第14話 不穏なデッサン
肖像画の販売が始まってから、アマテラスには毎日のようにファンレターが届くようになった。
「歌に救われました」
「家族と仲直りできました」
「次の公演も楽しみにしています」
一通一通が、アタシにとって宝物だった。
その中に、一際分厚い封筒が混ざっていた。
「またエミールさんから?」
封を開ける。
中から現れたのは、新しい肖像画だった。
柔らかな笑みを浮かべるアタシ。
背景には、花畑。
まるで聖女のように描かれている。
「……上手ね」
でも、何かが違う。
(アタシ、こんな顔をしていたかしら?)
絵の中のアタシは、まるで磨き上げられた宝石みたいだった。本当のアタシから、人間らしさだけを削り落としたような違和感がある。
同封されていた手紙には、こう書かれていた。
『今日のジェーン様も、とても美しかったです。ですが、あのような乱暴な言葉遣いは、おやめになった方がよろしいかと思います。あなたには、もっと相応しい振る舞いがあります。』
「……え?」
アタシは手紙を読み返す。
『あなたは、人々の希望です。』
『誰よりも気高く、誰よりも美しい存在であるべきです。』
(何これ……)
褒められている。
……はずなのに。
胸の奥が、少しだけざわついた。
先日の夕食の席で、リュークが話していた噂が頭の中を過る。
「お前を描いている画家が、他の画家にやたらと敵対的らしい」
「『私だけがジェーン様の本当の姿を描ける』とか、『他の絵は偽物だ』とか……」
あの時のリュークの表情は、これまでにないほど真剣だった。
「……先週の話って、言ってたわよね」
アタシは、思わず眉をひそめた。
(先週……アタシ、エミールに会った記憶ないんだけど……)
◇
数日後、アマテラスにエミール・ヴァイスが、また新作の絵を持って訪れた。
「ジェーン様、新しい作品です」
差し出された絵を見て、アタシは思わず動きを止めた。
そこに描かれていたのは――。
寝室で、誰もいないはずの部屋で、鏡を見ているアタシの姿だった。
「……これ、いつ見たの?」
アタシの声に、わずかな緊張が混じる。
「想像で描きました。ジェーン様なら、こんな表情をされるんじゃないかと」
「想像、って……」
あまりに、細部が正確だった。
前世の癖で、顎に剃り残しがないか顎下を確認している姿だった。
(この世界で、その癖を知っている人なんていない……なんで?)
アタシ自身、誰かに見られているなんて考えたこともなかった。
それだけじゃない。
部屋の家具の位置、鏡の角度を考えると窓の外から見ていた配置になる。
(これ、想像じゃないわよね……?)
背筋が、冷たくなる。
「ジェーン様……」
エミール・ヴァイスが、一歩近づいた。
「他の絵師達は、皆さんが見たいジェーン様を描いています」
エミールは静かに首を振った。
「歌っている時の笑顔。お弁当を渡す時の優しさ。誰もが望む『歌姫』の姿」
彼は、懐から一枚の絵を取り出した。
以前、街で売られていた絵姿だった。
「これを見てください」
絵の中のアタシは、確かに可愛らしく描かれている。
けれど、どこかテンプレートのような、量産品のような印象を受けた。
「表面的です。あなたの本質には、誰も触れていない」
「アタシの本質……?」
「あなたが、ただ歌が上手いだけの女性じゃないことを、私は知っています」
エミールの声が、わずかに熱を帯びる。
「人の心の痛みが分かる人。誰かのために、自分を後回しにできる人。だから、あなたの歌は人を救える!」
その言葉自体は、間違っていなかった。
むしろ、これまでアタシが抱いてきた想いを正確に言い当てられているようで、一瞬、心が動いた。
(……でも。何かが、決定的にずれている)
「でも、私は違う。私は、本来あるべきジェーン様を描いているんです」
「本来あるべき」という言葉に、引っかかりを覚えた。
まるで、今のアタシが――歌い、笑い、お弁当を作り、リュークと過ごす、この日々のアタシが――間違っているとでも言うように。
「エミールさんが見ているのは、アタシじゃなくて……」
言いかけた言葉を、アタシは飲み込んだ。
彼が見ているのは、彼自身が作り上げた"理想のジェーン"だ。
それは、本物のアタシとは、似ているようで全く違うものだった。
「あの、エミールさん……近いわ」
「私だけが、あなたを理解している。だから、他の絵師には頼まないでください」
その声は、お願いというより、懇願に近かった。
「……ちょっと、考えさせてもらえる?」
アタシは、できるだけ平静を保とうとした。
「分かりました。でも――」
エミール・ヴァイスは、絵を置いて、深々と頭を下げる。
「私は、いつでもあなたの傍にいます……」
その言葉を残して、彼は店を出ていった。
残された絵を見つめながら、アタシは初めて、背筋に這うような不安を感じた。
◇
「リューク……」
その夜、アタシは初めて、彼にすべてを話した。
「その男の絵を、すぐに調べてもらう」
リュークの声は、これまでにないほど低かった。
「ジェーン、今日からしばらく、一人で出歩くな」
「……そうね」
いつもなら「過保護よ」と笑って返していたアタシも、今日はそんな気分にはなれなかった。
窓の外を見る。
暗闇の庭には、誰もいない。
……なのに、カーテンを閉めたくなった。
(気のせい、よね……)
そう思おうとしても、胸の奥にざわつきが残ったままだった。




