第178話『ルィルの逃避行(後編)』
防務省は何もできなかった。
イルリハラン王国の国家防衛を司る省庁として誇りを持ち、多方面からくる軍事的衝突から国民の生命と財産を守るため、日々努力と研鑽に勤めていた。
しかし、テロが起きる時まで防務省は警察を含めて把握が出来ず、テロ後でもほぼ何もできなかった。捜査機関ではないのだから当然であるが、顕著なのがブラックアウト後だ。
今こそ国民を守るために奮迅しなければならないというのに、デジタルシステムがダウンしてしまったことで行動に大きく制限が課せられた。
もちろんあらゆる事態を想定してこその軍なのだから、通信ができない状態でも動けるよう訓練はしてきた。
ネット依存のデジタル機器は封じられても、ネットに一切触れていなければ無線は使えた。中継が出来ないから短距離限定ではあるが、それでも使えるものは使って国民を守るべく防務省は動いた。
しかし『防務省』として動けるのはイルフォルンのみで、『軍隊』として動くことは通信の問題から出来ず、各浮遊都市の活動はそれぞれの基地の判断に委ねるしかなかった。
各々の浮遊都市への移動も乗り物が軒並みダウンして叶わず、イルリハラン全軍を統括するにも拘らず、防務省は最寄りの浮遊都市ですらどうなっているのか把握するのに兵士単身で移動する往復分の時間を要した。
爆心地であるユーストルでは何が起きているのかも把握できず、知ったのは宮殿が襲撃を受けた後だ。
国防を司るのに何もできなかった不甲斐なさ。
一浮遊基地でしかないラッサロンは単独で動いて社会基盤と人類の生存権を掛けて戦った。
全軍を統括するはずが何もできず、一基地が単独でこなしてしまったことを受け、抱く感情は屈辱でしかなかった。
メンツを潰された防務省は当然名誉回復を考える。
ユーストルに艦隊を派遣する考えも出たが、各浮遊都市が危機的状況なのに人員を割けば逆に不満が募ってしまう。最小の動きで挽回をすることを考え、思いついたのがラッサロンから報告が上がったチャリオスのデータだ。
世界を混乱に陥れたエミエストロン。圧倒的防護力を持つシールド発生装置。
これらを自国の所有物として独占できれば混とんとする国際社会から突出し、超大国であるシィルヴァスやメロストロを抜いてイルリハラン王国がトップに立つことは可能だ。
その証明をラッサロンはレーゲンで見せてくれた。
日本製のシールド発生装置を装備した戦闘機のみでレーゲンの大艦隊を一方的に壊滅させてしまったのだ。あれを全軍に標準装備すれば文字通り無敵になることができる。
それだけで十分な名誉回復と言えるだろう。
だが、ラッサロンはそのデータを渡そうとしない。極めて重要なデータなため慎重に解読中とし、システム的にもラッサロンのほうが本省よりも安定しているからと時間稼ぎをしているのだ。
重要データの提出義務は揺るがないが、相応の理由があれば保留にすることが出来る。ラッサロンはまだ復旧しきっていないことを利用しているのだ。そしてデータがデータだからネット経由での送信もしたがらず、運搬も理由をつけてしようとしない。
つまるところラッサロンはテータを基地外に出そうとしないのだ。
それでは防務省の名誉が回復できないことから防務長官は回収をしてくるよう命じた。右派であるエルマ王はラッサロンよりの考えをするだろうが、いまが地位を上げるチャンスだ。
防務省情報部には防務長官のコネで親族が一人入省しており、省内でも隠密に進めることが出来た。大々的に動いてエルマ王の耳に入って止められては困る。
例え王の反感を買おうと、防務省がデータを手に入れてしまえば咎を受けようと巻き戻しは出来ない。泣き崩しでも防務省がデータを手にして国益に活かせる。
幸いユーストルから転移してソレイ前王の救出に尽力したリィア少佐らがラッサロンに帰島するため、その便に情報部を三名搭乗させて防務長官の署名の入った書状を持たせてある。
いかに理由付けをして引き延ばしをしようと、防務長官の命令とあれば渡すしかない。
防務長官は座して吉報を待った。
*
ラッサロンに向かうジェット旅客機は貸し切りで軍関係者しか乗っていない。
ロケット旅客機の離発着が出来る空港を含め、民間のジェット旅客機は物資輸送に使われて旅客としてはまだ完全復旧には至っていない。だが軍用はまた別で、多くは物資輸送に使われても一部は人員の移送に使われる。
