五話 帰りたい (1)
申三つ時、小春は松とともに宮に戻ってきた。その傍らには煤丸の姿もある。煤丸を連れてきたのは、放っておけなかったからだ。
宮を出る時は賑やかだった小春もすっかり口数が減ってしまった。
「夕餉の支度をいたします。お部屋の方でお休みください」
そう告げると松は厨へ向かってしまった。
小春は煤丸とともに長い廊下を歩く。
ふと目を閉じると、今でも瞼の裏にあの光景が浮かんだ。
煤丸の母の身体から零れた、淡い光。
『煤丸や──元気でね……』
「お母さん……」
自身の母のことを思い出した。料理を作る姿、リビングを掃除する姿、小春を起こしに来る姿。どれもかけがえのないものだった。
昨日の朝だって、当たり前のように「いってらっしゃい」と送り出してくれた。
まさか、そのまま帰れなくなるなんて思いもよらなかった。
小春は隣を歩く煤丸へ目を落とした。
煤丸は俯いたまま、母の遺した星の実を大事そうに抱えている。
「煤丸」
「なんだ?」
「お母さんに、大好きって言えてよかったね」
「ああ……」
煤丸は星の実を抱く腕に、ぎゅっと力を込めた。
「ちゃんと言えてよかった」
その言葉が、小春の胸に深く刺さった。
自分はどうだろう。最後に母になんと伝えただろう。
『絶対、帰ってくるから!』
不意に、昨日の自分の声が蘇った。
「帰らなきゃ……」
その時、松に言われた言葉を思い出した。
『白嶺様は今朝早くに宮を出られ、戻られるのは戌の刻──日が暮れてしばらくした頃でございます』
まだ、帰ってこない。分かっている、あと数刻待てばいいだけだ。
しかし、今の小春には、その時間さえひどく長いと思えた。
もう「いつか帰れる」で待っていることはできなかった。
煤丸は母に伝えることができた。大好きだと。けれど自分は、まだ何も伝えていない。あの約束だけを残して、いなくなってしまった。
「……私、帰らなきゃ」
小春は胸元の勾玉を、ぎゅっと握りしめた。




