68「新・キス九回目〜キス十回目、信じていた永遠の絆に亀裂が入る日」(乙環サイド)そのニ
◆◇
十一月二十日
「うううん……」
「にぁー!」
朝六時、スマホのアラームが起動する。
起きるとパーカーの中からにゃん太郎が首を出した。
何か息苦しいと思っていたら犯人はお前か?
ブラを外しているので胸の谷間に挟まっている。
猫は狭いところ大好きだというけど、それを差し引いても雪之丞が警告した通りのエロ猫だ。
まあ、それよりも……、
「とうとう雪之丞の家に外泊をしてしまった! 緊急時だったから仕方なかったとはいえ、この選択は果たして正しかったのかが疑問だ……。僕がお前の住処に泊まって良かったのか?」
「にぁ〜」
僕の懺悔と苦悩に対しにゃん太郎は返事をする。
秩序を守る模範生に徹してきた僕は、異性の部屋で宿泊したことがないから、とても罪悪感へ苛まれた。
一応おばさんには連絡を入れたが、放任主義なので分かったとしか返事が帰ってこない。
心配されないというのも寂しいもの。
「それよりにゃん太郎、よく胸元に入ってこれたな? まあ雪之丞から借りたパーカーのサイズが大きいというのもあるか……」
「にゃふ♪」
僕は後先考えず家を飛び出してきた結果、寝巻きがない。
なので雪之丞が使っているブカブカのパーカーを着て寝る。
今回は洗濯したヤツなので洗剤の香りだけだが満足。
ただ、部屋着のズボンは丈が合わず浅野内匠頭なので、どこかで買ってこなかったらダメだ。
雪之丞の前で足を引っ掛けて脱げたら目も当てられない。
悪いなと思いつつも、昨日僕は雪之丞の大きいベッドを占領。
布団へ潜ると雪之丞の匂いに包まれ、まるで抱擁されている気分だった。
それに対して雪之丞は寝相が悪いのか、ソファーから落ちて広いリビングをゴロゴロ巡回している。
「おい雪之丞、朝だぞ!」
「ううん……乙環さんは俺が守るムニャムニャ」
「寝言だから仕方ないとはいえ、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるな?」
「…………ぐーぐー」
普段はツンケンしているが寝顔は結構可愛い。
頭に手をおいたら髪はサラサラ、僕は思わず撫でた。
触り心地は抜群に良い。
やっぱりかなちゃんは可愛い——。
————————⁉
そんな時僕はまた記憶が混濁する。
昔のかなちゃんが寝ていた時と思い出が重なってしまった。
雪之丞がかなちゃんというのはありえないことなのに、愛しい気持ちと懐かしい気持ちが湧き上がる。
いつもの発作だが僕は頬を叩き正気に戻った。
発作がどんどん酷くなっていく気がする。
やはりあの人に連絡しないと駄目かもしれない……。
そんなとき、にゃん太郎はニャーニャーと足へまとわりつく。
心配してるというよりこれはご飯の催促。
「ご飯ほしいのかにゃん太郎?」
「にゃあ」
「待ってろよ」
「にゃん♪」
僕はにゃん太郎へキャットフードをあげたのち、ご飯炊くのでお米を研いだ。
色が透明になるまで何度も水を入れ替えし揉んでいく。
♪♪♪♪〜
この間にLINEの着信音がなったけど中々出られない。
時間ができ確認すると相手は彼方。
返信を迷うも逃げるわけにはいかないから立ち向かう。
『姉さんごめん、言い過ぎた。戻ってきてほしい』
『それはできないよ彼方、暫く僕は帰らない。おばさんには言ってある』
『なぜ?』
『お互い冷却期間が必要だ。このまま話し合っても議論が噛み合わない』
頑固な彼方へ説法説いても焼け石に水。
意味もなくだだこねる子供より酷い。
そんなやつに何を言っても無駄。
『どこにいくんだよ? 行く当てなんてないだろ』
『なんとかする。お前は心配するな』
『頼るやつは俺しかいないはずなのに、まさか神無月か?』
『これ以上詮索するならブロックするぞ彼方』
『ごめん……』
まるでそういうふうに仕向けたような言い草。
今は疑心暗鬼、全て悪いふうに受け取ってしまう。
暫く会わないほうがいい。
そんな中、家主が目を覚ます。
頭をボリボリ掻きながらぼーとしている。
まだ逆立ちして寝ていたこの状況に感覚が追いついてない。
「おはよう雪之丞」
「…………………………」
そんな頭がはっきりしてない雪之丞に僕はイタズラする。
新・取り引き十回目。
氷を含み冷やした唇を寝ぼけている首筋へ。
咥えている氷を胸元までツツーと滑らす。
雪之丞は驚きすぎてそのまま転がり壁にぶつかった。
「雪之丞⁉」
「いってぇぇ……ぐーぐー」
すまん、やりすぎた……。
雪之丞の頭が起動する前に僕は朝食を作ることにした。
このぐらいしかお礼する方法が見つからない。
卵を数個割り・麺つゆ・砂糖と塩をかき混ぜ、油を引いた卵焼き器に僅か入れて薄く伸ばし折りたたんでいく。
そして玉子をずらしまた油を引き、二回目、三回目と同じ工程を続け、簡単なだし巻き玉子の完成。
