十三話 疫病 (1)
天翔車の中は、さほど揺れることもなく落ち着いていた。
彪基は手のひらほどの大きさの書物を読みながら、ゆったりと寛いでいる。
煤丸は窓に張り付き、しっぽをぶんぶんと振りながら外の景色を眺めていた。
小春が周囲を見回していると、旅人たちの会話が耳に入ってきた。
「蒼瀾様が床に伏せってるって噂だ」
「ほんとか?」
「ああ。聞いた話だが、疫病のせいらしい」
「国主様までか……」
──国主様って、白嶺様や玄霄様と同じ、龍の……?
「水鏡の都じゃ、日に日に病人が増えてるそうだ」
「国主が病気になりゃあ、民も犠牲になる……。ひでぇ世界だ」
「……どういうこと?」
思わず、小春の口から声が漏れた。
国主が病に伏していることと、民が病に倒れることに、何の関係があるのだろう。
「彪基さん」
小春は声を潜めて呼びかけた。
彪基が読んでいた書物から顔を上げる。
「今の話、聞こえてました?」
「ええ」
「国主が病気になると、民も犠牲になるって……どういう意味ですか?」
彪基はすぐには答えなかった。
手にしていた書物を閉じ、膝の上へ置く。
「この神域において、国主とは、ただ国を治めるだけの存在ではありません。それぞれの国を流れる龍脈と、深く結びついているのです」
「龍脈……」
「瑞穂国なら白嶺様。幽冥国なら玄霄様。そして水鏡国なら、蒼瀾様が」
彪基は一度、言葉を切った。
「国主が弱れば、龍脈にも少なからず影響が及びます」
「じゃあ、蒼瀾様が病気だから、水鏡国の人たちまで……?」
「いえ」
彪基は静かに首を振った。
「どちらが先なのかは、まだ分かりません」
「どちらが……?」
「蒼瀾様が病に伏したことで国が弱っているのか。それとも──」
窓から差し込む光が、彪基の横顔を照らす。
「水鏡国そのものに起きている異変が、蒼瀾様にまで及んでいるのか」
小春は無意識に、自分の左目へ触れた。
そこには、現世ノ水鏡の欠片が宿っている。
水鏡国。
疫病。
そして、病に伏した龍。
偶然なのだろうか。
胸の奥に、言いようのないざわめきが広がっていった。
「それじゃあ、白嶺様が病気にでもなったら……」
「そう簡単に、白嶺様が病に伏されることはありません。龍の身体は不老不死ですから」
「……不老不死」
小春はその言葉を繰り返した。
──白嶺様と玄霄様。そして、蒼瀾様は不老不死の龍。
人とは違う。
老いることもなく、病に蝕まれることもない。
ならば──。
「ちょっと待ってください」
小春は顔を上げた。
「それなら、蒼瀾様が病気なのはおかしくないですか?」
彪基の表情が僅かに険しくなった。
「ええ。私も、それが気になっていたところです」
「やっぱり……」
「ただの噂であればよいのですが」
彪基は窓の外へ視線を移した。
「もし本当に、蒼瀾様が疫病によって床に伏しておられるのなら──」
そこで言葉を切った。
「水鏡国で流行しているものは、我々が考えているような病ではないのかもしれません」
天翔車は何事もないかのように、青い空を進んでいく。
その先に待つ、水鏡国を目指して。
小春はもう一度、左目にそっと触れた。
なぜだろう。
まだ何も見ていないはずなのに。
その奥が、微かに疼いたような気がした。




