十話 銭 (1)
小春と煤丸は部屋で過ごしていた。
「ねぇ、煤丸」
「んー?」
「じゃあ、朝とか夜とかどうしてるの?」
「明るくなったら起きて、暗くなったら寝る」
「……時計とかないの?」
「とけい?」
「時間を見るもの」
「そんなもの見たことも聞いたこともないぞ」
「そっか……」
「そんなことより、小春。その左目なんか変だぞ」
煤丸は小春の左目をじーっと見つめながら言った。
「あぁ、これはね──」
そこへ彪基がやって来た。
「小春殿、旅支度に必要なものを買いに行きませんか?」
「旅支度?」
「はい。市場で必要なものを揃えに。水鏡国までは長い道のりになりますから、必要なものは今のうちに揃えておいた方がよいかと」
「行きます!」
小春が立ち上がると、煤丸もぴょんと床へ飛び降りた。
「おいらも行く!」
「もちろんです」
小春は部屋を出ようとして、ふと足を止めた。
「あ、そうだ。彪基さん」
「はい?」
「こっちって、時間はどうやって数えるんですか?」
彪基は一瞬、不思議そうな顔をした。
「刻のことでしょうか」
「刻?」
「ええ。日の高さや、街で鳴らされる鐘で知ることができます」
「鐘……」
「そろそろ鳴る頃ですよ」
その言葉を待っていたかのように──
ゴォン──。
遠くから、低い鐘の音が響いた。
「あ、これ?」
「ええ」
小春はどこか感心したように窓の外を見た。
「ほんとに時計ないんだ……」
「白嶺様でしたら、刻に関するものをお持ちかと……」
「そうなんですね! どんなものなんですか?」
「私も詳しくは存じません。ただ、日の動きに頼らず刻を知ることのできる神具だそうです」
「神具……時計みたいなものかな」
「とけい、というものが私には分かりませんで……」
「あ、そっか」
小春は少し考え込んだ。
「白嶺様、見せてくださるでしょうか?」
「小春殿になら見せてくださるでしょう」
「じゃあ、帰ってきたら頼んでみます!」
「はい。──では、行きましょうか」
「おいらも行くぞ!」
そう言って煤丸は小春の肩に飛び乗った。
宮を出ると、小春は彪基の横顔を見た。
「ちなみに、何を買いに行くんですか?」
「まずは小春殿の旅装を。それから道中の食糧や薬、雨具などを揃える予定です」
「旅装……服も変えるんですか?」
「ええ。水鏡国までは長い道のりになります。今のお召し物では動きにくいでしょう」
小春は自分の袖を摘まんだ。
「確かに、これで山道を歩くのは大変そう……」
「それから、履物も用意しましょう」
「結構買うものあるんですね」
「旅ですからね」
「食いもんは?」
肩の上から煤丸が口を挟んだ。
「もちろん買いますよ」
「いっぱいか?」
「必要な分だけです」
「いっぱい必要だぞ!」
小春は思わず笑った。
「煤丸、食べることばっかり」
「腹が減ったら旅なんてできねぇだろ!」
「それはそうだけど」
三人が話しながら歩いていると、やがて賑やかな市場が見えてきた。
通りの両脇には、木造の店が軒を連ねている。店先には瑞々しい野菜や色鮮やかな果実、干した魚や薬草が所狭しと並び、行き交う人々の声が絶え間なく響いていた。
「採れたてだよ! 見ていっておくれ!」
「そこの兄さん、今日はいい玉が入ってるよ!」
威勢のいい声に混じって、どこからか香ばしい匂いが漂ってくる。
「いい匂い……」
小春が思わずそちらへ顔を向けると、肩の上の煤丸も同時に鼻をひくつかせた。
「小春! あっちだ!」
「煤丸、私たちは旅支度に来たんだよ」
「腹ごしらえも旅支度だ!」
「まだ旅立ちは三日後ですよ」
彪基の冷静な一言に、煤丸は不満そうに尻尾を揺らした。
小春はそんな煤丸に笑いながら、改めて市場を見渡した。
以前訪れた時には、何もかもが珍しくて目に入るものを追うだけで精一杯だった。
しかし、今は少し違って見える。
──ここも、私が生まれた世界なんだ。