リィア達が乗っているジェット旅客機も軍用でラッサロンからわざわざ出迎えに来てくれていた。
先の戦闘で戦死したガンビはイルフォルンで葬儀を執り行われるため、残念ながら全員での帰島には至れなかった。
乗員は二グループに分かれ、一グループはリィア達帰島組。もう一グループはイルフォルンからついてきた情報部幹部だ。
ラッサロンに来る理由は戦時中のデータを回収するとのことだが、それにはチャリオスで手に入れたデータも含んでいることをリィア達は知っていた。
「少佐、いいんすかね。このままラッサロンに情報部の連中を連れて行って」
情報部とは前部と後部で席が離れているから小声程度では聞こえることはなく、リィアの隣に座るマンローが訪ねた。
「止める権利なんて俺達にはないし、もう着くって言うのにどんな理由で旅客機から降ろすんだ。向こうは防務長官の命令で動いてるんだぞ」
「そりゃそうですけど」
「情報は送ったんだ。あとはルィルたちがなんとかしてるだろ」
そもそも軍規的にはリィア達が違反をしているのだ。軍法会議に掛けられて不名誉除隊もありえるのだが、そこは自分たちの直感が正しいことを信じている。
リィア達が防務省がチャリオスのデータを独占したことを知ったのは、タレこみ情報がありそれを元に確認を取ったからだ。
タレこみとなるメールの相手先は文字化けして分からなかったが、その後皆で情報部の動向を調べてみると確かに日本にチャリオスのデータを渡さずに自国で独占しようとしているのが分かった。
国益を考えるとその動きは当然だし、軍人として異議を唱えるのは筋違いなのだが、あのデータは手に入れただけでなく、戦争に勝ったのは日本が全面的に協力してくれたからだ。
そうでなければチャリオス本島に侵入することもできなければ、エミエストロンを破壊して世界を戻すことも出来なかった。
共闘したからこそ、全部ではないにしても日本にもデータを渡すのが仁義ではないかとリィア達は思い、軍規に違反しようとラッサロンに一報を入れたのだ。
記録に残すとまずいからか連絡はない。ラッサロンがどんな判断を下すかは現着するまで分からないが、日本と接して来たラッサロンが素直に引き渡すとは思えない。
何かしらの判断と行動はするだろう。
「でも軍規違反すよ。俺たちはまあいいとしても、基地全体が違反したらまずいんじゃ?」
「今更だろ」
それを言うなら防務省も王の命令も聞かずにラッサロンが独断で、日本と共闘をバスタトリア砲を使ってまでしたのだ。指揮系統が崩壊したとして好き勝手動いたのだから、違反と言うなら今更である。
「それにエルマが、王になったとはいえ国益だけを考えるとは思えないしな」
調べた限りではエルマが許可を出したと言う文言は確認していない。あくまで防務長官が許可を出しただから、防務長官の裁量権で回収命令を出したことになる。
ひょっとしたらエルマは認知していないかもしれない。
確認が取れればいいのだが、今のリィア達ではエルマと連絡を取る手段がない。正規ルートだと防務省を経由することになるから封殺されかねないから、向こうが何とかしてくれるのを信じるしかないのだ。
それでもデータを渡すとなれば、もうリィア達は何も言わない。命令に従って見届けるまでである。
「ひょっとして日本に亡命してすべてのデータを渡してたりして」
「……ありえるな。いや、さすがに全部のデータはないか……? ないよな。多分ない」
渡すとは思えないが日本に逃げてる可能性は考えられる。いや、しているだろう。
ルィルはそういう判断をする女性だ。
「まあその時は日本政府も協力してるだろうし、エルマに何らかの方法で確認を取るだろ」
「ホント、俺たちいくつ軍機違反するんすかね」
「それこそ今更だろ」
数えればきりがない。なのに軍法会議にも掛けられず罰も下されないのは、日本と言う特殊な存在がいたからだ。
『当機は間もなくラッサロン浮遊基地に到着する。乗員は降機の用意を』
「答え合わせの時間だ」
話し込んでいるうちに旅客機はラッサロンに差し掛かってきたようでアナウンスが来た。
後方に座る情報部三人もアナウンスを聞いて降機する準備を始め、リィア達も小言の会話を止めて荷物を取りまとめ始める。
「久しぶりの我が家だ」
窓の外にはチャリオスに出撃したときと変わらないラッサロン浮遊基地の全体が見える。その遠くには日本の関東の一部も見えた。
激しい戦闘の跡が大地にはまだ残っており、残骸であろう大量の斑点が見える。
