十一話 旅支度 (2)
しばらくして――。
「……どうですか?」
おそるおそる姿を現した小春を見て、彪基が目を瞬かせた。
淡い桜色の上衣は身体に沿うように仕立てられ、袖はこれまでの着物より短い。下には深い臙脂色の袴を合わせ、足元には焦茶色の丈夫な履物。
先ほどまでの柔らかな装いとは違う。
しかし、小春らしさが失われたわけではなかった。
「小春!」
煤丸が駆け寄ってくる。
「似合ってるぞ!」
「ほんと?」
「おう! おいらとお揃いだ!」
煤丸は背負った臙脂色の風呂敷を得意げに見せた。
「あ、本当だ」
小春は嬉しそうに笑った。
「いかがでしょう、彪基さん」
「ええ。大変よくお似合いです」
彪基は頷き、それから小春の姿を改めて眺めた。
「これならば、長旅にも差し支えないでしょう」
「じゃあ、これにします!」
「ありがとうございます」
女は微笑んだ。
小春はもう一度、自分の姿を見下ろした。
三日後、この衣を着て旅に出る。
水鏡国へ。
そして、その先にあるまだ見ぬ国々へ。
胸の奥に、期待と不安が入り混じった。
──いよいよなんだ。
宮に戻ると小春は小走りで白嶺のいる書院へと向かった。
「白嶺様!」
勢いよく戸を開ける。
書院では、白嶺が机に向かい、何やら書物に目を通していたが、小春の声に顔を上げた。
「戻ったか、小春」
「ただいま!」
「ああ。おかえり」
その言葉に、小春は一瞬だけ目を瞬かせた。
神域へ来た日に聞いたものと同じ言葉。
しかし、今はもう不思議には感じなかった。
「白嶺様、見てください!」
小春は両腕を少し広げ、その場でくるりと一回転した。
「旅の服、買ってきました!」
淡い桜色の上衣が、ふわりと揺れる。
深い臙脂色の袴に、歩きやすい丈夫な履物。これまでの小春とは少し違う、旅人らしい装いだった。
白嶺は手にしていた書物を置いた。
金色の瞳が、ゆっくりと小春の姿を追う。
「……どうですか?」
「ああ。よく似合っている」
「ほんとですか?」
「ああ」
小春の顔がぱっと明るくなった。
「よかった。私も気に入ってるんです」
白嶺はそんな小春を見つめ、僅かに目を細めた。
「そうか」
「白嶺! おいらもいるぞ!」
遅れて書院へ飛び込んできた煤丸が、臙脂色の風呂敷を背負った姿をこれでもかと見せつける。
「どうだ!」
白嶺は煤丸を見る。
「……似合っている」
「だろ!」
「中には何を入れた」
「食いもん!」
小春は呆れながら笑った。
「やっぱり食べ物なんだ。──あ、そうだ。白嶺。見せてほしいものがあるんです」
「なんだ」
「刻を知るための道具、白嶺様なら知ってるかもしれないって彪基さんが」
すると、白嶺は書院の奥にある棚からとあるものを取り出して机に置いた。
「これだ」
「……これが?」
小春は机の上を覗き込んだ。
そこに置かれていたのは、手のひらほどの大きさをした透明な器だった。 丸い器の中には淡く光る水が満たされ、その中央には細い針のようなものが浮かんでいる。
「時計……とは、全然違う」
「これを刻環という」
「こくかん?」
「ああ。龍脈の巡りを読み、刻を示す神具だ」
白嶺が指先で器の縁に触れる。
すると、中の水が淡い光を放ち、浮かんでいた針がゆっくりと動いた。
「わ……!」
小春は顔を近づけた。
「動いた!」
「龍脈は絶えず神域を巡っている。その流れには一定の周期がある。これは、その巡りを刻として表したものだ」
「じゃあ、太陽が出てなくても時間が分かるんですか?」
「ああ。夜でも、雨でも変わらん」
「すごい……」
小春はしばらく刻環を眺めていたが、やがて首を傾げた。
「……で、今何時ですか?」
「なんじ?」
「あ」
白嶺と小春は顔を見合わせた。
「そうだった……時間の数え方から違うんだった」
白嶺はふっと笑みを浮かべた。
「小春、刻の数え方を教えよう」
「はい!」
小春は白嶺の隣へ腰を下ろし、机の上の神具を覗き込んだ。
「神域では、一日を十二の刻に分けている」
「十二?」
「ああ。日の巡りに合わせ、それぞれに名がある」
白嶺は神具を指さした。
「今は未の刻だ」
「ひつじ……?」
小春は目を瞬かせた。
「それって、動物の羊ですか?」
「そうだ」
「じゃあ、ねずみとか牛とかも?」
「ある」
「あ、それ知ってる!」
小春はぱっと顔を上げた。
「十二支ですよね?」
「じゅうにし?」
「あ……こっちでは十二支って言わないんだ」
白嶺は不思議そうに小春を見る。
「現世にも同じものがあるのか」
「あります。子、丑、寅、卯……って。時間にも使ってたはずです」
「ほう」
今度は白嶺の方が興味深そうに目を細めた。
「現世と神域。異なる世界でありながら、同じものが残っているのだな」
「……不思議ですね」
小春はもう一度、神具へ目を落とした。
「じゃあ、未の刻って……今でいう何時くらいなんだろう」
「なんじ、という数え方は分からんが、日はすでに最も高いところを過ぎている」
「だったら……二時くらいかな?」
小春は指を折りながら考え始めた。
「子の刻が夜の十二時くらいだから……」
「小春」
「はい?」
「急いで覚える必要はない。子と午さえ覚えれば大丈夫だ」
白嶺は穏やかに言った。
「それと、分からなければ私に聞けばよい」
「……それじゃ、いつまで経っても覚えられませんよ」
「それでも構わん」
「私が困ります」
「そうか」
白嶺はどこか残念そうに答えた。
「でも、子と午……」
小春は口の中で繰り返し、ふと顔を上げた。




