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三年九組

 職員室から見える校門までの坂道には、新たな一年の始まりにさまざまな思いを携える生徒たちの顔が見えた。とはいえ、私も初日なのでやることが多い。朝はまず、学年団の打ち合わせ、そしてホームルームにて九組の生徒と初対面。それから午後には入学式が控えていた。通年なら新学期で始業式の挨拶もあったが、コロナ禍を経て始業式はリモートに変わり、校長挨拶や校歌斉唱だけに簡素化されていた。


「それじゃあ、香坂さん。行きましょうか」


 九組の担任の鈴木先生の後を追い、懐かしい校舎を歩く。私も三年間、この学び舎で時を過ごした。


「じゃあ、私が先に入るので、合図出すからそしたら入ってきて」


 鈴木先生に言われた通り、私はしばし廊下で待っていた。鈴木先生は「ごきげんよう」といかにも古典の先生らしい挨拶から始めた。詳しい年齢などはまだ聞けていないが、恐らくベテラン。時々咳をしているので少し体調が心配ではあるが、落ち着きのある頼もしい先生だった。


 間もなくして、鈴木先生が教室から手招きした。私はそれに合わせて教室に入る。生徒たちの視線は見事にも私一点に集まっていた。その集中攻撃に、部活で慣れたかと思っていた緊張が一瞬で高まる。興味津々に私を見る人、知らない人が来たと興味のスイッチを切る人、誰なんだろうと訝しげに見る人など、色んな人が席についている姿を改めて見ると、なかなかの圧だった。


 それから鈴木先生に挨拶を促され、私は拳に汗を握りながら口を開いた。


「えっと……はい! 香坂樹里と申します! えー、担当は数学です! ......っと、一年目なので緊張していますが、みんなの最後の一年を精一杯サポートします! お......お願いします!」


 緊張がダダ洩れの拙い挨拶を披露し、視線の行き場に惑う。すると、私の視線は女子バスケ部の三人に収まった。彼女たちは驚きと喜びの笑顔を浮かべている。それを目にして、ひとまず私の緊張はピークから解放された。


 ホームルームが終わり、職員室に戻ると鈴木先生からひとつ頼まれ事をされた。書類のホチキスどめの作業だ。


「申し訳ない、この後打ち合わせがあって。あ、でも学級委員呼んどいたから」


 鈴木先生はこういう所が上手だ。私もやることは溜まっていたが、さすがに上司のお願いを断れる訳もなく、仕方なく了承した。


「学級委員って、藤代君でしたっけ」


「そうそう、藤代はできるやつだから、すぐ終わると思うよ」


 鈴木先生は随分と彼のことを買っているようだ。聞けば、藤代君は、前のクラスでも担任で、その時も学級委員を務めていたらしい。そうこうしているうちに、藤代君が職員室にやってきたので、私は藤代君と合流して作業に向かった。


「先生、さっきは緊張されてました?」


 藤代君は、その口調からすごく明るく賢いような気がした。その第一印象は、まさに学級委員にふさわしい。直接話すのは初めてなのに、鈴木先生が信頼を置くのも頷けた。


「そうそう、女バスの子もいるしいけるかなって思ったんだけど、まだまだ慣れなくて」


 私は苦笑いを浮かべると、「全然問題なかった」と藤代君はフォローを添えた。とても紳士で、こんなこと考えるべきではないだろうけど、彼はモテそうだ。


 すると廊下の向こうから、どうやら藤代君の知り合いである子が声をかけてきた。


「隼人! 久しぶり!」


「おお! 海渡! あれ、今年何組だっけ?」


「俺は、二組。ほら、秦さんと同じだよ」


 秦さん……聞かない名前だと思って藤代君の様子を見ると、少し気まずそうにしていた。なるほど、そういうことか。私は、藤代君がその会話に少しだけ抵抗感のようなものを抱いている気がして、それを見逃さなかった。



「今のは……去年のクラスメイト?」


 話の話題にもなるかと思って何気なく聞いてみたら、藤代君が思ったよりも動揺したので、私も少し驚いてしまった。


「え、えっと......そ、そうです。去年のクラスメイトの瀬下海渡。あ、あれっすよ。男バス」


「へぇ、そうなんだ。そしたら知らない間に体育館ですれ違ってたかもな」


 私は藤代君があまりにも純粋そうな気がして、なるほどと笑みを浮かべた。すると藤代君が初めて私のことをまじまじと見るので、不思議に思った。


「い、いや。何でもないっす。行きましょう」


 そう言って藤代君はそそくさと教室へ向かう足を早めた。藤代君は真っ直ぐで純粋なリーダー、でもその内側には純白ゆえに抱える自分もあるように見える。そんな人物像を、私は藤代君の半歩後ろから、彼の背中を見て思い浮かべた。


 教室に着いて作業を初めてからは、黙々と手を動かした。私は話すべきかと思って、先ほどのことを思い出した。


「秦さんってのは、藤代君の彼女?」


 すると反応に困る藤代君を見て、私は我に返った。あまりにもド直球すぎた。教師としてあまりのも軽んじた言動をしてしまい、頬を赤らめる。


「ごめんなさい! ついうっかり……もう教師なのに、ついペラペラと……」


 高校生時代に茉莉たちと話したようなテンションで話してしまった。私は頬を赤らめていると、藤代君は初めこそ驚いていたが、どこか心を開いてくれたような眼差しに変わっていた。


「別れました。でも、まだみんなは知らないんです」


 しまった。まさかそんな状況にあるとは考えていなかった。私は目を丸くして藤代君をちらりと見る。その時その目の奥に、先ほど廊下で去年のクラスメイトと話していた時に藤代君に感じたものが再び見えた気がした。彼は抱えている、それはまるで奥底に眠る本当の自分を誰かに見つけてもらいたいような、小さな叫びを。


「藤代君さ……」


 私はそこでひとつの考えに行き着いた。先入観でつい、彼を純粋無垢なリーダーだと見定めてしまっていた。でもきっとそうじゃない。それはまるで、かつての私が感じた、キャラクターという化けの皮への違和感。それを彼も感じているのかもしれないと。


「本当は学級委員、やりたくないんじゃない?」


 彼は目を丸くし、言葉を失った。その眼には様々な感情が見えた。何を言っているんだという驚き、馬鹿なことを言わないでくれという怒り、化けの皮を剥がさないでくれという焦り、そしてその隅に小さな叫びも。

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