数多のバスタトリア砲がラッサロンや日本に放たれた。常識であればラッサロンは粉々だし、日本も致命的な被害を受けていたはずだ。だがコクーンによってどちらも無傷で存在している。
事前情報を知らなければ、本当にバスタトリア砲を打ち合った戦争なのかと疑うほどだ。
旅客機は速度を落としつつ、ラッサロンの台座平地と同じ高度に合わせる。
離発着場には出迎えか人だかりがあった。
旅客機は台座平地から数メートルの高さで止まり、減速して完全停止する。
「よし、行くか」
軍用旅客機運用に配属されている搭乗員兵士がドアを開けた。
前扉と後扉が開き、手荷物を持ったリィア達は前扉。情報部は後扉から出るよう移動する。
「お疲れさまでした」
扉を開けた兵士がリィア達に向けて敬礼をしながら挨拶をする。
「ご苦労」
それにリィアも敬礼をして答え、半日ぶりに機体の外へと出た。
嗅ぎなれた空気の匂い。イルフォルンとはまた地域や生活基盤が違うこともあって大きく違う、安心する匂いだ。
離着陸場には全員とまでは行かないが千人を超える兵士たちが整列して待っていた。
上下左右と正方形に近い一般的な整列だ。
その列の前には基地司令おり、リィア達は司令官の元へと向かう。
「私、リィア含め八名。イルフォルンより帰島しました。入島許可を願います」
「入島を許可する。全員の帰島は叶わなかったが、君たちの英雄的働きに感謝する。よく戻ってきてくれた」
司令官はリィア達に拍手を送り、後ろの整列する兵士たちからも屋外にも拘らず大きな音としてリィア達を包み込んだ。
「こちらこそ温かい出迎え感謝します。ガンビとフォーラは残念でなりません」
「そうだな。覚悟の上とはいえ、全員が戻ってきてほしかった。だが全滅もあり得る作戦だったんだ。お前たちだけでも戻ってきてくれてよかった」
「痛み入ります」
司令官がリィア達の背後に視線を向けた。
「それでそちらの貴官らは? 帰島しているのはリィア達だけと聞いていたが」
情報部の存在は知っているだろうに、司令官は知らないフリをしてよそ者に対して声のトーンを下げて問いかけた。
「失礼。我々は防務省情報部より来ました。前触れを出さないよう言われておりまして、突然の訪問をお許しください」
「情報部?」
「防務長官より密命を賜っています。ここでは話せないことですので、どこか部屋を利用させてはもらえませんか? 出来ればリィア少佐にも同行を願いたいです」
「俺が? 旅客機に乗ってるときは何も言ってきてないぞ」
「事前に知られて行動を起こされるわけにはいかないので」
知れば一報を入れる可能性があるからその判断は間違っていない。実際送信者不明のタレコミで調べたのだから。
そしてデータ回収にエルマが関与していないことが分かった。だとすればエルマへの確認がデータの行く末を決めることになる。
「……分かった。リィア、荷物を置いたら指令室に来い」
「分かりました」
これにて出迎えは終了で、リィア達を出迎えてくれた兵士たちは解散して各々の部署へと戻り始める。
「リィア少佐!」
解散していく兵士たちの中から、見慣れた仲間が二人抜け出て近寄ってきた。
「サリア、ミスティ」
チャリオス残留組の二人だ。チャリオスのデータ送信をするために残ったミスティと、左腕を撃ち抜かれて戦線離脱したサリアだ。
ルィル含めて生還して話もしていたが、元気そうな姿を見れてほっとした。
「サリア、腕はどうだ?」
「まだ痛いけれど大丈夫。さすがにもう銃は持てないから内勤にはなったけど」
「そうか」
「ガンビは残念でしたね」
「……すまない。全員で戻れなかった」
「少佐が謝ることじゃないですよ。自分たちは全員覚悟して参加したんですから。生きても死んでも誰も恨まない。それだけです」
「むしろウジウジしてるほうが怒られますよ。隊長なら堂々と二人を見送ってくださいよ」
「そう努力するよ」
リィアは集まった旧703偵察隊を見渡す。
残念ながらエルマとルィル、亡きティアもここにはいないが、もうこのメンバーが集まることはないだろう。
最後の号令をリィアは掛けた。
「スゥ……現時点をもってこのチームは解散となる。各々の今の部署に戻るのか、新たな部署に移るかは分からないが、時期に辞令が下るだろう。皆、過酷な任務ご苦労だった。別れ!」
これによってチームは解散となった。
各自荷物をもって基地へと向かいだし、リィアも荷物を置いて会議室に行くため移動を始めた。
「少佐、最後の一仕事頼んますよ」
