贈る言葉 -心の標-
金曜の六限はロングホームルームがある。今日は朝に伝えたように、文化祭のクラスの出し物を決める時間に充てた。
「じゃあ藤代君中心に話し合ってね」
私はバトンを藤代君に渡して、教室の隅に移動した。バトンをもらった彼は、彼らしい立ち振る舞いで指揮を執り始め、話し合いも順調に滑り出した。
「え、俺メイド喫茶やりたいんだけど」
「いやいや、しんちゃんのメイド姿とかどこにも需要ないって」
「でも、あながち良い案かもよ? 飲食なら進学組も準備参加しやすいだろうし」
「高瀬の実家、レストランじゃなかった? 食材とか安く仕入れられそうじゃね?」
そんな学級会の端から、私は面談の材料にすべく改めて生徒たちの様子に目を向けてみた。教室の後ろの方、沢村君は恐らく話し合いに関係ないことをしている。まあ授業ではないし、学級会は基本的に生徒たちの意志に任せている時間なので、特に注意はしなかった。彼は冷静で沈着なタイプの生徒で、一般受験を志望する。新学期の当初は勉強に勤しんでいるイメージだったが、どうやら今年急に演劇部に入ったらしい。それからの彼は、淡々と毎日をこなす日々から一歩踏み出て、内から溢れ出ているものがあるように見えた。
「そしたら、これで決まりかな」
「そしたら、申請は零士よろしくな」
「あいよー」
それもきっと彼のおかげだろう。出し物がメイド喫茶に決まり、つづいて担当決めに話し合いが移る。生徒たちはそれぞれ仲のいい者たちと集まり、あれやこれやと話している。沢村君のもとに寄っていったのは、演劇部の神田君。彼は三年間、演劇部を辞めることなく部の存続を守ったと聞いた。彼の揺るがぬ光が、沢村君の牙城を解いていったのかもしれない。
早々に黒板に名を連ねたのは高瀬さん。彼女は当然のことながら食材班。なぜなら彼女の実家は和食屋だから。しかし何故か、先ほど話を聞いてみると言った時に名を挙げたのは両親ではなく、祖母だった。彼女は推薦も取れるほど成績も申し分ないが、実家を継ぐために、調理師の専門学校を志望している。これがどうにも、私には気がかりだった。異常だというわけではない。むしろ、普通すぎた。木の葉を緑で塗るように、海を青で塗るように。彼女なら、赤でも黄でも、塗れるはずなのに。
彼女の横で決まった事項を提出用紙に記入するのは、実行委員の嵯峨君。彼は実直な生徒だ。三年間実行委員を務め、てっきり実行委員長をやるような子かと思ったのだが、結局その名は副委員長にあった。
「篠原さん、何やるか決めた?」
第一希望の担当を皆が黒板に書いた後、まだ名前が無かったのは篠原さんだけだった。しかし、藤代君が声をかけても彼女は上の空。斜め前の三田さんが再度声をかけて、やっと我に返ったようだ。
「えーっと、そうだな......んーじゃあ、ドリンクで」
その一言でクラス中が驚きの反応を示したのと同じように、私も驚いた。彼女はいわゆるキラキラの一軍女子グループに属す生徒。木島さんや三田さんとつるんで、いつも歩調を合わせている。それが今、唐突に違うレールに進んで行った。どういう心境の変化だろうか。しかし私は驚きの次に、面白みが込み上げてきた。今の一言が、彼女の心からでて、純粋な彼女だけの言葉に思えたから。
話し合いは順調に進み、きちんと六限の時間内に終えることができた。
「じゃあ、そのまま掃除して、今日は解散です。高瀬さん、そしたらそのまま数学準備室行こうか」
今日高瀬さんは掃除担当ではなかったので、私はそのまま面談場所の数学準備室へ呼んだ。数学準備室は、職員室を故郷とすると、第二の故郷のような場所。この学校の数学の教師がともに机を並べ、授業資料や参考書、その他各々の私物などが置かれている。
「失礼しまーす」
高瀬さんも揃い、私はデスクに置いてあったバインダーから高瀬さんの進路希望調査を取り出した。
