21「キス十四回目、乙環姉さん最近嬉しそうだ、まるで蜜月関係の彼氏に思いを馳せている彼女のような……そのニ」(乙環サイド)
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今日も来てしまった……。
最近できたお気に入りのお店。
店内に入るとお洒落なピアノ主体のジャズが流れてくる。
昭和レトロな木目調に統一した多少薄暗く落ち着いた面持ちの店内、奥には小さなステージがあり中央にグランドピアノ、壁には磨かれたサックスが飾られていた。
カウンター席へ着くと珈琲の芳醇でフレイバーな深い香りが鼻孔をくすぐる。
そんな店名は腐ったりんご亭。
退くほどインパクト抜群のネーミングだが、中身はこの通り洗練されたムーディーな大人空間。
産地を厳選した珈琲豆、ドリップの淹れ方も洗練され、こだわり抜いた配合のブレンド珈琲やエスプレッソマシンを巧みに操るカプチーノは玄人も舌を巻く。
無論僕を狂わす極上のスイーツも忘れてはいけない。
特にりんごのタルトは絶品だ。
もう何度目だろうか、僕はタルトと珈琲に一目惚れして通いつめている。
ここへ訪れた名目上は受験勉強。
道具一式を持ち歩いているから不自然ではないが、手段と目的が入れ替わっているのは言うまでもない。
だから誤解しないでもらいたいのだが、わざわざ神無月へ会いに通っているというと齟齬がある。
あいつがここにいるだけなのだ。うん。
こんにちはマスター、神無月はまだ来ないですかと尋ねると、奥の厨房で仕込みをやってるそうだ。
自称オーナーの愛弟子は伊達じゃないか。
マスターの珈琲は超絶品だ。
最強の一杯を完成させるため、単身ニュージーランドへ修行に行っただけはある。
ただ、外見通りバリバリの硬派なので、インスタ映えするカフェラテやカプチーノに絵を描く軟派なことはしないそうな。
そんなマスターに比べたら、神無月の珈琲は月とスッポン。
神とミトコンドリア。
ドリップの淹れ方がまるでなってない。
ただ手順を覚えただけのトウシローだ。
才能がない分気合いでカバーしているタイプ。
しかし細やかな気遣いが憎らしくもある。
「いらっしゃい会長、今日も来てくれたのか。気に入ってくれて嬉しいぜ」
「神無月お疲れ様。少しは腕を上げたかい?」
「うるせー。まあ、ゆっくりしていってくれ」
「ああ、遠慮なくそうさせてもらう」
相変わらず神無月は態度悪いが、好きな仕事だから真面目にこなしている。
マスターにしごかれながらもめげず、黙々と作業を継続。
噂と外見で判断していた自分が恥ずかしい限りだ。
「今日もお勉強か?」
「ああ、夏休みの宿題早く済まさないとな」
「耳が痛いな」
「神無月教えてやろうか?」
「嫌なこった。テメーのケツはテメーで拭くもんだ。他人の力を借りるもんかよ」
「君はそういう奴だったな」
悪びれもなく断言する神無月。
すぐに他人を巻き込むうちの彼方とは正反対だな。
それだけ自身の行動に責任を持っているということか。
正直、神無月が羨ましい。
僕もケーキ屋で腕を振るうのが夢だったから、こういうところで働きたい願望がある。
しかし実際は彼方の件もあるから封印するしかない。
だからだろうか、自分のやりたいことを挑戦している神無月に少し嫉妬する。
「くくくっ、相変わらずいい声で鳴きやがるw 焦らしながら注いでいるから、そろそろお前もこれが欲しくなったろ? ううん? どうした? 欲しいのなら欲しいと懇願してみろ?」
「うわ……神無月、それ何とかならないか? とてもキモイ」
「馬鹿野郎。これはマスター直伝の珈琲を美味しくする心得だ。珈琲とは愛情込めて愛でるように淹れるべし」
「絶対解釈間違っているぞ……」
そんな本人は気にせず挽いた豆に語り掛けながら、フィルターに熱湯を注ぐ。
心が躍るのか、不気味な笑顔を浮かべていた。
最近判明したのだが、人相と言葉遣いはすごく悪いがとても紳士的だし、細かいことのよく気がつく。
誤解受けやすい神無月の本質はただのお人好しだ。
だから慈善事業が多い執行部の適性は高い。
ボランティアが趣味はあながち嘘じゃないかもしれないな。
水溜りからマグロを釣り上げた気分だ。
だからなのか、もう神無月を見ても以前のような嫌悪感はわかない。
しかし、疑念は晴れたが心を許したわけじゃない。ただ単にふりだしに戻っただけだ。
——そんな時、彼方からLINEが届く。
珍しいこともあるものだ。
内容はまた金の無心。
eゲームのプロチームに紹介してもらうのに必要らしい。
大会実績がないからこれしか手はないと言われたとか……。
僕がなんとかしてあげないと。
でも、これ以上どうやって稼げばいいんだ?
