第16話 知識の神の「空白」、そして歓喜
「……ありえん。ありえんぞ、これは。万物の理を記録し続けて数千年、私の辞書(石版)に存在しない組み合わせだ」
知識と記録の神トートは、俺の前に鎮座する『天空のチーズ&黄金すき焼き仕様』を前に、痙攣するように指を動かしていた。
「この脂質、この塩分、そしてこの『生卵』という狂気! 摂食すれば脳に過負荷がかかり、生命活動が停止するはずだ。……だというのに、貴方はなぜ笑っている!? なぜ私の計算式を無視して、そんなに旨そうに啜るのだ!」
「……理屈じゃない。これは『幸福のゼロカロリー』という、美の女神公認の仕様だ。……ほら、能書きはいい。この『未知』を、お前の舌に直接書き込んでみろ」
俺が突き出した割り箸を、トートは震える手で掴んだ。
「……未知……だと? 私の知らないことが、この泥水のようなスープの中に眠っているというのか……!?」
トートが、溶き卵を纏った極太麺を口に運んだ瞬間。
――彼の背後に浮かぶ数万枚の石板が、一斉に発火した。
「…………ッッ、ガ、ハッ……!!?」
衝撃。
チーズの重厚なコクが、卵の円やかさと混ざり合い、言語化不能な旨味が脳の「未踏領域」を力ずくでこじ開けていく。
トートの目がカッと見開かれ、黄金色の魔力が全身から噴き出した。
「お……おおお……! おおおおっ!! 知らない! 私はこんな味を知らないぞ!!」
トートは叫びながら、猛然と麺を啜り始めた。もはや神の優雅さなど微塵もない。情報を貪り食う獣の如き形相だ。
「この塩気の暴力! 脂の官能! そして卵がもたらす完璧な調和! 私が数千年かけて編纂してきた『美食の定義』など、この一杯の前ではただの白紙だ! 素晴らしい……素晴らしいぞ、御子柴! 私は今、生まれて初めて『無知の悦び』を知ったッ!!」
彼はスープの最後の一滴までを飲み干すと、空になった丼を天に掲げ、咆哮した。
「記録だ! すべてを書き換えろ! 宇宙の真理は、この丼の底にあったのだ! ……御子柴! 頼む、もっと私に『知らないこと』を教えてくれ! 私の石板を、貴方の作る『理不尽』で埋め尽くさせてくれッ!!」
「……落ち着け。これ以上は有給の邪魔だ。……代わりにお前の知識も俺に寄越せ。俺も未知の食材を探す効率を上げたいんだ」
「ああ、安い御用だ! 私の全知、貴方の使いやすい形式(UI)に書き換えて差し上げよう! 何なら、植物の育て方から、魔物の解体チャートまで、すべてを網羅した『食の万能目録(Wiki)』として貴方の眼球にビルドしてやる!」
トートが狂ったように笑いながら指を鳴らすと、俺の視界に半透明のシステムウィンドウが展開された。
【新機能:神域の目録(Wiki)が解放されました】
• 鑑定対象の『最適な調理法』『育成マニュアル』を完全網羅。
• 備考:知識の神トートが、興奮のあまり一部の重要度を『マシマシ』に設定しています。
「……ふむ。これなら、北の山脈に眠る『断崖のニラ』の群生地も、土壌の質から逆引きできるな」
「ピヨッ!」
「主……。知識の神様が、完全に『向こう側』へ行っちゃいましたよ……」
ガウルが引き気味に見守る中、トートは砕け散った石板の破片を拾い集め、恍惚とした表情で俺のレシピを刻み込んでいた。
「……ガウル、行くぞ。Wikiによれば、この先に『発酵を司る精霊』の棲処があるらしい。……極上の醤油を作るための、最終工程を当てに行く」
「は、はいっ! どこまでもついていきます、主!」
もし続きが読んでみたい、面白いと思ったら下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、おじさんが喜びます!