次に豆腐を手のひらへ乗せ、手を切らないようゆっくりと上から包丁を下ろしサイコロ型にする。
オタマに味噌を入れ、張ったお湯の中でかき混ぜながらゆっくりと溶かしていく。
やはり日本食は豆腐と揚げの味噌汁は鉄板だな。
今日のメニューは出汁巻き玉子と味噌汁とご飯。
アジの開き、ほうれん草の和え物、納豆とのり。
朝食の定番メニューだ。
日本人はこれがあれば満足。
それにしてもやはりこっちで使ってるエプロンの方が気持ちがいい。
同じものなんだが何でだろうな……。
などと朝食作りしていたら、背後から大きなアクビが漏れでた。
「ようやく目が覚めたか寝ぼすけめ」
「おはようさん。そう言うけど、仮にも女の子と一つ屋根の下で寝たんだぜ。そんな簡単に寝れるわけないだろ? いたたた、寝違えたか? やけに首が痛い」
「そうか。僕は安心して寝たぞ。一番頼りになる男が共にいたからな」
「そ、そうなのか」
適当にお世辞言ったつもりだったが雪之丞は照れていた。
こういうところも可愛いよな。
雪之丞は顔を洗ってテーブルに着く。
「もう少しだから待ってろよ雪之丞」
「構わない。ただ背後から乙環さんのエプロン姿を堪能したいだけだ。揺れるポニーテールを観察してるだけで心が安らぐ」
「変なやつだ」
僕は最近人前でのポニーテールを封印した。
なぜならこの変態が好きだから。
どうせだったらいっぱい褒めてくれる人に見てほしいだろ。
その他は眼中にない。
あの彼方と違い、雪之丞は乙環さん手伝うと、指示したわけでもないのに、テキパキとテーブルを拭き、サラダを皿に盛り付け、完成した朝食を食卓へ並べる。
やはり頼りがいある男って雪之丞みたいなやつのことだよな。
あさげの準備が整った僕と雪之丞は食卓を囲む。
食べながら昨日の出来事を全部語った。
身内の恥を晒すようでとても辛いが一人で抱えているより、信頼のおける相棒に全てぶちまけたほうが楽になる。
「——彼方の様子がおかしい。大好物の五平餅を食べなかった」
「ただ単に食べたくなかっただけだろ?」
「それだけじゃない。ステラ先生を知らないって言った。後で言い繕おうが本気で知らない顔だった」
「どういうことなんだろうか?」
「分からない」
「記憶が色々混同しているんじゃないか? 子供の記憶だから曖昧だろ?」
いや、絶対に忘れなれない思い出なんだ。
それが混ざるなんてありえない。
◆◇
日も暮れだした夕方。
今日は学園を休んだ。
風邪でも休んだことないのに中等部からの皆勤賞を逃すのは痛い。
連絡したら担任がおおいに驚いていたけど、しかしこちらにも都合がある。
理由は彼方に会いたくないからだ。
もちろん嫌いだからじゃない、仮にも家族として共に過ごしてきたのにそんな簡単に見限ることはないだろ。
でも僕にも譲れないものがある。
そのためにも今は一人になりたいんだ。
そんな僕はりんご亭でカウンターに入り作業中。
お客さん達が不安げに見守っているけど、珈琲以外は何でもできるから杞憂に終わりホッとしている。
このせいでいつの間にか料理ベタと誤認識させ驚かせたものだ。
そんな僕はいつもと違う。
実は落ち着きがないし、結構浮足立っている。
理由は昔お世話になった懐かしい人を呼び出しているからだ。
ドアベルが鳴り背広を着た老齢の紳士が入店してくる。
「いらっしゃいませ!」
「お久しぶりです乙環様。ご無沙汰しております」
「月野さんお久しぶりです。ステラ先生の葬儀以来ですね」
「そうですね。お元気ですか?」
この人は以前住んでいた村でお世話になったステラ先生の執事をやっていた月野さんだ。
ステラ先生に怒られたらいつもフォローしてくれる。
いまでも何処かで執事をやっているらしい。
もうあれから年月経っているのに月野さんは相変わらず紳士だ。
「はい。月野さんもお元気そうで」
「おかげさまで何とかやっています」
「そうですか」
「それでご用件は何でしょうか? いや、わかってます。困ったことが起きたのですね?」
僕は頷く。
昔、別れる前に問題が発生したら遠慮なく連絡してほしいと言われている。
なので今日の朝に連絡したら、忙しい中ワザワザりんご亭まで足を運んでくれた。
「実は月野さんに聞きたいことがあります」
「何でしょうか」
「ステラ先生といた昔の思い出についてです。経験しているのに記憶が一致しないことがありまして、特にある人を見るとかなちゃんを思い出して記憶が混乱してしまうんです。医者にも見てもらったけど原因はわからずじまいです」
「…………………………」
「村にいた思い出のかなちゃんは一人なのに、今現在は二人いるんです。しかも絶対違う方から強く感じる」
「なるほど」
「考えると頭が痛くなってきます」
「乙環様、貴女は今の生活に幸せを感じていますか?」
月野さんは何を言いたい?
