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記憶買取店  作者: ダイヤマ


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3/6

第3話 罪を忘れたい男


「人を殺した記憶は、いくらになりますか?」


 店に入ってきた男の第一声が、それだった。


 黒瀬直人は、思わず持っていた雑巾を落とした。


「……はい?」


 男は四十代くらい。


 紺色のスーツに、黒い革靴。


 どこにでもいそうな会社員だった。


 ただ一つ気になったのは、その顔だった。


 ひどく疲れている。


 目の下には濃いクマ。


 頬も痩せていた。


「だから」


 男はもう一度言った。


「人を殺した記憶です」


 直人は店主を見る。


 神崎宗一郎はいつもと変わらない表情だった。


「まずは、お掛けください」


 男はカウンター席に座った。


「お名前を伺っても?」


「高木です」


「高木さん。人を殺した、というのは?」


「三年前です」


 高木は自分の両手を見つめた。


「車で、人をはねました」


     ◇


 三年前の十一月。


 午後十一時過ぎ。


 高木は仕事を終え、車で自宅へ向かっていた。


 雨が降っていた。


 場所は郊外の県道。


 街灯も少ない。


「気づいた時には、目の前に人がいました」


 高木の声は淡々としていた。


 何百回も同じ話をしてきた人間の話し方だった。


「ブレーキを踏みました。でも、間に合わなかった」


 男性は死亡。


 二十九歳だった。


「警察の調べでは、私に重大な過失はないということになりました」


「だったら……」


 直人が口を挟む。


「仕方なかったんじゃないの?」


 高木が直人を見る。


「仕方ない?」


 その目を見て、直人は言葉に詰まった。


「人が一人死んでるんですよ」


「……すみません」


「いえ」


 高木は視線を落とした。


「警察にも言われました。避けるのは難しかったと」


 だが、高木自身はそう思っていなかった。


「あの日、私は疲れていました」


 連日の残業。


 睡眠不足。


 事故直前。


 一瞬だけ、意識が飛んだ。


 そんな記憶があるという。


「もし私がちゃんと前を見ていたら、あの人は死ななかった」


 三年間。


 その考えが頭から離れない。


 仕事を辞めた。


 車も手放した。


 眠ろうとすると事故の瞬間が蘇る。


 雨。


 ヘッドライト。


 男性の顔。


 衝撃音。


「もう限界なんです」


 高木は言った。


「だから、消してください」


「事故の記憶を?」


「全部です」


 神崎はしばらく高木を見ていた。


「分かりました。まず査定しましょう」


     ◇


 直人は、昨日と同じモニターの前に座っていた。


 椅子には高木。


 神崎が装置を取りつける。


「また俺が見るの?」


「それが仕事です」


「まだ二日目なんだけど」


「経験するのが一番早い」


「ブラック企業の言い分だな」


 神崎は無視した。


「高木さん。準備はよろしいですか?」


「はい」


 装置が起動する。


 画面が白くなる。


 そして――。


 雨。


 車のフロントガラス。


 ワイパーが一定の速度で動いている。


 午後十一時十二分。


 高木は運転していた。


 ラジオから女性の声。


 道路には他の車がほとんどいない。


『疲れた……』


 高木が呟く。


 目を擦る。


 直人は画面を見つめた。


「ここです」


 椅子の上の高木が言った。


「この後、私は……」


 映像が一瞬揺れる。


 高木の目が閉じた。


 次の瞬間。


 ヘッドライトの中に男がいる。


『うわっ!』


 急ブレーキ。


 タイヤが滑る。


 男の顔。


 衝撃。


 鈍い音。


 画面が激しく揺れた。


「止めて!」


 高木が叫んだ。


 神崎が再生を止める。


 荒い呼吸。


「……これです」


 高木は震えていた。


「毎晩、これを見る」


 直人も気分が悪くなっていた。


 確かに、高木は事故直前に目を閉じている。


「査定額は?」


「事故そのものだけなら、十二万円程度でしょう」


「お願いします」


「待って」


 直人が言った。


 高木と神崎が見る。


「もう一回見せて」


「何をです?」


