三話 人ならざるもの (3)
松が女官に目配せすると、淡い桃色の衣が運ばれてきた。
春霞を思わせる薄桃色の衣には、袖口と裾に銀糸で水紋が縫い取られている。
「小春様には、こちらがお似合いになるかと」
「これ、着ていいんですか?」
「もちろんでございます」
女官に手伝われながら袖を通す。見慣れない形の衣に少し戸惑ったものの、柔らかな布地は思いのほか肌馴染みがよかった。
「なんか……変な感じ」
袖を広げて眺めていると、松が満足そうに微笑んだ。
「よくお似合いでございますよ」
「ほんとですか?」
不意に襖が開いた。
「懐かしい匂いがするから来てみれば──なんだ、小娘か」
見知らぬ男が、当然のように部屋へ入ってくる。
「誰?」
すると、松も女官たちも膝を折り、深く頭を下げた。
「小春様、玄霄様の御前でございます──!」
小春は何が起こっているのかよく分からず、呆然と立ち尽くしていた。
「構わん」
艶やかな漆黒の長髪に、月光を閉じ込めたような銀の瞳。白嶺とはまた違う、人ならざる美しさに、小春は一瞬目を奪われた。
だが、玄霄が一歩踏み出すと、小春は思わず一歩後ずさった。
白嶺よりも一回り大きく見える体躯から、言いようのない威圧感が放たれている。
「な、なんですか……」
「お前、名は」
「小春ですけど……」
「……小春。──俺の子を産め」
「は?」
松と女官たちも思わず頭を上げた。
「今、なんて……」
「俺の子を産め」
「いやいや、そうじゃなくて」
「ならば、なぜ聞き返す」
「子を産めって、どういうことですか!?」
「そういうことだろう」
小春は頭を抱えた。
「悪いんですけど、私、彼氏いるので」
「……彼氏とはなんだ」
小春はますます頭を抱え、必死に言葉を探した。
「恋人! そう、恋人! 好きな人がいるってことです!」
「……伴侶がいるのか」
「いやまだ、そこまでは……」
「ならば問題あるまい──俺の子を産め」
「問題あります!──子は産みません!」
呆れた松が仲裁に入った。
「げ、玄霄様……小春様もお困りでございますので……」
「困ることなどあるまい」
「困ってます!!」
「まあいい。だが──」
玄霄は小春をじっと見つめた。
「やはり妙だな」
「……何がですか」
「お前の匂いだ」
「私、臭います!?」
「そうではない」
「じゃあなんですか!」
「俺にもわからん。だが、どこかで覚えがある」
そう言うと玄霄は踵を返した。
「そんなわけだ、白嶺によろしく言っておいてくれ」
「え、ちょっと──!」
小春が呼び止める間もなく、玄霄は部屋を出ていった。
しばしの沈黙が流れる。
先に口を開いたのは小春だった。
「……なんだったのあの人」
「玄霄様でございます」
「あの、玄霄様って何者ですか」
「幽冥国の国主でございます」
「国主……? 白嶺様と同じ?」
「はい。白嶺様と同じく龍神でございます」
龍神──聞きなれない言葉に小春は困惑した。
「龍神……? 人じゃないんですか?」
「人ではございません。私どもを含め、神域には人の子はおりません──人の形をしているからといって人とは限らないのです」
「人じゃない……松さんも?」
「はい。私は白嶺様に仕える神使でございます」
「じゃあ、人間は私だけ?」
「左様でございます」
小春は言葉を失った。
人の姿をした者がこれほどいるのに、その中に自分と同じ人間は一人もいない。
そう思うと、急に自分だけがこの世界から浮いているような気がした。
──やっぱり、ここは私のいる場所じゃない。




