開幕
篠原さんの進路も段々と目途が立ってきたところで、残すは沢村君ひとりとなった。沢村君は引継ぎ資料によれば、凄く現実主義で、無駄を好まない省エネタイプ。提出物などを疎かにして余計な面倒を生むことなどない生徒だと聞いていた。しかし、彼はかなり遅れて提出したので、期末試験もあったりでスケジュールが遅くなってしまった。
「沢村君! お待たせ」
さすがに夏休みに入る前にあらかたの目途は立てたかったので、急遽放課後に体育館へ呼び出した。今は既に午前授業期間に入っていて、放課後はすぐに部活の時間になる。女子バスケ部もいよいよ県大会が近づき、私も外すわけにはいかなかったので、同時にやっていくことにした。
「ごめん、こんな時間になっちゃって」
「いや、自分こそ、提出期間過ぎちゃったのが悪いですし」
私は沢村君を椅子に座らせて、面談の準備をした。すると、途中で茜がメニューを聞きに来たが、一旦は茜に任せることにした。
「それにしても、沢村君が期限遅れるなんて珍しいよね。結構、そういうの淡々とやるイメージだったけど」
まずは軽い雑談から。沢村君の調子が今までと違っている要因は、何となく気づいている。彼のバッグからは演劇の台本と思われる冊子がちらりと見えていた。
「あ、演劇部の公演、今度だっけ?」
「ああ。今度の日曜日の午後、文化会館であります」
私はカレンダーを横目で見るなり、日程を確認する。
「え、もう一週間きってるじゃん」
「女バスの大会と被ってますよね」
カレンダーには確かにその日、大会のマークが記されていた。しかしその日は大会初日。私たちは午前中の開会式だけだった。私は沢村君にそのわけを説明する。すると沢村君は台本と同じファイルから一枚のビラを取り出した。
「これ、コンクールのチラシっす」
私は、いつも冷静で大人らしく振舞う彼が少し心を開いてくれた気がして、何となく嬉しかった。
「なるほど、四日間かけてやるんだね、学校数も結構多いな......」
私はチラシを眺めながらコンクールの概要を知る。高校の頃は自分の部活で精一杯だったので、こうして新しい世界を知ることは凄く新鮮だった。
「......陽川高校......あ、あった。プログラム八番『ペネロペの罪』かぁ、え、ペネロペってあのギリシャ神話の?」
大学の授業で少しだけ神話を学んだ時に、その名を聞いたことがあった。確か、夫の帰りを待ち続け一途の愛を貫いた神。その神に「罪」という言葉。興味深いタイトル設定だ。沢村君はオリジナルだと言って、少し自信無さげだ。
「えー、面白うそうじゃん。わかった、楽しみにしてるね」
「はい、見に来てください」
ふと、私はチラシから彼へと視線を移してしまった。あまりにも真っ直ぐな言葉だったから。沢村君は色々と心の内で考えている人なんだろうと思っていたけど、今の言葉はまるで青空に一直線に伸びる飛行機雲のようで。そんな言葉も言えるんだって、少し見違えた。
「じゃあ本題に戻ろっか」
私はもらったチラシをきちんとファイルにしまって、沢村君に向き直った。
蝉の声が鳴りやまなくなり、容赦ない太陽が地面を照りつける。それに負けないくらいの熱気が、インターハイの予選会場にも集まっていた。
「あ、木村先生」
「あ、これはこれは香坂さん。お世話になっております」
大会本部で見かけた木村先生に、私は挨拶に向かった。
「いよいよですね」
「そうですね。どうですか? 調子のほどは」
開会式が始まるのを待つ茜たちを見て、私は確信した。
「今回こそ、勝ちに行きます」
木村先生は私の言葉を聞いて、少し嬉しそうに頷いた。
開会式は無事に終わり、私は会場を後にした。夏らしい入道雲が立ち上る青空の下、私は近くに停めていた軽自動車に乗り、文化会館まで走らせる。時計を見ると、かなりぎりぎりの時間になっていることに気づいた。着の身着のまま来たので、運転している途中、演劇を見るのにジャージ姿で良かったのかと気にもなったが、致し方が無かった。
それから十五分ほどして、会場に着く。噴き出す汗を気に留める間もなくロビーへと走った。すると集団の一つに見覚えのある顔があり、内の一人が私に気づく。
「あ、樹里ちゃん!」
「よかった! 間に合った、あ、下芝先生。お疲れ様です」
私は演劇部顧問の下芝先生に挨拶をして、沢村君や神田君たちの方へ向き直った。
「先生、間に合ったんですね」
様相はいつもさほど変わらないようだったが、大舞台なので、普段冷静な沢村君も、さすがに目の色は隠せていないようだった。
「こんな格好で申し訳ないわ。神田君、主演頑張ってね」
神田君もいつもの元気はあったが、少し空元気のような気もした。だが、敢えて今は見て見ぬふりをして、なるべく彼のテンションに合わせるようにしてグータッチをした。これから眩しいほどのスポットライトを浴びる彼は、きっと傷が隠されていた方が良い。
運営からその名を呼ばれ、生徒たちは円陣を組んで舞台袖へと向かった。私は生徒たちと別れ、観客席へと向かう。右端の前列が一つだけ空いていたので、私はちょうどそこへ座った。舞台はまだ幕が下りている。しばらくしてブザーが鳴り、ざわつきが静まると同時に会場が暗くなった。
「お待たせいたしました。プログラムナンバー八番。陽川高校演劇部、題目、『ペネロペの罪』」
そのタイトルを大きな会場で改めて聞くと、これから先の物語に高揚感がする。他の学校は有名な題材を演じたり、模倣した作品をやる中、沢村君たちは完全オリジナルを仕上げてきた。彼らが届けたいことは何なのか。罪とは何なのか。そしてゆっくりと、光を帯びながら幕が上がった。
「俺は、常に考えてきた。『大人』とは何か」
その舞台に立つ一人の少年は、私の知る彼とは全く違う。彼は確かにそこに生きていた。でも、この言葉は違う。私はそこに、沢村君の命が芽吹いている気がした。この言葉は、沢村君の言葉だ。
「それは......」
しかし、その瞬間。空気が一変する。神田君の眩しいほどの姿は、今にも張り裂けそうなほどで、そしてゆっくりと崩れていく。セリフだけでなく、その身もともに。次の瞬間、私はその罪の正体を知った。




