八話 白胎殿 (3)
白嶺が卵を現世へ送り出してから、十七年の歳月が過ぎた。
その間も、白嶺は何度となく白胎殿を訪れていた。
かつて桜色の卵を守っていた台座は、今も空のままだった。
ある日、白嶺は現世ノ水鏡の前に立っていた。
右鏡と左鏡に挟まれた鏡面には、一人の少女の姿が映し出されていた。
長い黒髪。
見覚えのある、あの鱗の痣。
「……小春」
十七年前、自らの手で現世へ送り出した桜色の卵。
その卵は今、人の姿となって現世で生きていた。
「もう、十七年か」
白嶺は静かに目を細めた。
「白嶺」
「白嶺」
傍らにいた右鏡と左鏡が声を揃える。
「時が近い」
「近い」
白嶺の金色の瞳が、僅かに揺れた。
「ああ。そうだな──小春」
鏡の向こうでは、一人の少女が笑っていた。
友人たちに囲まれ、何の変哲もない日常を過ごしている。
十七年前、白嶺の腕の中にあった小さな卵。
それが今、人として生きている。
白嶺は何も言わず、その姿を見つめていた。
「幸せそうだ」
その声は、どこか安堵しているようにも聞こえた。
「もうすぐ、十八度目の春か」
白嶺は踵を返した。
現世ノ水鏡には、何も知らない小春の笑顔が映っている。
白嶺はそれ以上振り返ることなく、その場を後にした。
──その時が来るまでは。
白嶺は瑞穂国の社がある石段の上に立っていた。
辺りは静まり返り、木々の葉が風に揺れる音だけが聞こえている。
白嶺は目を閉じた。
微かに──何かを感じる。
懐かしい気配だった。
十七年前、自らの手で現世へ送り出した、小さな命。
「……小春」
白嶺はその名を呼んだ。
声ではない。
強い縁を持つ者同士を繋ぐ、神響。
『小春』
しばらく、何も返ってこなかった。
しかし──
『……誰?』
白嶺の金色の瞳が、大きく見開かれた。
繋がった。
十八年近い時を隔ててなお、二人を結ぶ縁は消えていなかった。
『小春、こっちだ』
神響を辿るように、小春の気配が僅かに動いた。
白嶺は静かに目を閉じ、その気配を追う。
近づいてくる。
少しずつ、こちらへ。
「……そうだ。そのまま来なさい」
小春の気配が近づくと、白嶺は空中に陣を描いた。
指先が宙をなぞるたび、淡い金色の光が軌跡を残し、幾重もの紋様を形作っていく。
やがて陣が完成すると、石段の下にある鳥居が淡い光を帯びた。
風が吹く。
鳥居の向こうの景色が、水面のようにゆらりと揺らいだ。
白嶺は静かに、その時を待った。
十七年前、自らの手で送り出した小さな命。
その気配が、今度こそ確かにこちらへ近づいてくる。
『そのまま、こちらへ』
やがて──
揺らめく鳥居の向こうに、一人の少女の姿が浮かび上がった。
白嶺の金色の瞳が、僅かに揺れる。
桜色の卵ではない。
十七年の時を経て、人の姿となった小春がそこにいた。
白嶺はただ黙って、その姿を見つめていた。
長かった。
あまりにも、長かった。
それでも口から零れた言葉は、たった一つだった。
「──おかえり、小春」
小春は再び光に包まれた。
「……っ」
眩しさに目を閉じる。
滝の音が遠ざかり、白嶺の姿も光の中へ溶けていく。
やがて、静寂が戻った。
小春が恐る恐る目を開く。
そこには、草木に覆われた白胎殿があった。
目の前には古びた台座。
そして、その傍には──白嶺が立っていた。
「……白嶺様」
声が震えた。
何から聞けばいいのか分からない。
桜色の卵。
厄災。
龍神神社で祈っていた父と母。
そして、自分を現世へ送り出した白嶺。
すべてが、一本の糸で繋がっていく。
「あの卵……」
小春は自分の胸元へ手を当てた。
「私、だったんですか……?」




