贈る言葉 -青い時間-
冷房の効いた職員室に戻ると、身体の内にたまった熱気がすっと引いていった。私は書類をとり、すぐに体育館へ戻ろうとすると、ちょうど文化祭担当の酒々井先生とうちのクラスの嵯峨君が文化祭について話していた。
「そうなんですよね......もう少し調整して一コマ増やすか、かなり早めに切り上げるかって感じなんですけど」
「そうか、でももうステージ出る団体は出揃ってるんだろ?」
彼の手にはかなりの量の資料があった。自分のクラスの子だからかもしれないが、心なしか、委員長よりも副委員長の嵯峨君の方が実行委員の仕事をしているところをよく見る。むしろ、委員長の子が文化祭の仕事をしているところは見たことがなく、見かけるのは友達といるところくらいだった。
「あ、香坂先生。お疲れ様です」
後ろから声をかけてきたのは、ちょうど職員室に戻ってきた下芝先生だった。
「あ、下芝先生。お疲れ様です。結果どうでした?」
野暮かとも思ったが、一応聞いてみた。しかしやはり、下芝先生は首を横に振った。舞台は急遽演出変更で、最後までやり切ったが、焼け石に水で、散々な幕引きとなった。
「この後、沢村と面談でしたっけ。あいつの様子、後で共有してもらってもいいですか?」
「もちろんです」
下芝先生もまた、彼のことが心配なようだった。神田君はもちろん、その罪の正体を知った私は、彼が心配で、沢村君を今日この後、教官室へ呼んだ。
「失礼します、女子バスケ部の水野です。香坂先生を呼びに来ました」
「あ、今行く! それじゃあ、下芝先生失礼します」
私は職員室を後にして、体育館へと向かった。
「今日は実践多めにして、試合形式をたくさんやろうか」
「了解です。そしたら一旦この前のメニューでいいですか?」
「うん。そうしようかな」
女子バスケ部の方は順調に初戦から勝ち上がり、最終日まで駒を残した。次は今までその先に進むことのできなかった準々決勝の大一番。相手は何の巡り合わせか、梓西高校だった。でも、彼女たちは今までとは違う。今も、茜の目を見ればそう信じられた。
教官室に入ると、沢村君は既に到着していた。
「あれ、沢村、また進路面談?」
茜が声をかけても沢村君は下を向いたまま。茜は事情を知らないので無理もない。
「あー、違う違う。私が呼んだの。じゃあそのままメニュー続けて」
茜を練習に送り出し、私はまた沢村君と対面に座って話を切り出した。
「あれから、神田君はどう?」
舞台で倒れた彼を私と下芝先生でその日家まで送った。そこで親御さんから過去にパニック障害を起こしたことがあること、そして今回の舞台の話は全く知らなかったことを聞いた。ご両親ともに共働きで、神田君の口から言わない限り、把握できなかったのは無理もなかった。
「......調子は大丈夫らしいです。そろそろ普通の生活に戻れるらしいですし」
彼はなかなか憔悴しているようだ。ただ、かろうじて神田君と連絡をとれていることが、救いだった。
「そっか、それは良かった。それで、沢村君の調子は?」
「ぼちぼちです」
「......私、神田君もそうだけど、沢村君のことが結構心配でさ、今日呼んだのもそれが理由」
私が心配の先を沢村君に向けると、それが意外だったのか一瞬目をピクリとさせたが、俯いたままぼそりと話した。
「俺なんか、心配される意味ないです。俺が壊した、喜一が作ってきた全部、それに喜一自身も」
それから一粒、涙がこぼれたのを皮切りに、沢村君の目から雨が降りだした。それとともに、沢村君は独白するかのように神田君とのやりとりを話し始めた。倒れた後に、神田君からパニック障害を聞いたこと。それなのに自分は、押し付けてしまったこと。そして、薄々気づいていたのに、光に負けた罪。
「俺は、傲慢だった。青春を分かった気になってた。でもやっぱり......「大人」のままでよかった......こんな思いをするくらいなら」
彼の雨はいつの間にか、大雨になっていた。声は震え、冷静ないつもの沢村君は押しつぶされそうで。私が贈ることのできる言葉。それに繋がる記憶。なぜ、神田君は傷を誰にも見せずに、沢村君の期待に応えようとしたのか。私の中に渦巻くヒントが、今、贈る言葉を紡ごうとしている。
「ねえ、沢村君」
私が呼ぶと、沢村君はやっと顔を上げた。目は赤く、崩れている。
「神田君はさ、なんで、主演を引き受けてくれたと思う? 自分でパニック障害だって知ってたのに」
沢村君の頭は再び下がる。それから口から出たままの言葉を出した。
「......わからないです。俺が押し付けたからじゃないですか。断りづらくて」
「たぶん違うと思うな」
きっと、神田君はそんな人じゃない。自分の夢があって、やりたいことがあって、三年間演劇部を守ってきた。そして、その夢と同じくらいの可能性を、沢村君にも感じた。同じ軌跡をたどりたいと思える仲間とは、感情を共有したい。同じ景色を見たい。私にも同じような仲間がいた。
――最後......みんなと戦って......終わりたかった......。
あの涙が、どうしようもない痛みを、風に吹かせてくれた。同じ痛みを、自分事として感じてくれる仲間がいたから。
沢村君の頭が徐々に起き上がる。次に見た彼の目は、先ほどの目に加えてひとつ光が宿っていた。
「先生、俺......」
彼も気づいたようだ。見るべきもの、感じるべきものに。
「それが、青春だよ」
私が贈るのは、夏の空よりも青い、時間の単位だった。




