはいいんだけど、ここ図書室だから静かにね」三つ編みした少女がニッコリ笑う。
「「「ごめんなさい」」」
騒がしすぎたので、図書委員の神取さんにやんわり注意。
大丈夫。
この対応はまだイエローじゃない。
神取さんは素が京都弁なのでキレるともろ恐怖なのだ。
標準語のイントネーションが微妙にズレてることを指摘したら殺されるので御注意。
ちなみに親戚で裏の情報に詳しいが正直関わりたくない。
でもメモが俺のポケットへ流れるように入る。
『雪之丞はんの周りで不穏な動きありやで。あんじょう気をつけなはれ』
マジかと話聞こうと思ってももう姿はなかった。
あのクソ女、どうせだったらもっと詳しい情報よこせよな。
「——かん・な・づ・き。何をやっているのかな?」
「……⁉ その……勉強っす」
予兆なしで現れた憧れの君である元生徒会長登場で、俺は戸惑い後輩達は尻込みする。
「お楽しみのところごめんね。みんな僕も混ぜてくれるかな?」
「鹿伏兎先輩!」
「ふわわわわ!」
「かっこいい!」
「俺は構わないけど……痛ってーーー!」
何故か見えない位置から思いっきり足を踏まれた。
グリグリと。
それよりいつもなら名前呼びなのに何故か名字。
しかも顔は笑っているが目は獲物狙っているハンターのように殺意を帯びている。
「君たちはいつもお店に来てくれる娘達だよね? ありがとう」
「いえいえ、あそこのスイーツ目当てです」
「先輩が淹れた紅茶めちゃ美味しいです」
「珈琲は神無月先輩の最高です」
「ありがとうよ。こんど珍しい豆手に入れたらサービスするよ」
「………………………」
「「「ひっいいい!」」」
「おい、お前らまた騒ぐと図書室の夜叉姫に怒られるぞ」
乙環さんの顔を見た途端、登山途中で熊でも遭遇したように後輩達は狼狽しながら去っていった。
どうしたんだ一体?
背後にいるから俺は確認できない……が振り返る勇気もない。
「なあ雪之丞」
「俺は勉強していただけだからな」
「ほう、お前の言うお勉強というのは可愛い後輩達に囲まれて会話を弾ますことかな?」
「あんな好意的に来たの初めてだったから、どう話していいのか分からなかったんだよ」
「嘘だ。女子達をはべらせて鼻の下伸びていた。僕は信じないぞ。やはり男は友情よりケダモノの本能が勝つのか……」
「誤解だ」
何故か頬を膨らませる乙環さん。
こんな表情初めてなので可愛かったりする。
「なら証拠を見せろ」
「無茶いうな!」
「僕は不安なんだぞ。親友が他に奪われたらまた独りぼっちだ……」
「心配するな。大体りんご亭の客なんだから邪険に扱えないだろ?」
「取り敢えず僕の頭を撫でろ」
「え?」
「それで納得してやる。ちゃんと気持ちを込めろよ」
「……わかった」
俺は隣に寄りかかる乙環さんの頭を撫でた。
気持ちよさそうに目を細める。
随分と甘えん坊になってしまって……あの凛とした大和撫子はどこに行った?
なんか昔もこんなやり取りがあったような……気のせいか。
「でも、後輩達が言い寄った理由はそれだけか?」
「実は後輩どもに頼まれたんだ。憧れのお姉様と話をしたいんだけど何かコツはいるのかなと?」
「なんだそれは?」
「乙環さん、一年の間では神格化しているんだ。かっこよくて何でもできる女神様」
まあ、現生徒会長があの微妙にポンコツの馬頭だからなー、鹿伏兎乙環生徒会長伝説が信憑性増すのも仕方なし。
「だから同僚の雪之丞に質問したのか?」
「何故か乙環さんの彼氏に思われたらしい。勿論否定したからな」
「むー否定しなくても……いやいいか……」
「安心したか。大体、家に上げるのはプライベートでは三人だけだぜ。これ以上友達は今の所増やす予定はない」
わかったよと俺の上に座る乙環さん。
え?
