熱が帯びるを待つ
体育祭も終わり、これから期末試験までの間は、校内の空気も落ち着きが戻ってくる。生徒からしたら少し退屈な時期ではあるが、私たち教師からすれば、あっという間に試験問題の作成がやって来て、落ち着くのも束の間であった。
「はいじゃあ、ここまで。号令」
「きをつけー、れーい」
四限終わり、私は篠原さんを呼び止めた。
「ごめん、この後職員室来てもらっていい? お昼ご飯持ってきてもらっていいから」
篠原さんは承諾して、私が戻ってから十分後くらいに職員室へやって来た。しかし、よく考えたら今は試験期間で生徒は職員室に入れなかったので、私は数学準備室に場所を変えた。
「よし、座っていいよ。私もお弁当持ってきたから、一緒に食べよう」
私は篠原さんを対面に座らせ、それぞれの弁当を広げた。私は時間が無く、タッパーに詰めた白米に冷凍食品の総菜、それから昨日の夕飯の残りのコロッケ。バスケ部現役の時と変わらないボリューミーなラインナップだった。一方の篠原さんはカットサラダにスムージー。炭水化物は見当たらない。私としては食事がエネルギーチャージの一大イベントなので、篠原さんのメニューを見ると心配になった。
「篠原さん、それで足りる? 私なんて弁当に、昨日の残りのコロッケもあるよ」
「樹里ちゃん食べ過ぎでしょ」
「私現役の時、もっと食べてたからね」
ちょっとした雑談で笑いが起こり、場の空気は和んだ。すると、篠原さんの方から話を切り出した。
「それで、なんで私呼び出されたんですか?」
篠原さんに言われて、私はついうっかり話の腰を折ってしまっていたことに気づいた。口に入っていたコロッケを飲み込んで、私は箸を置いた。
「そうそう、篠原さんだけ面談の予定がまだ出てなくてさ。都合、まだわからなそう?」
その時の篠原さんの反応を見て、私は予想が確信に変わった。その後、篠原さんは言いづらそうに語尾を濁したが、私の察した様子を見たのか、すぐに降参した。
「まだ、進路が決められなくて......でも、美咲や弥生はもう決まってるみたいで。二人とも専門行くって言ってて、私もって思ったんだけど、私特にやりたいこと決まってないし、それに......」
篠原さんはそこで言葉を止めた。彼女の心の中に今、本音が綴られている。篠原さんの目は、この前の文化祭の担当決めの時と同じ目をしていた。詰まった彼女に変わり、そこからは私がバトンを受け取る。
「なるほどね......。そしたらさ、大学に進学してみたら?」
「え、私が進学? ......だって予備校とか行ってないし、私には......」
確かに、三年生のこの時期、受験組は予備校や受験勉強をとっくに始めている。しかし、それが進路決定の理由になっていいのだろうか。それは決心ではなく、諦め。今いる狭い世界から抜け出して、自分が傷つくのも承知で、ひとりで新しい世界へ踏み出す。その相当の勇気をせっかく振り絞った彼女なら、世間体とか一般的とかそういうものに縛られることはない。
「篠原さん、一個聞きたいんだけどさ」
私は本音が宿った、篠原さんのその胸に問うてみた。
「私には似合わないって、そのレールは誰が決めたの?」
惜しくも、ちょうどそこで予鈴が鳴ってしまい、その答えは聞けなかった。しかし、篠原さんには確かに、その問いが伝わっているようだった。彼女の今囚われている世界が揺らぎ始めている。あとは一つ、花を添えてみよう。
「文化祭の挑戦、かっこよかったよ」
準備室を後にしようとした篠原さんはドアに手をかけたまま、振り返る。目を大きくして、なんだか初めて本当に目が合った気がした。きっと彼女は知っている。彼女自身のこと。そしてその者は今、変わりたいと願っていること。その叫びは、熱が帯びるのを待っていた。
「わかってるんでしょう? 篠原さんに必要なのは、答えじゃない。覚悟を持つための、勇気」
それから微笑んで、ふわりとした言葉で彼女の背中を押した。
「私は、応援するよ。篠原さんの覚悟」
きっと誰かに見つけてもらいたかったのだろう。変わろうとしている自分を。それを私は見失ってはいけないと心得た。