「おう」
最後の面倒ごとの処理だ。
リィアはしばらく空けた自室に戻る途中で携帯電話のボタンを押した。
*
リィアが指令室に入ると、すでに基地司令と防務省情報部は着席していた。
「遅れました」
会議室に直行の四人と違い、部屋に行っての到着だ。一言告げて会議室に入り、司令官に促されるままその隣に座った。
「さて、役者が揃ったところで始めようか」
「そうですね」
「まずは自己紹介からと行こうか。私はここラッサロンの基地司令をしているプロント・デ・カニバー大将だ」
「自分はリィア・バン・ミストリー少佐」
「私は防務省情報部、機密情報管理課のボイズ・レン・キャニス中佐。両隣は同じ課のエドロとスパンです」
「さて、密命とのことだが、どのような内容で?」
「ご存じの通り、この基地には次世代の技術を多数秘めたデータがあります。それをいち基地で管理するには保安上危険です。よってデータ及びそのデータを閲覧できるタブレットを本省に渡してください。これは防務長官のタニス・バン・キャニスよりの命令です」
そうボイズ中佐は説明すると、一枚の書類を差し出した。
「拝見する」
プロント司令官は書類を手にして目にする。
「……確かに。防務長官からの命令、確認した」
「それではチャリオスから入手したデータを提出していただけますね?」
「正式な命令である以上、こちらに拒否する権利はない。一つ確認したいが、この命令にエルマ王は承認されているのか?」
いきなり核心を突く質問をした。
「いえ、私は防務長官より命令を受けただけですので、承認されているかは把握していません。承認でも王の決裁はなく不要となっていますので」
断言はしなくともほぼエルマは知らない案件と言っているようなものだ。ならばエルマはともかく防務長官はデータを日本と共有することに反対で、タレこみメールは真実だということになる。
少なくともリィアはエルマの性格を知っている。王として国益を重んじても共闘した日本への礼儀や恩義を無視することはないから、データの独占は却下するはずだ。それを見越して独断で動いたのだろう。
だとすればリィアたちの行動は間違っていないし、ルィルが日本に逃げたのはある意味正解だった。
「……それは少々引っかかるな」
「なんですと?」
「このリィア少佐率いる突入班が文字通り命懸けで手に入れてきたデータは、まだ完全に精査したわけではないが、わが国だけでなく使いようによっては五十年百年と文明を飛躍するものばかりだ。それほど重要なデータを、王の判断を仰がないのは不自然ではないか?」
「これは正規の手続きによって発行された命令書です。それを拒否するということは命令違反。軍規に反することになりますが? 大将閣下ともあろう方が分からないわけではないでしょう?」
「報告書は上げているが、チャリオスのデータは日本の協力なくして手には入らなかった。外交と礼儀上、見返りとして一部でもデータを日本と共有するのは筋だが、命令書にはその記載がない。政府としてどう判断を?」
「それは政治の話で、軍人である私たちが考えることではないと思います」
ボイズ中佐の言っていることはもっともで、軍規に限って言えば間違っていることをしているのはラッサロン側だ。データ共有云々は政治の話でいち軍事基地が判断していいわけではない。
王か防務長官、どちらの判断で動くべきかはともかく、規則に従って動いている彼らを責めるのは違う。
「我々はラッサロンからチャリオスのデータを持ち帰るだけです。提出をお願いします」
「分かった。いま用意させよう」
命令書が出された以上はもう抵抗は出来ない。プロント司令官は指令席に向かうと固定電話の受話器を手に取った。
「私だ。チャリオスから手に入れたデータを持ってきてくれ」
「あとタブレットも忘れずにお願いします」
渡すことに懸念を示したからか、うっかりもさせないようくぎを刺してくる。
「タブレットも持ってきてくれ…………ん? なに!?」
あからさま異変が起きたことを声を荒げて、暗に情報部に伝える。
「いま彼女はどこにいる。なに? 日本だと? そうか……連絡する手段は? 電源を切ってる? なら日本に連絡してでも連絡をさせろ」
指令室に来るまでに今のルィルの現状は聞かされている。ほとんど真実であるが、司令官も仕掛け人側だから実情を知っていると笑いたくなる。
「……中佐、問題発生だ。どうやらルィル准尉がタブレットを持ったまま日本へ慰安旅行に行ってしまったらしい」
