悪寒
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初めての一年、そして初めての卒業生を送り出してから二週間が経った。私はデスクの移動に際して、彼らとの思い出をひとつの箱にしまっていた。
「香坂先生、それなんですか?」
体調が回復されて今年から復帰することとなった鈴木先生に尋ねられ、彼らと交わした約束と、タイムカプセルのことを話した。鈴木先生はなるほどといった顔で頷く。私はそのまま箱を持って、約束の地へ向かった。
校舎の裏山を抜け、獣道のようなところを抜けると、一気に視界が広がる。目の前には空の色を映した海が広がり、遠く先で空と溶け合っている。私はここの景色と、風が好きだった。その開けた場所の一角に、レンギョウの木が植えてある。これは園芸部の顧問の古沢先生がお手入れしている木だと聞いた。以前古沢先生に、レンギョウの木には希望や期待といった花言葉があると教えてもらった。縁起もよさそうなその木の近くに、私はタイムカプセルを埋めた。十年後まで、残っていますようにと願って。
職員室に戻ってくると、新年度の打ち合わせで担当のクラスが伝えられた。私は一年五組の担当。中学から送られてきた引き継ぎ書を確認して、次のクラスはどんなクラスになるのかとワクワクした。
入学式の前、教官室の前で早速新入生の何人かが生徒指導担当の熊坂先生に叱られているのを目にした。恐らくその子は髪の毛を染めていたが、それは地毛で、自身の身の潔白を主張していた。大変厄介なのは、あの子がうちのクラスの子だということだ。これは一波乱ありそうだと、私は覚悟した。
入学式は無事に終わり、一年五組は無事にスタートした。それから数日後、一年生は毎年、隣県の学習施設へとスプリングセミナーに向かう。生徒たちはそこで高校生活の勉強や集団行動に慣れるべく、二泊三日の宿泊学習をするのだが、そこでひとつ小さな問題が発生した。
「ねえねえ樹里ちゃん、樹里ちゃんって何歳?」
夜の休憩時間に声をかけてきたのは、入学式の日に指導をされていた彼女。横には同じような印象の子が何人かいて、類は友を呼ぶとはこういうことだなと感じた。
「今年で24歳だよ」
「えー、うちらと8歳しか変わらないじゃん!」
この絡まれ方は去年も同じだった。生徒たちと年が近い分、生徒からは無条件に距離が近いと思われるのも無理もない。彼女は私に心を開いたのか、身の上の話やこのスプリングセミナーの話を一方的に打ち明けてきた。しかし、これが間違いだった。
「それでさー、うちの髪って地毛なのね? なのに熊坂にめっちゃ注意されてて、樹里ちゃんさー、うちらの味方になってくんない?」
とんだ話だ。私だって中学の引き継ぎ書を読んだからそれが地毛じゃないことくらい知っている。しかし、どう断るべきか、私も決めかねていた。正当に否定するのも危ういし、一度隙を見せたらつけこんできそうなタイプだ。
「あ、いたいた香坂さん。打ち合わせ」
ちょうど別の先生に呼ばれ、その場は助かった。しかし、結局のところ話はうやむやになったままだった。
四月末、やっとのことで試験を作り終わり、少し一段落したところで、熊坂先生に呼び出された。
「香坂さん、ごめんね忙しい時に」
私は部活以外で体育教官室に来るのは初めてで、なんだかそわそわした。すると、熊坂先生が切り出したのは案の定、あの件だった。
「このご時世だしさ、うるさく言えないのは分かってるんだけど。校則もあるしさ」
熊坂先生はきっと、私から伝えて欲しいということを言いたいのだろう。熊坂先生の言う通り、今どき髪色を指導するなどはあまり声高にできない。とはいえ、校則が現状ある限り、それを守らせるのも義務。この難しい境界を、私なら器用にやってのけると思われたようだ。
「......そしたら、私から話してみます」
正直、スプリングセミナーで彼女から先手を打たれているので、普通に指導するよりも状況は悪かった。嫌な予感もするが、私は次の日の放課後に、数学準備室に彼女を呼び出した。
「......え? 樹里ちゃん本気?」
「うん......やっぱり校則がある以上、私たちは守らせるのが務めだから、言わざるを得ないよ」
その時ふと見た彼女の目はいつまでも脳裏に焼き付いている。鋭く、攻撃的な目だった。
「......ふーん、そっか。樹里ちゃんは味方だと思ったのに、残念」
彼女は立ち上がり、数学準備室を後にしようとする。
「ちょっと、まだ話は......」
「いいよ、話にならないから。また今度話そう」
最後の目は、何故か勝ち誇ったような、冷笑した目だった。それから迎えたゴールデンウィーク、そして明けた後のテスト期間は、悪寒がして、気が気でなかった。




