葉露きらめく
こんなに鮮明に思い出したのは何故だろう。今朝の夢はあまりにもリアルで、走馬灯のようだった。樹里はベッドから体を起こして、徐々に体を本当の現実へと慣らしていく。それにつれて体は重力を感じていった。
紅茶を淹れて、テレビをつける。特段見たいものもないまま、情報番組をぼーっと見ていた。すると、テーブルに置いた携帯が鳴りだした。着信相手は、鈴木からだった。
昨晩雨が降ったようで、その跡が道や葉に残っている。雫が朝の光を跳ね返し、今日の朝は少しばかり眩しく感じた。
先週、鈴木から突然電話があり、樹里は陽川駅の近くのカフェに向かった。久しぶりに使う駅、久しぶりに見る街並み。あの日、自分の中の時計が止まった時から見ることのなくなった景色を、樹里は久々に目に入れた。以前よりシャッターが閉まっているが、町のカタチは変わっていない。
「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
樹里は店員に待ち合わせだと伝えると、店の奥の方に案内された。そこには既に一人、男の人が座っていた。
「鈴木先生」
樹里が声をかけると、鈴木は顔を上げ、ニコッとして立ち上がった。
「久しぶり、香坂先生」
一緒に教員をしていた頃から十年経ち、前よりも大人の渋みを増している。それでも、元気そうな姿を見ることができて、樹里は安心した。
「先生、先週はお世話になりました」
樹里はひとまず先週の感謝を伝えた。本当は自分で顔を出すべきところを、鈴木に無理を言ってお願いしてしまったから。
「いやいや、大したことしてないから」
それから、コーヒーが来るまでの間の少しの時間、互いの近況報告など、穏やかな会話を広げた。
「そっか。じゃあ今年が節目になるんだね」
「そうですね......。でも、まだ全然未来を決め切れていなくて」
鈴木は樹里の語気から、彼女の苦しみを汲み取ることができた。彼女はあの一件があってから、休職扱いとなった。それも期限は三年までで、再び教壇に戻ることはなく、退職となってしまった。今は家の近くのスーパーマーケットでパートをしているという。その契約もひとまず今年いっぱいだそうで、このまま働き続けるのか、違うことをしてみるのか、選択する時が近いらしい。
「学校に戻るとかは考えてないの?」
「学校か......」
一度離職した公立の教員は、再度採用試験を受ける必要がある。これはなかなか時間もハードルもある。しかし一方で、臨時採用などであれば、教員資格を持っている以上、人手不足のこのご時世で拒まれることはないだろう。
「私に、またあの場所に立つ資格があるとは思えなくて......」
樹里はこの間、アルバムを見る前に見た数学の参考書たちを思い出した。もう一度、何かを教えるという自分を想像しようとした時に、イメージが全く浮かばなかった。
ちょうどその時、待っていたコーヒーと豆菓子がやって来て、樹里と鈴木の間にコーヒーの香りがふわりと漂った。それを少し口に含み、豆菓子を開けようとすると、鈴木はカバンからノートを取り出した。樹里は一瞬、何のノートかと思ったが、すぐにそのノートに見覚えがあることを自覚した。
「そのノート......」
鈴木はそれを樹里の方へと向け、頭を下げた。
「申し訳ない。あの日、処分して欲しいと頼まれたものの中から、これだけ取っておいてしまっていたんだ」
樹里はゆっくりと鈴木の出したノートを開き、ページをめくる。めくるたび、十年前の記憶が芽吹くように蘇り、樹里の目を覚ましていく。
「これ、あの子たちも見たんですか?」
鈴木は静かに頷く。樹里は自分の過去を曝け出した恥ずかしさというよりも、背負わせてしまった申し訳なさの方が込み上げてきた。
「色々と勝手なことをして、申し訳ない。でも、このノートをきっかけに動き出したんだ」
鈴木はいつになく熱い温度で言った。いつもは寄り添って、陰で支えてくれるイメージだっただけに、樹里は少し驚いた。
「今、あいつらは必死で動いてるんだ」
窓の側の植木の葉についていた雫が、ひとつ、零れて落ちる。そして、光跳ね返す土に弾いた。