「なんですって!?」
情報部からすれば密命であり仲間に逃げられたと言われたのだ。驚きもするだろう。
立ち上がってまで驚愕の声を上げると、ボイズ中佐はリィアを見た。
「リィア少佐、まさか告げ口をしたのではないでしょうね」
「おいおい、おたくらの密命をいま聞いたってのにどうやって告げ口をするんだよ」
いきなりリィアに疑いの目を向けるのは情報部だけあるが、そこは想定内なので中佐を直視しながら否定する。下手に視線を動かすと嘘がばれてしまう。
そして必要以上にしゃべらないのが嘘を見破られない定石だ。
「どうしてチャリオスのタブレットをルィル准尉が持っているんです? あれはイルリハラン軍の所有物のはずです」
「管理はルィル准尉に一任している。データもタブレットの重要性は彼女が誰よりも知っているし、下手に管理するよりは一人に任せたほうがいい判断だ」
実際は違うのだろうが、裁量権が司令官にあるから何とでも理由付けは出来る。
「致命的な軍機違反ですね。ルィル准尉含めて不名誉除隊もあり得ますよ。もしタブレットを日本に渡すとなったら……」
「それはないだろうけどな」
リィアがその当然の懸念を否定する。
「あんたらは日本のことをデータでしか知らないからそう思うだろうが、もしルィルが渡そうとしても売ろうとしても向こうが断るはずだ」
「なぜそう言い切れるんです?」
「面倒ごとはご免だからだよ。チャリオスのデータはそりゃ魅力的だが、それでイルリハランと関係を断つなら受け取りは拒否する。せいぜい協力した分の見返りに一部だけもらうくらいだろうな」
「いち国家がそんな緩い条件を出すと?」
「だからデータでしか見てないからそう思うんだよ。あんたらは日本のことを理解してない」
情報部の言う通り、既存の国なら共闘だろうと手に入れたデータは無理にでも手に入れようとする。しかし相手は異星国家の日本だ。他国の常識が当てはまるわけでもないし、イルリハランに依存している日本が裏切るのは自滅するのと同じだ。
もし何がなんても手に入れようとする国だったなら、総力戦で殲滅している。
異星国家が隣国と良好な関係を気付ける信頼関係が、それはないと断言できる根拠なのだ。
情報部は上層部分では分かっていても密に接しているわけではないから、その部分の情報更新が出来ていない。
「……話を戻しましょう。なんであれルィル准尉がしたことは機密情報の持ち出しで軍規違反で、厳しい処罰は免れません。タブレットを渡す心配はなくても紛失や破損の恐れがあるのですぐに戻るようにしてください」
「リィア、電話してみろ。お前なら出るかもしれん。それに意図的に持ち出したかどうかも分からんぞ」
「最上級の国家機密品を無許可で持ち出した時点で意図的以外ないでしょうが」
煮え切らないラッサロンの反応にボイズ中佐はいら立ちを見せ始めた。
リィアはその感情をよそに携帯電話を取り出してルィルの番号を呼び出す。
ちなみにこうなるのは計画通りだ。自室に向かってここに来るまでにルィルに連絡を取っており、こうなることは向こうも想定済みで話が来たら連絡することになっていた。
司令官が電話の先で実際に連絡をしたのかどうかは分からないが、リィアが電話をすると五コール目でルィルは出た。
『はい』
「ルィル、お前いまどこにいるんだ?」
『ワン切りしなかったと言うことはスピーカーではないのよね?』
「やっぱり日本にいるのか」
『エルマの意思確認は若井首相がしてくれたわ。やっぱりこっちよりで、データ独占は防務長官の独断らしいの』
「いま情報部がお前のタブレットを欲しがってる。慰安旅行は切り上げて戻ってこい」
『エルマは向こうで待機してる。防務長官も呼んでるみたいだから、この電話で一気にカタをつけるわ』
「そうか。ならどうすればいい」
向こうは向こうで動いて準備万端のようだ。自分の言葉と相手の言葉が違うのは違和感が強くてもどかしが、ここまで来るなら演技は必要ないだろう。
向こうからすれば最初からスピーカーモードかどうか分からないから、ワンギリでその有無を伝えるようしていた。そうすれば向こうの準備が出来なければ情報を伝えることはない。しかし、向こうも一晩で動いてくれたようで、無駄に時間稼ぎをする必要はなくなった。
『スピーカーでみんなに聞こえるようにして』
「分かった」
携帯を操作してスピーカーモードにし、同時に音量を最大にしてテーブルの上に置いた。