「えーっと、高瀬さんは......専門学校志望か。この成績なら、指定校推薦も取れそうだけどいいの?」
私は率直に、推薦の道もあることを提示してみた。ここで彼女の気持ちの堅さを見たい。
「はい。昔から、実家を継ぐように育てられてきたので、調理師を目指します」
「ふーん、なるほど......」
目は真っ直ぐだ。恐らく嘘ではない。しかしそれは事実に過ぎなかった。私はコーヒーをすすり、もう一度ぶつけてみる。
「それは、ご家庭の方針だよね。高瀬さん自身は、それでいいの?」
「はい。ってか先生。そんなこと言ってたらいつか、保護者に怒られたりしそうですけど」
高瀬さんは思ったよりもシールドが堅いようだ。それよりも、つい熱くなりすぎてしまった。強張った空気を私は和ませるように、苦笑いを浮かべた。
「たしかに......踏み込みすぎか」
その時、空気が緩んだ隙に一瞬、高瀬さんの目が揺れたように見えた。
「......なんで、そう思ったんですか?」
きっと彼女自身も自分の発言に驚いているようだ。今が風向きを変える契機かもしれない。そんな時はまず、私から心を開こう。この際、私は開き直って本心を伝えてみた。
「ん-、なんか......見えるものしか見てない感じがしたから」
「なんで......」
図星のようだ。私はコーヒーを再び口に含み、高瀬さんの経歴に改めて目を通した。調理師を目指し、将来は実家の料理屋を継ぐ。それだけ確かな道があるのに、何故料理部ではなく、英語部に所属したのか。ちょっとした興味の可能性もあったが、成績も英語だけ他の教科から頭一つ抜けていた。
「高瀬さん、本当は海外に興味あるんじゃない? ほら、一年生は英語部に入ってたみたいだし、英語の成績も頭一つ違う。私は英語苦手だったから、羨ましいわ」
冗談を交えて、先ほどのように空気が辛くならないようにする。そうすることで、高瀬さんも自然と心の戸を閉める鍵が柔らかくなる気がした。
「......私......諦めたんです」
少しして、彼女は告げた。私の観察眼はどうやら、正しい道へ導いてくれているようだ。
「ずっと前から、興味はありました。留学にも行きたかった。でも、うちは料理屋で、両親は自分が継ぐことを期待してる。その期待を裏切るなんて自分にはできなかった。一度、試みたりもしたけど、無理だった。私の心なんて、誰にも見えないんです」
気づけば、高瀬さんの心の内がすっかり明らかとなった。きっと痛む傷をわざわざもう一度開いて、見せてくれた。ならば私は、それを確かに受け止める。真剣な表情で、目を離さずに口を開いた。
「そうね......心は誰にも見えないもんね......だからさ、高瀬さん」
私はまた、記憶を遡らせる。高瀬さんに贈る言葉、それに繋がる記憶へ。
――私も、なりたい。
私が教師になりたいと思ったあの日。私は心を信じた。バスケの推薦という確かな道もあったけれど、見える道より、見えない心の導く方を目指した。そして今ここにいる。私が贈るべき言葉は......。
「だからこそ、大事にするの。あなたの心を」
目の揺らぎが段々と大きくなる。その綻びから、高瀬さんの抑え込んだ気持ちが溢れ出しそうになっていた。
「私......でも......」
「すぐに決断できないかもしれない。でも、大学に行けば何か違う道が見えるかもしれない。時間もできる。そうすれば、強くなって、勇気が出るかもしれない。心を失う決断は、まだ早いよ」
デスクに置いた進路調査票が私の後ろの窓から差す西日でうっすらとオレンジ色を帯びる。
「先生。私......海外に行きたい。この目でもっと遠い海の向こうを見てみたい......」
やっと言えたのかもしれない。今日までずっと隠してきた心の本音。でもそれは、確かに、強かに、彼女とともに育ってきた本音だった。




