十三話 疫病 (3)
しばらくすると、天翔車は着陸態勢に入った。
それまで一定だった風の音が変わり、天翔車がゆっくりと高度を下げていく。
「小春! 見ろよ!」
煤丸の弾んだ声に、小春は窓の外へ目を向けた。
「わぁ……」
眼下には、瑞穂国とはまるで違う景色が広がっていた。
陽の光を受けて煌めく、大小いくつもの湖。
そこから伸びる水路が大地を縫うように巡り、その間に白い石造りの建物が立ち並んでいる。
遠くにはひときわ大きな湖が広がり、水面は空の青を映して、まるで巨大な鏡のように輝いていた。
「綺麗……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
ここが、水鏡国。
蒼瀾が治める、水の国。
天馬が大きく翼を広げた。
ばさり、ばさり、と力強く羽ばたくたびに速度が落ちていく。
やがて蹄が地面に触れた。
続いて車輪が着地し、天翔車が僅かに揺れる。
「着いた!」
煤丸が真っ先に声を上げた。
小春たちは荷物を手に、天翔車を降りた。
目の前には、どこまでも澄んだ水の都が広がっている。
白い石造りの建物の間を縫うように、幾筋もの水路が巡っていた。陽の光を受けた水面はきらきらと輝き、緩やかな流れに合わせて光の粒が揺れている。
水路には小さな舟が浮かび、その上には色鮮やかな布で作られた日除けが張られていた。
風が吹くたびに水面がさざめき、青い空と白い雲を映しては、その姿をゆっくりと崩していく。
「すごい……」
小春は思わず息を呑んだ。
瑞穂国が桜と緑に包まれた国なら、水鏡国はまさしく水の国だった。
どこにいても、水の流れる音が聞こえる。
さらさらと水路を流れる音。
遠くで水が落ちる音。
そして、湿り気を帯びた涼やかな風。
「綺麗なところですね」
「ええ。水鏡国は、神域でも特に水の豊かな土地です」
彪基が答える。
「おいら、魚いるか見てくる!」
「煤丸、勝手に行っちゃダメ!」
「見るだけだって!」
水路へ駆け寄っていく煤丸を、小春は慌てて追いかけようとした。
──その時だった。
「ゴホッ……ゴホッ……!」
激しく咳き込む声が聞こえた。
小春の足が止まる。
「……あれ?」
改めて周囲を見回して、ようやく気づいた。
これほど大きく、美しい街なのに。
人が、あまりにも少ない。
閉ざされた店。
人の気配のない舟。
時折すれ違う者も、皆どこか疲れた顔をしている。
美しい水の都には似つかわしくない静けさが、街全体を覆っていた。
天翔車の中で耳にした旅人の言葉が、脳裏をよぎる。
──水鏡の都じゃ、日に日に病人が増えてるそうだ。
「……本当に、流行ってるんだ」
さっきまで胸を満たしていた感動が、ゆっくりと不安へ変わっていった。
「小春殿、参りましょう」
彪基に声をかけられ、小春は我に返った。
「……はい」
「おい、煤丸も行くぞ」
「分かってるって!」
水路を覗き込んでいた煤丸が、慌てて二人の後を追ってくる。
三人は水路に沿って続く白い石畳を歩き始めた。
「これから、どこへ行くんですか?」
「まずは蒼瀾様のもとへ。白嶺様から預かった書状をお渡しします」
「蒼瀾様のところに……」
小春は先ほど天翔車の中で耳にした話を思い出した。
──蒼瀾様が床に伏せってるって噂だ。
「……本当に、病気なんでしょうか」
「分かりません。ですが、直接お会いできれば確かめられるでしょう」
「そうですね」
そう答えたものの、小春の胸に残るざわめきは消えなかった。
歩みを進めるにつれ、街の奥にひときわ大きな建物が見えてくる。
幾重もの水路に囲まれた、白亜の宮殿だった。
陽の光を受けた壁は淡く輝き、青い屋根が水面に映り込んでいる。
「あそこが?」
「ええ。蒼瀾様のお住まいです」
「……綺麗」
小春は足を止め、宮殿を見上げた。
けれど、その美しさとは裏腹に、門の周囲にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
何人もの兵が出入りし、その間を薬箱らしきものを抱えた者たちが慌ただしく行き交っている。
嫌な予感がした。
三人が門へ近づくと、守衛がこちらへ歩み出た。
「止まれ。何者だ」
彪基が一歩前へ出る。
「瑞穂国より参りました。国主・白嶺様の使いです」
その言葉に、守衛の表情が変わった。
「白嶺様の……?」
「蒼瀾様にお目通り願いたい」
守衛は一瞬、言葉を詰まらせた。
その反応に、小春の胸がざわつく。
「何か?」
「……申し訳ございません」
守衛は静かに頭を下げた。
「現在、主上はどなたともお会いにはならないと。仮に白嶺様の遣いであっても……」
「え……」
小春は思わず、自分の左目に触れた。
──また……。
「理由を伺っても?」
彪基の声が僅かに低くなる。
「……申し上げられません」
「白嶺様より、蒼瀾様へ直接お渡しするよう仰せつかった書状があります。それでも?」
「申し訳ございません。どなたもお通しするなと主上から……」
守衛はもう一度、深く頭を下げた。
「書状でしたら、我々がお預かりいたします」
彪基は答えなかった。
いつも穏やかな彼の表情が、僅かに険しくなっている。
「……彪基さん」
小春がそっと呼びかけた、その時だった。
ずきん。
「っ……!」
突然、左目の奥に鋭い痛みが走った。
「小春殿?」
思わず目元を押さえる。
「だ、大丈夫です。ただ、急に目が……」
水鏡国へ近づいてから、時折感じていた微かな疼き。
気のせいだと思っていた。
しかし、先ほどまでとは明らかにちがう。
ずきん。
また、疼いた。
まるで何かに呼ばれているように。
小春はゆっくりと顔を上げた。
視線の先にあるのは、蒼瀾の住まう宮殿。
この奥に──。
何かがいる。
そんな気がしてならなかった。




