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翳り

 今年も夏が来るのは早かった。ゴールデンウィークが明けて最初の定期試験が終わり、新鮮だった空気は安定に代わっていた。


「それじゃあ、他に採点ミス等あったら今日までなら受け付けるので、不明点あれば職員室に聞きに来てください。じゃあ今日はこれで」


「起立、気をつけ。礼」


「あざしたー」


 教室を出ると、廊下の嫌な暑さが夏を思わせた。すると、ちょうど階段で香坂先生に会った。


「あ、鈴木先生。お疲れ様です」


「お疲れ様」


 こうして香坂先生と話すのはなんだか久しぶりな気がする。無理もない、一年生の新学期など普通以上に忙しないのだから。二人とも、次の授業はないので揃って職員室に向かった。


「鈴木先生はテスト返却ですか?」


「そうそう。年々採点ミスが多くなってる気がしてさぁ。生徒たちにカモだと思われないようにしないとね」


「いやいや、歳のせいじゃないですよ。私もめちゃくちゃ間違えてて、さっき長蛇の列になってました。今度はマークシートにしようかな」


「数学はマークシートにできるんじゃない?」


「そうなんですよ。ちょっと三崎先生とかにも相談してみようっと。あ、でも古典はなかなかマークシートに出来ないのもありますよね」


「そうだねぇ、それに福島さんが専ら記述派だから」


 そう言って二人で苦笑した。その時の香坂の口角が、少し前と違っていたのを、この時鈴木は見て見ぬふりをした。







 六月、今年は順調に季節が移り替わり、すっかり梅雨寒の空。毎年恒例の体育祭が六月にあり、何とか天気は持ちこたえたものの、今では雨が続いている。


「鈴木さん、ちょっとホームルーム行ってきてくれない? 面談の用紙が終わってなくて」


「ああ、いいですよ。もうすっかりその時期ですか」


「本当にあっという間で。この天気じゃパフォーマンスも下がっている気がして」


 毎年のこの季節になると、七月の面談に向けた準備が始まる。この学校では、一年生と二年生は保護者も同席してしっかりと打ち合わせをする三者面談が設定されていた。このうだつが上がらない天気の中、担任を持つ教員はその資料作りに終われ、定期試験の採点地獄を抜け出しても休む間などなかった。


 代わりにホームルームに行く途中、香坂先生のクラスを通った。窓から見るに、恐らく彼女も面談についての連絡をしているようだった。彼女にとっては初めての保護者との面談。新学期に聞いた妙な報せが、悪い方に転ばないことを願った。







 七月の終わり、猛暑が酷暑に代わった頃。学校は夏休みに入り、校舎は閑散としている。近年の異常なまでの暑さによって、炎天下での部活動もほとんどない。かつては聞こえてきた夏休み特有の部活の活気は、あまり感じられなくなっていた。


 鈴木は職員室に戻ってきた。扉を開けると、まるで天国のような冷気と、いつものコーヒーの香りが漂っていた。その匂いにそそられ、鈴木も席に着く前にコーヒーを淹れに行く。そしてそれが出来上がるまでの間、目の前の窓をぼーっと見ていた。その窓からは、昇降口に続く階段が見える。ちょうど階段を、誰かの保護者であろう人が下りていた。面談期間も、ほぼ終わりに近づいている。


 鈴木は出来上がったコーヒーを持って自席に向かおうとした。その時、職員室の扉が開いて、香坂先生が入ってきた。彼女は手に資料の入ったファイルを持ち、かしこまった服装を纏っていた。


「あ、香坂さん。面談?」


「......あ、はい。そうです。あともう少しで終わるんですけど」


 鈴木は、その時の声が心なしか元気のないように感じた。彼女が普段、まっすぐで快活な人柄であるからこそ余計に、印象に残った。


「香坂さん......その......」


 その時、女バスの部員が職員室にやって来て、香坂先生はそっちへ行ってしまった。鈴木は、すぐに声がかけられず、口ごもってしまったことを後悔した。確信はないけど、心が後悔していた。


 そして、一ヶ月後。文化祭の活気と相対して、香坂先生はその姿を消した。

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