『ルィル・ビ・ティレナーです。聞こえてますか?』
「ええ、聞こえています。私は情報部のボイズ中佐です。あなたは今、チャリオスから押収したタブレットを持っていますか?」
『持っているわ』
「ルィル准尉、チャリオスから生還したのならそのタブレットの重要性は理解していると思う。いかに友好国である異星国家であっても、データを唯一閲覧できるタブレットを持ちだすのは機密情報を扱う上では違反以外にない。このままでは英雄から反逆者に成り下がってしまう。即刻ラッサロンに戻ってきなさい」
『私はいま慰安旅行中で、タブレットは命令によって肌身離さず持っているわ。それと、私は貴方の部下ではないから従う謂れもない』
「今ここに防務長官よりタブレットとデータを回収する命令書がある。部下ではなくても命令には従いなさい」
『……残念だけど、私にタブレットを持つよう命令をしたのはエルマ王だから、防務長官の命令には従えないわ』
「は?」
『ボイズ中佐』
同じ携帯からルィルと違い馴染みある声が出た。
『私はエルマだ』
「っ!? エルマ陛下。電話越しにて失礼します。防務省、情報部ボイズ中佐であります」
『なにやら私が知らぬ間に動いていたようだな。念のためルィル准尉にキーとなるタブレット管理を頼んでおいてよかったよ』
「は、そうでございましたか」
もちろん嘘だろう。情報を送ったあとのルィルの行動は知らないが、そんな命令があるとは思えない。だがこの場では後付けでも王が言えばそうなる。
身内に王がいるとは頼もしくもあり恐ろしい。
『ボイズ中佐、防務長官が出した命令書は私の命で無効とする。データの扱いに関しては私が預かる』
「承知しました」
代理であっても今の王はエルマだ。王の決定に軍人は逆らえず、ボイズ中佐は異も唱えず敬服した。
『だがそのまま帰路については情報部のメンツが立たん。プロント大将、ボイズ中佐に戦時中のデータを渡してほしい』
「分かりました。ネット経由では送れないバスタトリア砲搭載特務艦関連のデータを用意して渡します」
『情報部はそのデータを持って帰島してくれ』
「ご配慮感謝します」
『……そういうことだから、私は夕方に戻ることにするわね』
エルマからルィルに切り替わった。
「分かった。こっちのことは任せて日本を楽しめ」
『そうさせてもらうわ。それでは』
王の力は絶大だ。面倒ごとだった問題を一分程度で終わらせてしまった。
事態が収拾すればルィルと電話をし続ける意味もなく、ボロを出す前に通話は切れた。
「……ふぅ、まさかエルマ陛下が出るとは思わなかったが、この件はこれで終わりだ。バスタトリア砲関連のデータを持ってこさせるので、それをもってお帰り願おう」
「一体どこまでが裏で動いていたのですか?」
さすがに茶番に気付いたのか、ボイズ中佐は怪訝な表情を浮かべながら訪ねた。
「ルィル准尉がタブレットを持って逃げ、連絡をつなげばエルマ陛下が出る。それも我々が秘密裏に来る前にです。前もって知ってなければ出来ることではない」
「何を言うか。エルマは我が基地の仲間だ。そしてエルマはそこにいるリィア少佐やルィル准尉を信頼している。ならタブレットを信用できる仲間に預けたくもなろう? それにルィル准尉は長い間スパイとして敵地にいたんだ。慰安旅行で好きな日本に行っても不自然ではなかろう」
「ではなぜエルマ陛下が電話に出るんですか」
「仲間だからプライベートで連絡を取ってもおかしくなかろう? 先の連絡で、エルマの指示で持っていたと伝えるには本人に聞いたほうが早い。だから出たのではないか?」
よくもまあペラペラと整合性のある嘘を並べられる。基地司令ともなればそうした説得力を持たせる演技をしなければならないのだろう。
なんであれデータに関して日本と軋轢を作る心配はなくなった。
データ独占は魅力的でも、日本との信頼と比べるとケースバイケースだ。リィアからすれば最低限の信頼だけは維持しておきたい。
今後起きるかもしれない問題に備えに対してだ。
「では指令、自分は失礼します」
「ああ、ゆっくり休んでくれ」
リィアは敬礼をし、不完全燃焼となった情報部の横を通ってリィアは指令室から退出したのだった。
*
「エルマ、ありがとう。忙しいのにお願いしちゃって」
『いえ、まさか私が知らないところでこんなことが起きているとは思っていませんでした』
異地交流浸透機構七階にある羽熊のいる部署にて、羽熊のスマートフォン越しに羽熊とルィルはエルマと話をしていた。