柔らかいお尻の肉圧が俺の性感帯に一点集中している。
うなじから発散させる体臭とコロンの香りが混ざり合って俺の鼻孔をくすぐった。
これはマジきつい。
ああああああああ。
耐えろ俺。
「ということで、今日は急にシフト入って仕事だから送っていってほしいんだけどなあ、僕だけの騎士様♡」
「じゃなくてなんで俺の上に座っている? ノートに書けないじゃないかよ」
「ここは僕の特等席だぞ」
「にゃん太郎かよ。マジでちょっとどいてくれ。今日授業でノートに写したところ清書するから。走り書きだから読みにくい」
「早くしないと僕は師匠に怒られるなー。でも硬派の雪之丞が見捨てるなんてしないよね?」
「こんにゃろー」
マスターの怖さを植え付けられているチキンな俺は、乙環さんを持ち上げると隣の席に下ろす。
「ちぇ、じゃあそれまでなにか読んでいるよ」
「ああ」
乙環さんのボディーガードは継続中。
相変わらず、長野と距離をおいている。
まだ心に整理がついていないんだ。
確かに大事な幼馴染みとして今まで平気で騙していたやつを簡単に許せるものではない。
しかしそろそろ何か進展させないと、俺の心臓が持たないぞ。
いつまでもこんな距離感狂ったことしていたら俺も男だ、万が一もないけど襲ったら大事な親友を失ってしまう。
——俺は急いで文章を綺麗にまとめ直す。
乙環さんは誰もいない図書室で、何もやることないのか本を読みながら俺の周りをウロウロ。
図書委員の神取さんは変な気を回し席外しているので、今ここには俺と乙環さんしかいない。
それでなくてもボディータッチの回数が増えたので妙に意識してしまう。
「雪之丞まだか?」
「もうちょい」
「まーだーかー?」
「終わった」
「じゃあ帰りますか雪之丞?」
「はいはい」
急かされるように図書室離れ、俺は乙環さんと玄関を目指す。
暇なのか長い廊下にはおしゃべりを楽しむ女子達、じゃれつく男子達など、放課後なのに中々下校はしない。
なので校舎には結構生徒は残っていたが、俺と乙環さんのコンビだと人目につくのでハラハラ。
今までなら不良を監視する生徒会長という体裁でなんとか済んでいたか、今はもう御役ごめんしてただの三年生。
もう俺達二人で共にいる大義名分がない。
それに今までは目立たないように歩いていたが、乙環さんは一切そういうことを止めてしまう。
確かにもうバイト仲間だとバレているから、多少なら大したこともない。
しかし最近は毎日共に登下校しているので、流石に怪しまれいる。
「みんなに見てるな」
「それはそうだろう。俺は悪目立ちするからな」
「美女と野獣コンビと言われてる。悪い気はしない」
「俺は悪いわ!」
調子乗った乙環さんは人前で手をつないだ。
幾らなんでもやりすぎだろうと思ったが、振りほどこうにも絶対に外してくれない。
しかも目で僕に逆らうなよと訴えてくる。
「これで僕も不良の仲間入いかね?」
「その前に学校側が止めに入るんじゃないか?」
「いやすでに言われてるよ」
「家庭のことは話したのか?」
「ややこしくなるからそのことは一切言ってない」
「それだったらいいんだけど」
こんなことして乙環さんの株が下がんないか心配だ。
「全てはお前に悪い虫を少なくするためだ」
「ん?」
そのまま校門を出る。
生徒から驚きの声や阿鼻叫喚。
まずいな。
「しかし少し刺激が強すぎたかな?」
「これだと俺たちが付き合ってるみたいじゃないか?」
「じゃあ付き合っちゃうか?」
「冗談はよしてくれ」
大体釣り合いがとれないだろ?
「そうだな。今のところは……」
「思ってもいないくせに意味深なこと言うな!」
「全ては僕の件が片付いてからだ」
「何のことかわかんないが分かった」
「もし僕のことをまだ必要としてるんだったら、これであいつが動くはず……」
「なんか危険なことやろうとしないか?」
「大丈夫だよ」
「ならいいんだけど」
とても嫌な予感がした。
神取さんからもらったメモ書きが意味深に見えてくる。
「——あああああああああ⁉ ちょちょ、ちょっと雪之丞! これは一体どういうこと」
「落ち着けうるは。雪之丞とは親友なんだ。手を繋ぐことぐらいあるだろう?」
「公然でやることじゃないけどな」
演劇部でめきめき頭角を現すショートカットの美少女が俺に詰め寄った。
お竜。
面倒な相手に鉢合わせしてしまう。
それにしても相変わらず視力がいいな。
相当遠くだったのに俺達を発見してしまう。
「おとわちゃんばかりずるい。私も握る!」
「確かに君も親友だからな。僕は何も言うことはない」
「と言いつつ握る力が強くないか?」
知らんなと乙環さんは涼しげな顔をしながら握力計測器のように力を込めてくる。
痛い痛い。
「でもこれで恋人同士の見えないんじゃないの?」
「そうだが一緒にいるだけで雪之丞の株は大暴落のような気がする」
「そうだ。お陰様で折角後輩達が声をかけてくれたのに台無しじゃないか」
「なんですと? 私達以外に女友達を作ろうとしてたのん? このクサレヤンキーモドキは?」
「せめて女の子の友達は僕達で最後にしてくれ。対処に困る」
「別にいいだろ? 俺を普通に扱ってくれて嬉しくなったんだ」
「まあこれで台無しだけどね」
「明朝には元バスケ部のエースと元生徒会長が性奴隷になったと噂になっているはずだ」
「それは色々と都合が悪い。幸せのスクールライフが遠ざかる」
それ詳しく聞かせてほしいなと、乙環さんとお竜の顔が近づく。
右に乙環さん、左にお竜。
握る手はやけに熱い。
帰り道、煌めくモデル並の二人に捕縛されながら、男子共の殺意と女子達の軽蔑を一身に浴び、俺は針のむしろの中帰っていった。