意図が読めないぞ。
「はい」
「ならこのままというわけにはいかないんでしょうか?」
「出来ることならズレの正体を掴みたいんです」
「そうですか……」
月野さんは表情を変えずマスターが淹れた珈琲を飲む。
「なにか過去に原因があるのなら教えてください月野さん」
「結論から言いますと乙環様の記憶障害は病気ではありません」
「え?」
「詳しくは語れませんけど、記憶の封印が解けかかっているのでしょうね」
「封印? じゃあ僕の思い出の中にいるかなちゃんは何者ですか?」
「ステラ様のお孫様です」
「なら昔のかなちゃんと彼方はなんであんなに変わってしまったのか、なにかご存知じゃないですか?」
「彼方とは?」
「同居している長野彼方です」
「ふむ。結論から申しますと長野家とステラ様に血縁関係はありません」
「え?」
「彼方様はステラ様のお孫様じゃないですよ。即ちステラ様のお孫様と彼方様は別人です。そして長野家と乙環様も元々は無関係」
そんなまさか……。
今まで彼方がかなちゃんだと思い込んでいたのは、まやかしだったのか?
かなちゃんはかなたの略と考えるのが普通だから。
「僕が長野家に引き取られたのは父が友人だったわけじゃないのですか?」
「最初ステラ様はその言葉を鵜呑みにしましたが、まったく関係ないことが判明しました」
「じゃあ長野家はなんでなんで僕を引き取ったんですか?」
「ステラ様が残した財産から今でも多額のお金を援助しているからです。そして乙環様の祖父母の財産も長野家が管理してます。そしてその使い方はとても好ましくないですね」
そういうことか……。
今回分かったのは、彼方やおじさんおばさんにずっと騙されていたということ。
心の支えだったかなちゃんに成り代わり、僕は信じきり長野家で都合よく利用されていただけ。
おじさんおばさんは放任主義?
違う、僕はあの人達にとって都合のいいATM。
そこに愛や優しさなんてない。
こんなにも滑稽で悲しい気持ちに支配されたのは久しぶり。
僕は思わず笑ってしまった。
でも、そうなると僕の中でいつから二人は入れ替わったんだ?
それも封印に関わりがあるということか……。
でも謎が解け心はだいぶ軽くなる。
「じゃあ、かなちゃんは今どこで何をしているんですか?」
「申し訳ありませんがそれについてはお答えできません」
「僕のお願いでもですか?」
「貴女の願いでもです。申し訳ありません。心苦しいですがステラ様からの遺言なので」
「そうですか……」
じゃあもう一つの謎、何故かなちゃんと雪之丞がこんなにも重なるのか?
その質問をしようとしたら場違いなテンションで雪之丞が店内に入ってくる。
「遅いぞ雪之丞! 遅刻だ」
「悪い悪い、馬頭に捕まって乙環さんの良さを延々に聞かされていた」
「こんにちは」
「こちら月野さんだ。僕がお世話になったステラ先生の執事さん」
「どうもこんにちは……」
「雪之丞様お仕事お疲れ様です」
雪之丞は一瞬硬直するも普通に戻った。
多分見惚れていたに違いない。
ここまで礼儀正しい人はいないからな。
接客業をやるものとしていいお手本だ。
ところでなんで月野さんは雪之丞の名前知っているんだ?
いや、出来る男である月野さんのことだ、事前に調べてきたんだろう。