先の会話では古典的だがアナログな方法でイルフォルンにいるエルマと、日本の羽熊たちとラッサロンのリィアたちとの会話をした。
リィアからの電話を合図に羽熊の携帯でエルマと通話をし、リィアと繋がったルィルの携帯電話を近づけることでグループ会話を成立させたのだ。
さすがに履歴を残すわけにはいかないから会社の固定電話で若井総理と繋げることはしなかったが、そっちはエルマの領分なので仕方なしである。
「とりあえずこれでルィルはラッサロンに戻っても大丈夫なんですね?」
『それは私が保証します。タブレットを持っている整合性を与えれば軍規違反にもなりません。ルィルさん、日本旅行は後日にして一旦戻ってもらえますか?』
「もちろん。今度は正規のルートで日本に行くわ」
「その時は美子と一緒にもてなすよ。亜紀にも会わせたいしね」
「ええ、私も会いたいわ」
写真では見せてもまだ会わせられてはいない。異星で初めての友人だから、ぜひとも会わせたいものだ。
『羽熊さん、この問題についてはこちらで全て引き受けます。多忙の中こちらの都合で巻き込んでしまって申し訳ありません。公式とはいきませんが個人として謝罪します』
「エルマさん、これ、俺が知ってても危なくはないですよね?」
『もちろんです。後に日本政府と協定を結んでデータについては公表するので、命を狙われることはありませんしさせません』
「お願いしますね。もう命が狙われる秘密を持つのは勘弁です」
『約束します。それではまだすることがあるので失礼します。ルィルさん、時間が作れたらプライベート用の連絡先を送るので、もし何かあればそっちに連絡をください。703のメンバーならいつでも受けますので』
「了解。それとありがとう」
『では』
声だけで微笑んでいるのが分かる。散り散りになってしまったが、こうして電話越しであっても繋がりが守られるのがうれしいのだろう。王と言う高みに立ってしまってもエルマはエルマだ。
「……それじゃ俺たちも解散かな。一応資料を持って帰る名目で来てるからそろそろ出ないと怪しまれる」
「私は物陰に隠れて日が暮れたらラッサロンに戻るわ。いま出ちゃうと見られかねないから」
「そっか……さすがに窓のカギを開けっ放しには出来ないな……」
「気にしないで。迷惑をかけたのだからこれくらい平気よ。だから洋一は東京に戻って」
「分かった。じゃあ今度ここの避難が解除して君が正式に来れるようになったら連絡をしてくれ」
「必ずするわ」
「じゃあ窓から外に出てくれるかな。鍵を閉めるから」
「うん」
もう片付けは済んでいつでも出られるようにしてある。名残惜しいがここまでと、ルィルは携帯電話をポケットにしまうと荷物をもって開けてある窓から外に出た。
「洋一、今回は本当にありがとう。美子にもお礼を言っておいて」
「伝えるよ」
「それじゃあまたね」
ひらひらと手でさよならのジェスチャーをすると周囲を見渡しながら階下へと高度を下げていった。
「ふぅ、何事もなくてよかった」
最悪特殊部隊が突入してきてタブレットを賭けてのドンパチとなるかと思ったが、そこまではならず政治的対話で終わった。
終わりよければ全てよしで、無事に帰れることをうれしく思いつつ羽熊は窓を閉めた。
*
イルフォルンのホテルに仮設された王執務室はかつてないほどの緊張感で満たされていた。
空調は常時稼働しているのに息苦しく、適温にも関わらずうすら寒い。中にいる人たちはみな冷や汗をかくほどだ。
唯一エルマだけは汗一つかいていない。
なぜならその空気を出しているのはエルマ自身だからだ。
「防務長官、あなたは六年かけて築き上げてきた日本との関係を破断したかったのかな?」
エルマの前にいるのは、今回のデータ回収騒動で独断で動いたタニス防務長官だ。エルマが心底怒っているのを感じてか、三周りも年上にも拘らず冷や汗で顔を濡らしている。
「それとも圧倒的技術をもって日本を従えさせるのか? おかしいな、つい先日同じようなことをしたテロリストがいたわけだが、長官は我が国をそうしたかったのか?」
「そんなことはありません。経緯はどうあれ、データを手に入れたのは我が軍です。であれば独占する権利があるはずです」
「……長官、あなたが議員として初当選した時のことは覚えているか?」
「陛下、何の話ですか?」
「覚えているのかと聞いているんだ」
「もちろんです」
「その時、あなたは家族や親族が協力したか?」
