70「何故か乙環さんはキスができなくなる」
◆◇
十二月六日
「おとわちゃんいないのかー」
「まじないですね」
「お竜と馬頭、うるさいぞ。文句いうなら帰れ」
今日はりんご亭でバイト。
俺みたいな喫茶店マニアにとって珈琲の芳醇な香りに包まれるこそ幸せだったりする。
プラス、マスターがジャズのレコードをかけてくれたので、身体能力にバフがかかった。
なので日曜日だから結構お客さんが来店するけど、上機嫌に対応。
ただ、乙環さんが休みなのでお客からいちいち聞かれてうざい。
ホールの天使様は伊達じゃないな。
かくいうこのカウンターに座っている二人も、乙環さんがいないことに不平不満を漏らしている。
来る前に聞けばいいものを……。
「ねえねえ、最近おとわちゃんとはどうなのよ。何か進展あった?」
「私も聞きたいですね。同志」
「これといってなにもねえな——というかお前らいつの間に仲良くなったんだ?」
「何だろうね。負けヒロイン同士?」
「同じにしないでください。貴女と違い私は誰にも振られてません」
「はいはい、ここで喧嘩しない」
俺がめちゃくちゃ忙しい横で、お竜と馬頭は井戸端会議ならぬカウンター越しの女子トークで盛り上がっていた。
オカッパの馬頭は眼鏡たくしあげクールにアメリカンを飲み、ショートカットのお竜はオレンジジュース飲みながら賑やかに話す。
「とにかく雪之丞、おとわちゃんを泣かせちゃダメだからね」
「いつの間に神無月君とオトワちゃんは恋人になったんですか?」
「付き合ってねえよ」
「学校で一緒、バイトでも一緒、家でも一緒。こんなの交際しているのと同じだよん!」
「確かに最近、オトワちゃんは神無月君と一緒にいますもんね」
「馬鹿、勘違いするな。俺はただのボディーガードだ」
でも二人の目はジトーと疑っている。
確かに恋人同士ではない。
でも大切な存在ではないと言ったら嘘になるな。
お竜と乙環さん、どちらが大事なのか? という質問に答えることができないほどだ。
それにしても、また女子高生のお客達にジロジロ見られてる。
怖がられているのは慣れているが寂しいものだ。
「あらあら雪之丞、最近モテているって気づかないの?」
「一部の女子の間で人気が出始めてること知ってますか?」
「まさか?」
俺が視線を気にしていることを悟ったのか二人はフォローしてくれる。
「元々雪之丞はかっこいいからね」
「りんご亭では紳士です」
「褒めるなよ」
おかわりとサンドイッチをサービス。
すっかり気分を良くした俺。
他人に賛美されたことがあんまりないので思わず過剰サービスをしてしまう。
「相変わらずおだてに弱いねー」
「カモです」
「うるせえ」
二人とも乙環さんが家を出たことはよく知っていた。
気がかりだからこうして顔を出す。
LINEグループで散々連絡のやり取りしているのに。
「これに免じておとわちゃんには言わないであげる」
「あげます」
「いや、べつにそんなのどうでもいいんだが……」
「おとわちゃんは苦労するね。それでなくても長野っちがいま大変だから……」
「ハブられてますね」
「ネットで問題起こして学園生達にバレたことだろ? 流星が言うには、黒い噂の絶えないやつだったとか」
ナンバーワンムードメーカーの失脚。
これにより学年カーストグループの勢力分布図が大きく変動。
もっと孤立が深まる長野。
馬頭はどんどん歪んできてるあいつを抑えることできなくて悩んでいる。
噂では不良グループとつるみ出したとか。
「ばとうちゃん、何かあったら相談に乗るから一人で抱え込んだら駄目だぞ。あんたは生徒会長の前に女の子だってことを忘れちゃいけない」
「ありがとうございます。彼方君を救いたい。でも私だけだと何もできないことはよく理解してます。あとメズです」
「あいつもしょうがねえな」
馬頭は悩んでる様子だった。
あいつが自暴自棄になって大きな事件へ発展しなければいいが……。
◆◇
仕事もトラブルなく無事終わって一安心。
特に予定はないから寄り道なしで家路につく。
今日乙環さんは休みだからどこか作業に張り合いがない。
マスターが新作のスイーツを作ったから、乙環さんに試食してくれと渡される。
喜ぶだろうな。
マンションに入ってチャイムを押すと乙環さんがいた。
開けてくれと伝えると掃除しているから暫し待てと指示が出たからエントランスで待機、十分ぐらいで入室許可を得る。
まさか自分の家へ帰るのに立ち入り許可をもらわないといけない日が来るとは……。
「おかえり、待たせて悪かったな」
「ただいま、何やっていたんだ?」
「ご覧の通りだ」
「手にはハタキ、頭には三角巾と眼鏡、着てるものは学園指定ジャージ……にゃん太郎と全力で遊んでいた?」
「違う! 掃除だ」
「その割には大袈裟な装備だな」
リビングに入ったら床にはワックス塗ってあり、徹底的にピカピカになっていた。
