十二話 旅立ちと天翔車 (1)
そして、出立の時──
瑞穂の都には、まだ朝靄が薄く残っていた。
城門の前には、旅支度を整えた小春と彪基、そして煤丸の姿がある。 少し離れたところでは、二頭の天馬が白い息を吐きながら、馬車の出発を静かに待っていた。
「……本当に、行くんだ」
小春はそう呟いて、振り返った。
見慣れ始めていた瑞穂の街並み。
初めて目を覚ましたあの日から、決して長い時を過ごしたわけではない。
それでも今は、不思議なくらい名残惜しかった。
「小春」
聞き慣れた声に顔を上げる。
白嶺が、そこに立っていた。
「白嶺様」
「身体には気をつけるのだ」
「はい」
小春は小さく頷いた。
白嶺はそれ以上、何も言わなかった。
ただ金色の瞳で、小春の姿をじっと見つめている。
その眼差しが、いつもより少しだけ寂しそうに見えた。
「……白嶺様?」
「なんだ」
「寂しいですか?」
不意に問われ、白嶺はわずかに目を細めた。
「寂しくないと言えば、嘘になるな」
「……私もです」
そう答えると、白嶺の大きな手が伸びて小春の頭をそっと撫でた。
「だが、お前が決めたことだ」
髪を梳くように指先が滑る。
「ならば私は、お前の帰りをここで待とう」
「……はい」
「何かあれば、すぐに戻ってこい。旅を続けることだけが正しいわけではない」
「はい」
「無茶もするな」
「はい」
「知らぬ者について行くな」
「……子どもじゃないですよ、私」
「私から見れば十分に子どもだ」
「もう……」
思わず頬を膨らませる。
しかし、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、いつもの白嶺らしくて。
少しだけ、安心した。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、気をつけて」
小春は白嶺に背を向け、馬車へと歩き出した。
彪基に手を借り、馬車へ乗り込む。煤丸もその後を追うように、ひょいと荷台へ飛び乗った。
「おいら、こんなの初めてだ!」
煤丸は落ち着かない様子で、馬車の中をきょろきょろと見回している。
やがて御者が手綱を握った。
「では──参ります」
二頭の天馬がゆっくりと歩き始める。
車輪が回り、馬車が城門を抜けていく。
小春は窓から身を乗り出すようにして、後ろを振り返った。
白嶺は、まだそこにいた。
遠ざかっていく小春を、ただ静かに見つめている。
「白嶺様ー!」
小春は大きく手を振った。
「行ってきます!」
白嶺が、ほんの僅かに笑った。
「──行っておいで、小春」
その声は、もう小春の耳には届かなかった。
それでも小春は、いつまでも手を振っていた。
白い姿が、見えなくなるまで。
「この馬車はどこまで行くんですか?」
「大渓谷の近くにある、天翔車乗り場に向かいます」
「天翔車……?」
聞き慣れない言葉に、小春は首を傾げた。
「天馬が牽く馬車ですよ。大渓谷を越えるための」
「空を飛ぶ馬車ってことですか?」
「ええ。四国を行き来するには、大渓谷を越えなければなりませんから」
「へぇ……」
小春は窓の外へ目を向けた。
瑞穂の景色が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
見慣れた桜の色も、白嶺のいる都も、もうずいぶん遠くなっていた。
「大渓谷って、そんなに大きいんですか?」
「底が見えぬほどに」
「……えっ」
思わず、彪基の顔を見る。
けれど彼は冗談を言っている様子もなく、いつもの落ち着いた顔で座っている。
「怖くなりましたか?」
「……ちょっとだけ」
正直に答えると、足元にいた煤丸がひょこりと顔を上げた。
「大丈夫だって! 落ちなきゃいいんだろ?」
「煤丸、それ全然安心できない」
「そうか?」
煤丸は不思議そうに首を傾げた。