「はい」
「それ以外の人は? 家族以外の選挙運動員はいなかったか?」
「いました……っ!」
防務長官はエルマの言いたいことに気付いたようだ。
「まあ初当選に限らずだが、あなたは当然家族ではない選挙運動員には何一つ報酬を出さなかったのだろうな。ボランティアが無報酬なのは当然だが、報酬を出さなければ出来ない仕事もあっただろうに。よほどタダでも手を貸したいほど人望があったようだな」
「いえ、いました」
「なら教えてくれ。今回の件と選挙での報酬でなにが違う。協力があってこそ当選とデータ入手だ。なんで日本はだめなんだ。日本が無報酬でもいいから助ける旨を長官に伝えたのか?」
「違います」
「それを一言で現わせるけど、フィルミは分かるか?」
「はい。差別と言います」
同室にいるフィルミが答える。
「別に個人で日本を異星国家として差別するかは自由だ。個人の思想にまでとやかく言うつもりはない。だがあなたは防務長官だ。軍を率いる以上、差別せず公平に見るべきではないのか?」
「……失礼ながら言わせていただきますが、陛下こそ日本びいきではありませんか? 転移直後からずっと接して来たからこそ、日本のことを考えてしまっていると私は思います」
「私が親日であることは認めよう。だが報酬とはまた別だ。親日だろうと反日だろうと、協力なくして得られなかった物であれば渡すのが道義のはずだ」
「陛下、私は本日付けをもって防務長官を辞職します。国益を優先しすぎて国家間の関係に亀裂を生んでしまいかねなかったのでその責任を取ります」
「いや、辞職は認めないぞ」
「え?」
しでかしたことを考えればそうだが、エルマはあっさりと否定した。
「いまあなたを辞職すればこの件が公になる。日本の若井首相の協力もあって公にはなっていないし、何一つ記録にも残っていないんだ。責任は取ってもらうが辞職は認めない」
「確かに公にはなってませんが……」
「今回やらかしたのは越権行為だ。他国の首相にまで迷惑を掛けたが、そこはデータの共有数で相殺できる。ならば長官として優秀なあなたを排除して別の人をあてがうより、この場限りの口頭注意で納めるほうが面倒ごとが少ない」
「陛下、わたくしから一つ言ってもよろしいでしょうか」
エルマが処分を話しているとフィルミが挙手した。
「なんだ?」
「それではしでかした事でタニス長官は実感が得られません。妥当なのが減給ですがそれでは公になってしまいます。どうでしょう。三ヶ月の減給で減給分を無記名の寄付にするのは」
「それでいいな。タニス長官、三ヶ月間給与の四割を寄付することを命じる。寄付した際はその証拠を私に見せること。この件はこれで手打ちだ。若井首相もこれで納得してくれるだろう」
「……分かりました。陛下、身勝手な行動をして申し訳ありませんでした」
「長官、私の判断が優れていないと思うと同時に、自分の判断が正しいかどうかも同時に思ってほしい。だから相談があるんだ」
「はい」
「フィルミ、閣僚たちをうまくコントロールしてくれ。もうこれ以上の内輪もめはごめんだ」
「畏まりました」
「話は以上だ。下がれ」
「失礼します」
フィルミとタニスは一礼すると執務室こと客室から退室していった。
「……はぁ……日本だからまだ挽回できるけど、ほかの国だとデカい借りだぞ……」
「エルマ兄……」
この件についてはソレイにも同席をさせた。王になるのならこうしたこともあるとして知っておくべきと判断したからだ。さすがにこれ以上知る人間はいないが。
「ソレイ、覚えておきな。優秀だったり権限を持ってたりすると良かれと思って独断で動くから。それでもって秘密裏に処理しなきゃいけないこともある」
自分がそうだったこともあるから、ある意味今回は自分の身に帰ってきたと言える。
「はい。それでデータはどうするんです?」
「データの管理はラッサロンに任せる。それでデータの精査が終わったら、日本政府を協議して共有する種類を決めよう。ソレイ、その時はオンラインでいいから参加するんだ」
「僕がですが!?」
「参加までだ。さすがに裁量権は与えられないけど、王になるなら参加したほうがいい。機密情報を知るんだ。中身は重いぞ」
「……分かりました。参加します」
「それじゃ今日の予定を教えてくれ」
時刻はまだ午前七時。今日もまたするごと山盛りだ。
気疲れをしている暇などなく、エルマは今日の仕事を始めた。
あと2話で終わります。




