69「心地良い関係」
十二月五日
乙環さんが長野の家を出てから半月が過ぎた。
もう季節はコートやジャンバーがないと洒落にならないほどの冬へ入る。
ついこないだまで暑がっていたのが嘘のよう。
雪国と違い氷点下までくることはないが、からっ風が骨身に染みた。
今日も朝方は中々寒かったな……。
俺が硬派として弱いところ晒す訳にはいかないから強がったけど、制服のポッケに常時カイロを忍ばせているのは秘密にしたい。
『お前が寒がりだとはな?』
『違う』
『じゃあ持っているカイロよこせ。それとも僕と一緒にマフラーくるまるか?』
『乙環さんは鬼か!』
——てな感じで毎回登下校中、乙環さんはからかってくる。
勘弁してほしい。
それでなくても最近、何かが不自然な感じがするんだが……。
日常の変化というか、徐々に侵食されているような危うさを覚えた。
まだそれをなんと言い表すのが正解かはわからない。
でも、確かにそれはそこにあった。
「♪♪♪〜♪♪♪」
「……………………」
本日俺は午前授業で更にバイトもオフだから家へ直行。
掃除洗濯終わって珍しくやることないので、マスターから貰った豆で、試しにブレンドした珈琲を淹れのんびり過ごす。
「♪♪♪〜♪♪♪♪〜♪♪♪♪〜♪」
「……………………」
そんな状況化でも、エプロンを身に着け昼食準備を進める乙環さん。
もう、我が家でご飯を共にするのがあたり前となる。
だからと言って強制しているわけじゃない。
ここをスイーツ作りの作業所として提供してくれるからと自ら進んでやってくれていた。
そんな俺はテーブルの上で寝そべっているにゃん太郎と遊びながら、鼻歌のリズムに合わせてゆらゆらと揺れるポニーテールと後ろ姿を特等席で観賞中。
うん、絶景かな絶景かな。
この風景に題名をつけるのなら、『ポニーテールとエプロンと元生徒会長』なんてどうだろう?
「雪之丞、もうすぐ昼食できるからな」
「お気になさらずに」
「駄目だ。お前は珈琲ばかり飲んでいるから、何か腹に入れないとカフェイン中毒になるぞ」
「俺達には乙環さんの可愛い鼻歌聴きながらアフタヌーンティーで十分満腹なんだけどなー。なぁ、にゃん太郎?」
わかってるのか、わからないのか、うちの飼い猫はひと鳴き。
「……っ‼ にゃに⁉ 馬鹿! お前は馬鹿! 本当に救いようのない大馬鹿だぞ! そんなに僕を褒めても嬉しくないからな!」
「素直な気持ちなんだが……。それとも可愛いエプロン姿を愛でながらと訂正したほうがいいか?」
なお悪いわ!! とバツが悪そうにポニーテールが揺れる。
心なしか真っ赤な耳がイチゴみたいだ。
最近、乙環さんに遠慮が完全になくなる。
俺のことを君と呼ばずにお前呼びになったこと、あとは断り入れず上がり込み、風呂も勝手に沸かして入るようになる。
冷蔵庫や冷凍庫は乙環さんが買ってきた食材で溢れ、歯ブラシやマグカップも二つ、乙環さん用部屋着も常備されていた。
もう、部屋の主がどっちだかわからない状態。
挙句ににゃん太郎も俺にご飯をねだるのやめて乙環さんへ催促する始末。
全く持って嘆かわしい。
「そんなこと言うやつとはもう一緒に歩かん」
「それはやめてくれ。マスターに殺される」
「しらん!」
「まじかー! 後生だから機嫌を直してくれ」
などと冗談言い合える仲になって久しい。
いつの間にか、乙環さんは俺の生活の一部になっている。
家出した乙環さんはマスターに相談。
深い訳は聞かずすぐにアパートの手配をしてくれた。
しかも敷金礼金を持ってくれ、更に家賃は半分持ってくれる。
ただし、若い女の独り暮らしは危ねえからお前が守ってやれといわれた。
アパートもマスターが気を利かせマンションの真隣を選ぶ。
そのせいもあって、安心だからという理由で乙環さんはほぼ俺の家に入り浸り、第二の家状態。
だが俺達は、結び付き的に男女というよりボディーガードと雇い主の方がしっくりくるかもしれない。
「雪之丞が変なこと口走るから砂糖の分量、手元が狂ってしまったじゃないか。責任取って食べてくれ」