キッチン・玄関・廊下・寝室・浴室・トイレがテレビドラマの撮影用みたく綺麗になっている……。
「すまん、暇だから使わせてもらっているキッチンを清掃しようとしたらなんか歯止めが効かなくなった。雪之丞が来なかったら浴室の換気扇にまで手を出すところだったぞ」
「ありがてえが、こまめに掃除してるからやることなかったろ?」
「そんなことはない。見えないところが雑だったぞ」
「それは恥ずかしいな」
乙環さんはクリーニングサービス級の仕事をした。
・本棚の本とか全部取り出し虫干し。
・カーペットも剥がしてもみ洗い。
・日陰のカビとか駆逐。
意外と潔癖症だったのか。
にゃん太郎も犠牲者なのかモコモコになってる。
その証拠に乙環さんには無数の引っかき傷。
水場の激闘が容易に想像がつく。
「しかしおかしいもんだ。これだけ掃除しているんだからエッチな本の一つや二つぐらい発掘してもいいものなんだが、お前は女に興味がないのか?」
「ふふふ、俺は電子書籍派だから証拠を残さないんだよ」
「なるほどなるほど、リアルでこんなに可愛い女の子いるのに、お前はスマホで偶像の写真を愛でていると?」
「これだけはご勘弁を」
「冗談だ」
「良かった」
「あ、アニメのタペストリーとかポスターは処分しておいたぞ。あんな面積少ない水着きて恥ずかしくはないのかな?」
「……………………」
俺はショックのあまりその場で突っ伏した。
乙環さんが出入りしてからその手のものは厳重に封印したつもりだったが、とうとう発掘されてしまう。
誰もが知る国民的冒険アクションものだから大目に見てほしいとねがう今日この頃……。
「今度はお前に相談してからやる」
「お願いだからそうしてくれ。俺の心が持たん。大体、自分のアパートに戻らないで休みもここにいる。悪いことじゃないけどそれでいいのか?」
「まだ心の整理がついてないからできるだけここから離れたくないんだ。それにスイーツ作っていると心が落ち着く」
「それだったら仕方ないか」
あれだけ信じていた家族達に裏切られたんだ、そのショックは計り知れない。
だったら俺は何も言わず巣立つまで支えてやればいいさ。
乙環さんは迷惑料だと俺にキスをしようとするも、「……………………っ! ごめん、やはりなしで……」未遂に終わる。
「契約の行使ができてないな。俺からしようか?」
「もも、もっと駄目だ! 僕の心がオーバーロードしてしまう……」
「そうか」
「意識してなかったのに今更ながら恥ずかしくなってしまったんだ。これ以上やったら戻れないところまで行ってしまう……」
顔を真っ赤にする乙環さん。
後半は消え入りそうな声だから俺の耳に届かなかった。
実は月野さんが訪ねてきて以降、キスはしてない。
どうしてかはわからないがしなくなる。
別にこれが正常だから俺的にはかまわないのだが、今までやってきたことがなくなるとなんか変な気分だ。
そんな俺が引っ張られ、「その代わりと言っては何だが、膝枕で許せ」柔らかい膝に頭を預ける。
「乙環さん、部屋の掃除もそうだが無理することないんだぞ」
「雪之丞にとって特別な存在にならないと僕の場所がなくなる気がしてな。もう、ここしかないから……」
「馬鹿、そんなことしなくても乙環さんは俺の特別だ。お竜も馬頭も流星も慕ってくれている。それにりんご亭があるし、学園の奴らも乙環さんが大好きなんだぜ」
「ありがとう雪之丞。そうだな、そのとおりだ。僕は一人じゃない」
「よせよ照れる」
乙環さんは俺の頭を優しくなでた。
こういうのも悪くない。
「なあ雪之丞、聞きたいことがあるのだけど……」
「何でも来い」
「お前には昔友達いなかったのか?」
「お竜と流星だな」
乙環さんはマスターから試食を頼まれたクリスマス用のタルトを食べる。
顔が幸せそうだ。
「その他には?」
「いたはずなんだけどよく思い出せない」
「まあ昔の記憶だからね」
「夢ではよく見るんだが曖昧なんだ」
夢に出てくるあいつ。
同居人という以外、あいつが何者かはわからないが、仲良くなってからは夜遅くまで夜空を眺めてる。
村のガキ大将になって悪さばかりしていたっけ。
今でも鮮烈に覚えているのは肥溜めへ落ちたことぐらいだ。
あいつと離れたあと、居場所をババ様に聞いたが覚えてない。
「お前も新作タルト食べろ」
「この体勢じゃ無理だ。一回起き上がる」
「駄目だ。僕はまだ雪之丞の感触を堪能したいからな」
「じゃどうすれば——」
膝枕されたままの俺がすべてを答える前に、「雪之丞あーん!」とフォークへ刺した食べかけのタルトを俺の口へ放り込む。
「もぐもぐ……流石マスターとても美味いな。というかコレも間接キスだぞ?」
考えないようにしていたのに、よよよ、余計なこと言うなぁ! と乙環さんは途端に真っ赤になった。




