孤独の星
四月の終わりが近づき、学校はすっかりと新鮮だった春の雰囲気から、ゴールデンウィークを前にした頃の空気になった。とはいえまだ四月なのに、昼間の気温はぐんぐんと高くなり、夏をも彷彿とさせる。すっかり日本の春は桜のように儚いものになってしまった。
「それじゃあ、今日はここまでにします」
「起立、気をつけ、礼」
流れ作業になりつつある挨拶を済ませ、私は今週から始める試みを伝えるべく、茜を呼んだ。
「先週委員会終わりに話したメニューなんだけど。それで今日はこれでやってみて」
先週、スプリングカップの件を伝えた時に併せて、今週からは私のメニューも混ぜていくように伝えていた。茜はそれを受け取って、承諾した。
荷物をまとめ、職員室に向かう途中、私は妙な噂が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた? 朱莉ちゃんと藤代別れたらしいよ」
「え聞いた聞いた。マジびっくりだよね」
「しかも、藤代って......」
誰が噂しているのか、その声の主は分からなかったが、私はついに広まってしまったかと思うと藤代君が気の毒に思った。きっとこの噂はこれから大きくなって、身勝手に話の熱が冷めるまではしばしば続いていく。その間、彼は大丈夫だろうか。
「おい、香坂さん。聞きました? 藤代たち別れたって話」
「戸田先生。やめてください」
教師の間でもこういった話は噂になったりする。私は何となくムカッとして、戸田先生に素っ気なくあしらった。
その日の放課後、体育館に向かうと茜たちはきちんと、私のメニューを進めていた。私が考えたメニューは基礎練習が多く、面白みはあまりない。しかし、算段もあった。今は小手先の技術ではなく、もっと基盤の部分を強固にさせるべきだから。
「樹里ちゃんのメニューしんどい......」
咲や美聡は愚痴をこぼすようになり、私はそれを聞いて無理もないと思った。一年前の夏休みなどならまだしも、三年生になってまで基礎練習をするのは少々退屈だろう。けれども、私はこの反応に少し安堵もあった。むしろ、この反応を見せない一人が気がかりだった。
「千佳! いつまでそんなミスするの!」
一閃、声が轟く。そして暗雲が立ち込める。この空気は、陽川高校の女子バスケ部に似つかわしくない。しかし、この空気を変えるべき存在がまさに、台風の目だった。彼女の周りには、次第に目に見えない距離が生まれていって、まるで本当に台風の目のように、そこだけくっきりと、孤立して見えた。
私はそれでも態度を変えなかった。私は声をかけるべきではない。自分の背中がどう見えているのか、それに気づくには......。私は黙って茜たちを見守り、ただいつもの通り、その様子をノートに記した。
いよいよ決戦を迎える。私は会場に入ると、その熱気と独特の高揚感が懐かしさを思い出させた。開会式で出場校が一列に並ぶ姿を見ると、実に圧巻で、その佇まいだけで威圧を感じる。ふと横目に和泉学園の木村先生を見かけ、私は挨拶に向かった。
「あ、木村さん。この度はご招待いただきありがとうございます」
「お、これはこれは、香坂先生。今日はよろしくお願いします。陽川高校の調子はどうです?」
「そうですね......着実に輝き始めている一方で、ちょっと危ういかなと」
私が苦笑いを浮かべると、木村さんはきょとんとした。
「......といいますと?」
私はこの前の練習を思い出す。それからちらりと、陽川高校の列の先頭でプラカードを持つ者の表情を見た。
「今日は試練です」
木村先生は静かに頷いた後、興味深そうに笑みを浮かべた。
式も終わり第一試合も近い。アップを済ませた選手たちを、私は集合させた。
「この大会はトーナメントなので、一個ずつ着実にね」
「はい」
私はみんなの顔を見る。緊張と闘志が入り混じっている。こんな時は、基本的なところに油断しがちになる。周りが強者ばかりでそれに目がくらみ、足元をすくわれる。それを避けるため、ここ最近の練習は基礎練習を強化した。
「相手はよく知っている学校らしいけど、油断しないように。みんなの大会の姿を見るのは初めてだけど、何となく、この試合厳しいものになると思うよ」
私は念に念を押し、彼女たちを送り出した。しかしどうにも、私の言葉が茜だけには届いている気がしなかった。
数十分後、試合が始まった。そして私の不安は確信に変わった。
――この試合は負ける。
チームはオレンジの光と、熱い歓声を浴びて汗を散らす。しかしそのひとつが、色を同じくしていない。太古、無数にある星を先人は線でつなぎ星座にした。私はチームスポーツも同じだと思う。サッカーなら十一、バレーボールなら六、そしてバスケなら五。それぞれの星の数が一つに繋がり、一つの星座を作って初めて、強くなれる。でも、今の茜は......どの星座にも属さずに、ひとり孤独に宇宙に浮かび、誰にも届かない光を叫ぶように放つ。あまりにも、残酷だった。
「茜、戻って!」
私の声も届かない。茜は星になりかけている。私の声も、仲間の声も全てを弾いて、孤独の星に。
それからまた数十分後、試合はあっけなく終わった。コートから去る彼女たち。しかし茜は一時、コートに立ちすくんでいた。