「そのぐらいまだ挽回できるだろ?」
「ふふーん、どうだろうなー?」
「砂糖の塊は勘弁してくれ」
切れ長の目にはいたずらっ子のような色が見え隠れ。
あれはやる顔だ……。
バイトがあるからスイーツの仕込みも同時にこなしている。
そんなことするなら俺が飯作ると言っているんだけど聞いてくれない。
本当に頑固者だな……。
「そうだ、砂糖といえば試作のケーキを作りすぎて入りきらないんだ。また冷凍庫に入れないと……」
「自分の家に入れろよ」
「馬鹿言うな。うちの一般冷凍庫じゃ入りきれない。雪之丞の大きなプロ仕様じゃないとな」
「まあ、乙環さんの好きに使えよ。俺じゃ宝の持ち腐れだからな」
「ありがとう。だから雪之丞が大好きだ」
「へいへい、心にもない社交辞令をいただきました」
俺の家は冷凍食品が多めにあるから、大きめの冷凍庫を完備していた。
これで半年は引き込もれる自信があるぜ。
「よし雪之丞、できたぞ」
「おお、うどんか」
湯気が立ったうどんを、乙環さんはお盆からおろしてダイニングテーブルへと置く。
無論にゃん太郎にもキャットフードをあげることは忘れない。
「今日は寒かったからな。正確にはキツネうどんだ」
「これは温まりそうだ。いただきます」
「いただきます。七味唐辛子あるからな」
「ああ」
どんぶりから香ってくる昆布だしが力強い。
ふんだんに乗せてある刻みネギもいいアクセント。
「いい香りだ」
「今日はこだわってるぞ。出来合い使わないで、昆布だしとるところから始めてるからな」
「本格的ですな」
「どうせだったら理解してくれるパートナーには美味いと言ってもらいたい」
「うん?」
「なんでもない!」
「ズルズル」
やはり寒い思いをして帰ってきたから熱いうどんは身体の芯から温まる。
「ふふん〜♪」
「どうしたんだよ。上機嫌じゃないか?」
「彼方と違ってお前は嘘つけない性格だから気を使わなくて助かるんだよ。不味いものは不味い、美味いものは美味いって言ってくれるからな」
「それは褒められているのか」
「さあ? でもこの関係性は悪くないぞ相棒」
「分かる。最初はこんな美人と親友になってラッキーだったが、今は色々と分かり合える心地良い友人に出会えたことに感謝している」
ば、ばかもん何だそれは! と乙環さんは恥ずかしそうにうつむく。
何でも言い合えて共感する関係、乙環さんと共にいる毎日は悪くない。
親友の上があるとすれば今俺達はそこにいた。
だから半年前、何でりんご亭に月野さんが訪ねてきたのかが俺は気が気じゃない。
多分、俺の様子を見に来たんだろうけど、あれから何度も乙環さんにそのことを聞こうとしても知らないの一点張り。
それ以来触れてない。
「雪之丞、思い入れのある料理って何だ?」
「思い入れのあるのかー。色々ある」
「その中で一番は?」
「だったらドーナツだな。ババ様と作った思い出の味だから絶対に忘れない。その次は五平餅だな。なんか大好きだった」
「……⁉」
それにしても、最近の乙環さんがなんかおかしい。
探りを入れているような感じがする。
俺の好物は何だとか、どういう思い出があるのかそれとなく聞いてきた。
新しいスイーツのコンセプトが欲しいんだろうなぁ。
もっとダイレクトに聞いてくれてもいいんだぜ?
「子供の頃好きだったものはないのか?」
「あの頃わんぱく小僧だったからな。バスケとか山登りとか釣りとか色々やったもんだ」
「そうか」
「どっかの村にいた頃親友の男と散々野原を駆け巡った……かな、多分?」
「……⁉」
乙環さんはまだ話し足りなさそうだったが、バイトの時間なので切り上げる。
俺は休みだから乙環さんを店まで送ることにした。
断りを入れたとはいえ家出同然に飛び出してきたのだから、長野には会いたくないはず。
今日も乙環さんはりんご亭に着くまで腕組して俺から離れない。
頭を俺に預けてくる。
このようにどんどん至近距離になっている乙環さん。
もう俺との暮らしに浸透していた。
これを言葉にするなら通い妻が一番スッキリするのか……………………まさかな?