「生徒会の仕事しながら、会長もよく飽きずにここへ来るな。このあとバイトもあるんだろ?」
「うるさい。りんご亭が居心地良すぎるのがいけない。即ちディープな珈琲沼に落とした君が全面的に悪い」
「……そっか、なら責任取って謝罪しないとな。ほらよ、お代は結構だから、俺の失敗作またよかったら食べてくれないか?」
「いいのかい?」
「ああ。捨てるくらいなら気のおける仲間に食べてもらいたい」
「仲間?」
気取らず僕に出したアップルパイ。
確かに形は崩れ多少イビツだが、味は絶妙に美味かった。
柔らかくなっている林檎とサクサクのパイ生地がよく合う。
それよりもだ、この僕を仲間のカテゴリーとして認識していたことに驚いていた。
あれだけ疑ったのに、まだ何処かで怪しんでいるのに。
何か深い意味が……いや本当なんだろう。
あの澄んだ目は嘘をついてない。
僕は猜疑心が強い自分を呪った。
家族以外周りに味方が誰もいなかったせいで、常に裏の裏を読むのが習慣化したのが原因かもしれない。
「ああそのとおり仲間だ。臨時とはいえ生徒会メンバーだったしな。そうだ……一層向こうのバイト辞めてここで働けばいいじゃん?」
「え?」
「深夜バイトのリスクは会長でもわかるだろ?」
「でも、ここの時給じゃ彼方の支援出来ない」
魅力的な提案だ。実現可能なら是非にお願いしたい。
しかし駄目だ。
今でさえバイトのお金を全額彼方に援助しているのに、更に寄越せとなるとこの身を落とすしか手が見つからない。
「そこらへん踏み込むつもりはないから聞かないけど、マスターに相談したら時給なら多少は色をつけてくれるぜ。人材少ないから朝から晩まで働き放題だしな」
「そんなこと甘えられないよ」
「スイーツ大好きなんだろ? マスターからどんどん盗んで自分のものにしてしまえよ」
「魅惑的な提案だ。本当にいいのかな?」
「構わないよ。俺もマスターの珈琲テク目当てでバイト始めたしね。ここなら万年人手不足だから一杯働けるぞ」
「わからなくなってきた。君は何でそこまで僕に優しくする?」
「男が女に優しくするのは当たり前のことだ。困っていたら助けてやる。マスターも一杯色をつけてくれるさ」
「いや、そういうわけにはいかない。平等でないと。男だとか女だとかで金銭に差がでちゃ駄目だ」
「平等ってなんだ? 俺達は生まれたときから不平等じゃないか? そんなのは気にするな。会長は黙って俺を信じろ!」
そんな神無月へ僕は感情を抑えられなくなり誰もいない店内で頬にキスをした。
余談。
神無月が言うように、アルバイトとマスターに時給を相談したら二つ返事で了承してくれた。
裏を勘ぐる程いい人過ぎて驚く。
こうして僕は深夜バイトを辞め、腐ったりんご亭へバイトすることになる。