「事故」


 高木の顔が強張る。


「嫌です」


「ごめん。でも、ちょっと気になる」


「何が?」


「分からない」


 直人はモニターを指さした。


「だから確認したい」


 神崎が直人を見る。


 その表情がわずかに変わった。


「どこからです?」


「事故の十秒くらい前」


 映像が巻き戻る。


 ワイパー。


 雨。


 高木が目を擦る。


『疲れた……』


「ここ」


 直人は画面へ近づく。


 高木の目が閉じる。


 一秒。


 二秒。


 そして、男性が現れる。


「……違う」


 直人が呟いた。


「何が?」


「この人、歩いてない」


 高木が顔を上げた。


「え?」


 もう一度。


 スロー再生。


 道路脇。


 ガードレールの横に男性が立っている。


 高木の車が近づく。


 その瞬間。


 男性は道路へ飛び出した。


「……は?」


 高木の口が開いた。


「もう一回」


 再生。


 男性は確かに車を確認している。


 そして自分から車道へ。


「嘘だ」


 高木が呟く。


「そんな……」


「もう少し前から」


 直人が言う。


 事故の三十秒前。


 高木は運転している。


 目は開いている。


 前を見ている。


 確かに疲れてはいる。


 しかし居眠りしているようには見えない。


「でも俺……」


 高木が混乱する。


「俺は寝てた」


「一瞬、目を閉じてる」


 直人は答えた。


「でも、この人が飛び出したのはその直後だ」


「違う」


「何が?」


「俺は……」


 高木は頭を押さえた。


「俺が前を見てなかったから……」


「警察は何て?」


「避けられなかったって」


「じゃあ、警察の調べとこの映像は一致してる」


 高木は黙った。


 神崎が口を開く。


「もう一つ、確認してみましょう」


 事故直後。


 車を降りる高木。


 道路に倒れた男性。


『大丈夫ですか!』


 高木が駆け寄る。


 救急車を呼ぶ。


 必死に男性へ声をかける。


 その時。


 倒れている男性の上着から、一枚の紙が落ちた。


「止めてください」


 神崎が映像を拡大する。


 紙には手書きの文字。


『家族へ』


 高木の顔から血の気が引いた。


「……遺書?」


 その後の警察資料でも、自殺の可能性は指摘されていた。


 だが高木は、それを受け入れなかった。


「俺は……」


 高木の目から涙が流れた。


「知ってた?」


「意識としては、受け入れていなかったのでしょう」


 神崎が言う。


「そんなことあるんですか?」


「あります」


 高木の中では、


『自分が疲れていた』


『一瞬目を閉じた』


『その直後に事故が起きた』


 という三つの事実がつながった。


 そして、


『自分の居眠りが人を殺した』


 という一つの物語になった。


「でも……」


 高木は首を振る。


「俺が殺したことに変わりない」


「そう思うなら、それもあなたの自由です」


 神崎は淡々と言った。


「ただし」


 モニターを見る。


「あなたが三年間苦しんできた記憶と、実際にあなたの脳に残っていた情報は、同じものではありません」


     ◇


「どうします?」


 店へ戻った。


 神崎が契約書を置く。


「予定通り、事故の記憶を買い取ることもできます」


 高木は契約書を見ていた。


 長い沈黙。


 やがて。


「……やめます」


 神崎が契約書を下げる。


「よろしいのですか?」


「忘れたら」


 高木はゆっくり話す。


「俺はまた、自分を人殺しだと思う気がします」


 直人は高木を見る。


「だから、覚えておきます」


「何を?」


「俺が前を見ていたことも」


 高木は少しだけ笑った。


「それでも助けられなかったことも」


 店を出る。


 カラン。


 ベルの音。


 昨日の母親と同じだった。


 結局、今日も記憶を買い取らなかった。


「この店、儲かってんの?」


 直人が聞いた。


「ご心配なく」


「二日連続で売上ゼロじゃん」


「あなたの給料程度なら払えます」


「ならいいけど」


 直人は椅子に座った。


 だが頭の中では、先ほどの記憶が繰り返されていた。


「なあ、店主」


「はい」


「さっきの話」


「何でしょう」


「高木さん、本気で自分が居眠りして人を殺したと思ってたんだよな?」


「そうでしょうね」


