九話 どちらも、お前だ (2)
「玄霄……」
白嶺が静かに振り返る。
「いつからそこにいた」
「さてな」
玄霄は白嶺の視線など気にも留めず、小春の傍まで歩み寄った。
「四国を巡るのであろう?」
「……はい」
「なら、まず幽冥国へ来い」
「駄目だ」
間髪を入れず、白嶺が答えた。
「……何故お前が決める」
「南からだ」
「北からでも同じだろう」
「南からだ」
玄霄が眉を寄せる。
「貴様、まさか──」
「水鏡国、烈陽国の順に巡り、一度瑞穂国へ戻る。それから幽冥国だ」
「明らかに俺の国だけ後回しではないか」
「気のせいだ──では、小春。帰るぞ」
「えっ、玄霄様は……?」
「玄霄など、一人で帰れる」
「待て、白嶺。話は終わっていない」
「私は終わった」
「俺は終わっていない」
「知らん」
──二人とも仲がいいんだね。
小春はくすっと笑みを浮かべた。
自分が何者なのかを知ってから、初めて零れた笑みだった。
そして、一雫の涙がこぼれた。
「……あれ?」
小春は慌てて頬を拭った。
悲しいのか、嬉しいのか、自分でも分からなかった。
ただ、張り詰めていたものが、ほんの少しだけ解けたような気がした。
「小春」
白嶺が名を呼ぶ。
「大丈夫です」
小春はもう一度、笑った。
「私、帰れるんですよね」
「……ああ」
「だったら、行きます。四つの国へ」
未だ何か言いたげな玄霄を白胎殿に残し、白嶺と小春は瑞穂国へと戻った。
書院の中庭に着くと、小春はどこか物言い気に白嶺の方を見た。
「そういえば、白嶺様」
「なんだ」
「三毛猫を遣わせたのってどうしてですか?」
「猫だと? 私は猫を遣わせてはいない」
「……え?」
小春は思わず足を止めた。
「でも、あの日……三毛猫が私を神社まで案内してくれたんです」
白嶺の金色の瞳が、僅かに細められた。
「詳しく話せ、小春」
「白嶺様の声がして、三毛猫が神社の方に向かっていくから追いかけて……」
「それで、あの神社に辿り着いたのか」
「はい。だからてっきり、白嶺様が遣わせたのかと」
白嶺は黙り込んだ。
「私は神響でお前を呼んだだけだ。猫など遣わせてはいない」
「じゃあ、あの猫は……?」
小春の問いに、白嶺は答えなかった。
やがて、その視線が遠く聳える神胤嶺へ向けられる。
「白嶺様?」
「……いや」
白嶺は僅かに目を細めた。
「今はまだ、分からない」
白嶺が書院の中に入ると、小春もそれに続いた。
「出立は三日後とする」
「三日後? 白嶺様、どうして?」
「目を覚ましたばかりのお前を、すぐに旅へ出せると思うか──それに、鏡の欠片がその瞳に宿ったままでは……」
「でも、私なら大丈夫です」
「駄目だ」
即答だった。
「三日間、身体を休めなさい。その間に旅の支度はこちらで整える」
「……はい」
小春は少し不満そうに返事をした。
そんな小春を見て、白嶺は小さく息を吐く。
「急く気持ちは分かる。だが、これから向かうのは瑞穂国の外だ。何が起こるか分からない」
その言葉に、小春は黙って頷いた。
三日──。
今までの十七年に比べれば、ほんの僅かな時間だ。
それでも、帰る方法を知ってしまった今は、その三日さえ長く感じられた。
「小春ー!」
遠くから煤丸の声が聞こえた。
振り返ると、黒い小さな影が廊下を駆けてくる。
「煤丸」
煤丸は小春の足元まで来ると、そのまま勢いよく肩へ駆け上がった。
「半日もどこ行ってたんだよ! めちゃくちゃ心配したんだぞ!」
「ごめんね。白嶺様と少し出かけてたの」
「少しって、おいら寂しかったんだぞ!」
「ごめん、ごめん」
頬を寄せてくる煤丸の頭を、小春は指先で撫でた。
「……煤丸」
「なんだ?」
「私、旅に出ることになった」
煤丸の動きがぴたりと止まった。
「旅?」
「うん。現世に帰るために、四つの国を巡るの」
煤丸はしばらく小春を見つめていた。
「なら、おいらも行く」
「え?」
「当たり前だろ」
煤丸は小さな胸を張った。
「おいら、小春に恩返しがしてぇんだ」
小春は目を丸くした。
それからふふっと笑みを見せた。
「ありがとう、煤丸。一緒に来てくれる?」
「当たり前だろ!」
煤丸は嬉しそうに尻尾を揺らした。
「じゃあ、一緒に行こう」
「おう!」
小春の肩の上で、煤丸は得意げに胸を張った。
そこへ、一人の兵士が書院にやってきた。
男は白嶺の前まで来ると、片膝をついて深く頭を下げる。
「主上、お呼びでしょうか」
「ああ」
白嶺は小春へ視線を向けた。
「小春。先ほど話した、旅に同行する者だ」
「この人が……?」
小春が男を見ると、兵士は立ち上がり、今度は小春へ向き直った。
「これより道中、護衛を務めさせていただきます……小春殿?」
やってきた人物は、小春を宮まで案内した彪基であった。




