8 黒い一滴
よろしくお願いします
あの日のプロポーズが夢の様に思える。使用人の様な暮らしをしていた娘が公子様と婚約なんて出来るのだろうか。いや、してもいいのだろうか?
「ウイルフリード様私はこのまま婚約者でいても良いのでしょうか?」
「私を嫌いになったの?もっと頑張らないといけないね。君は伯爵令嬢として享受するべきいろいろなものを奪われていたんだ。今はそれを取り戻しているところだ。 きっとこれから自信が付いてくるよ」
ウイルフリード様は呆れることもなく私の言葉に耳を傾け手の甲にキスをした。
手が熱を持ち心臓が煩い。
「ウイル様を嫌いになんてなるはずがありません。ただ本当に私でいいのかなって不安になったのです」
「じゃあ私の癒やしになって。 傍にいてくれるだけでいい」
どこまでも 優しいウイルフリードに ローズマリーは涙が零れそうだ。
この方なら私の出来が悪くても呆れたりしないのではないかしら。もちろん出来ることは頑張って身につけていくつもりだ。今は子供と大人くらい身に付いているものが違う。
隣に立っても笑われないようになりたい。ローズマリーは立派な淑女になろうと心に誓った。
「好きだよローズマリー」
ウイルフリードは柔らかく笑ってローズマリーを抱きしめた。
「…ウイルフリード様…心配ばかりさせてごめんなさい」
「いいんだよ。ため込むのは良くない。そんなところも可愛く思えるのだから重症だね」
重症ってそんなに私を好いてくださっているの?まさかね。好きの度合いは私の方が重いと思う。知られたら引かれてしまうかもしれない。ばれないようにしなくては。
「ウイル様お慕いしています。どうぞ末永くよろしくお願いします」
「ああ、可愛い私のローズマリー。一生離さないよ。可愛がって可愛がってどろどろに甘やかしてあげるから。安心して傍にいて」
そっと降ろされると今度はぎゅっと抱きしめられ額に頬へと口づけが落とされた。
「ウイルフリード様…」
たとえ想いに差があっても今この方の傍にいるのは私だ。嬉しくてたまらない。
しかしここが離宮の庭園だったと思い出したローズマリーは真っ赤になった。
離れてはいるが護衛や侍女がいるのだ。
このまま意識を飛ばしたいと思うほど恥ずかしかったが、ウイルフリードの腕の中はとても安心が出来る心地よいものだった。
ローズマリーは彼の胸に頬を擦り寄せた。
「うちの両親には話はしてあるし許可は貰っている。クリス叔父様には手紙を出してご都合を伺っておくよ。申し込みに行くから待っていて」
ローズマリーは幸せがじわっと込み上げてくる気がした。
こんなにも好きな人に想われる奇跡が私に訪れるなんて未だに信じられない。
神様に感謝を捧げたい。前を向いて生きて行こうと思っていたのだ。
この時は。
婚約は纏まり結婚式は一年後になった。
幸せそうな二人はともかく、思いのほか作戦が上手くいったシルビアも満足をしていた。
これでお兄様と子猫ちゃんが幸せになるのね。幸い私が嫁ぐまで(決まっていない)一緒に暮らせるのだ。立派なレディになるように手助けをするわ!と。
自信が無さそうだったローズマリーは愛情を与えられ輝きのある顔つきになり、公爵家の嫁としての勉強の為に平日の殆どを離宮に通うことになった。
週末はウイルフリードとデートをしたりシルビアやお義母様とウエディングドレスの打ち合わせをして過ごした。
ある日教育が早く終わり伯爵家に帰る前にウイルフリードの顔を見たいと思って執務室の扉に近づいた時だった。
「いやあね、ウイルフリードったら、案外純情だったのね。これくらいで赤くなるなんて。いつもは……」
鈴を転がすような可憐な声が聞こえてきた。
「えっ?」どくんどくんと胸が騒ぎ足が止まった。
その続きを耳に入れたくないローズマリーは踵を返し急いでその場から走り去った。
悪い方に想像が膨らんだ。ウイルフリードが女性と抱き合っている姿が目に浮かぶ。
安心してと言った言葉は嘘だったの?好きだと言ったのも嘘?上辺だけの言葉だったのかな?キスは…唇にはされていない。
想い人がいたのだわ。結ばれない相手だから私と結婚するのね。胸が張り裂けそうに痛い。受け入れなくてはと思うのに喉が熱くて息ができない。
馬車乗り場がやけに遠かった。
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