「でも、実際に残ってた記憶は違った」


「正確には」


 神崎が棚を整理しながら答える。


「脳に残っている情報と、本人が思い出す記憶が違った、ということです」


「同じじゃないの?」


「違います」


 神崎は一本の瓶を手に取った。


「人間の記憶は、カメラではありません」


「……?」


「出来事をそのまま保存しているわけではない」


 瓶の中の光が揺れる。


「人は思い出すたびに、記憶を作り直します」


「作り直す?」


「感情、思い込み、他人から聞いた話。その時の自分に都合のいい解釈」


「そういったものが少しずつ混ざる」


「じゃあ」


 直人は言った。


「本人が百パーセント覚えてることでも、実際には起きてない可能性がある?」


「あります」


「例えば……」


 直人は少し考える。


「誰かを殺した記憶があったとしても?」


 神崎の手が止まった。


 ほんの一瞬。


 だが直人は見逃さなかった。


「……何?」


「いいえ」


 神崎は瓶を棚へ戻す。


「理論上は、そうですね」


「ふーん」


 直人は何気なく笑った。


 しかし。


 頭の奥。


 また、あの映像が見えた。


 暗い山。


 雨。


 血。


「っ……」


 直人は額を押さえた。


「またか」


「どうしました?」


「この前と同じ」


 血に濡れた手。


 誰かが倒れている。


 女。


 顔が見えない。


 直人は必死に思い出そうとする。


 すると。


『直人』


 女の声がした。


「……!」


 映像が消える。


「誰だ……?」


「何が見えました?」


 神崎が聞く。


「女」


 直人は答えた。


「誰か分からない」


 神崎の表情がわずかに強張る。


「血まみれだった」


「それ以上、思い出そうとしないでください」


「なんで?」


「脳が疲れているだけです」


「またそれ?」


 直人は神崎を見る。


「店主」


「はい」


「俺に何か隠してない?」


「何も」


 即答だった。


 だからこそ怪しい。


 直人は立ち上がる。


 例の棚を見る。


 一番奥。


 黒い瓶。


 昨日と同じ場所にある。


「あれ」


「触らないでください」


「まだ何も言ってないだろ」


「黒瀬さん」


 神崎の声が低くなる。


「世の中には、忘れた方がいいこともあります」


「……なんだよ、それ」


「そのままの意味です」


 直人は黒い瓶を見つめる。


 あれを見ると胸がざわつく。


 頭痛がする。


 それなのに。


 見なければならない気がする。


「じゃあさ」


 直人は神崎を見る。


「もう一個だけ教えて」


「何でしょう」


「俺がここで売った記憶」


 神崎の目を見る。


「本当に、俺自身の記憶だった?」


 沈黙。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「……もちろんです」


 神崎は答えた。


 だが。


 その答えが少し遅れたことを、直人は見逃さなかった。


     ◇


 深夜。


 直人が帰った後。


 神崎は一人、店の奥にいた。


 机の上には黒い瓶。


『黒瀬直人/八年前/殺人』


 神崎はそれを装置へつないだ。


 モニターに映像が現れる。


 山道。


 雨。


 血。


 倒れている女性。


 その前に立つ直人。


 右手にはナイフ。


 神崎は映像を止めた。


 直人の顔を拡大する。


「記憶とは、事実ではない……」


 神崎が呟く。


 そして。


「あなた自身が、それを証明している」


 画面の中。


 血まみれの女性の唇が動く。


『直人……』


 映像が乱れた。


 その一瞬だけ。


 別の映像が重なる。


 同じ山。


 同じ女性。


 同じ直人。


 しかし――。


 直人の右手には、


 ナイフがなかった。


 神崎はすぐに再生を止める。


 黒い瓶を外し、棚の最奥へ戻した。


「まだ早い」


 店の明かりを消す。


 暗闇の中。


 黒い瓶だけが静かに揺れていた。


 そこに保存されているものが、


 本当に黒瀬直人の記憶なのか。


 それとも――。


 誰かによって作られた「物語」なのか。


 その答えを知っているのは、まだ神崎だけだった。

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