第177話『ルィルの逃避行(中編)』
証拠写真を若井に送り、その返答が来たのは四時間後の午後四時過ぎだった。
『羽熊さん、なんとか都合を付けてルィルさんの入国を可能としました』
「そうですか。お手数おかけしました」
『バーニアンの技術データが得られるなら無茶も通しますよ。任務としての入国ですと帰還命令が出されれば戻るしかありませんので私的旅行は崩しません』
「では須田空港を一部でも再開して入国手続きをするでいいんですか?」
『いえ、それだとメディアが聞きつけて面倒ごとになります。ですので政府は私的旅行を認識しても公式に記録は残しません』
実質政府が黙認する不法入国というわけだ。
「ではどこに来てもらうんです? 須田町の中にあるホテル?」
『その前に一つ羽熊さんにお願いがあります。須田町に向かってルィルさんと会ってもらえませんか?』
「私がですか?」
『ルィルさんと羽熊さんは親しい関係なので彼女も安心できます。自衛官が向かえばタブレットを奪われると警戒しかねませんが、あなたなら安心できます』
「私一人で行けと言うんですか?」
ルィルを恐れてのことではない。避難命令が出されてほぼ無人の街に戦闘員でもなんでもない民間人が一人で行くことに対してだ。
『須田町には国防軍が警護に当たっています。グイボラもいませんし、不法入国するリーアンもいないので安心してください』
今まさに非公式にリーアンを入国させようとしている。
「……結婚しているとはいえ男の私が未婚の女性と夜を過ごすんですよ。詳細は話しませんが妻には説明させてもらいますよ?」
『それは仕方ありませんね。なんでしたら私からお話をしましょうか?』
「いえ、話せば分かってくれますが、女性自衛官に行かせることはできないんですか?」
『自衛官ではルィルさんが安心できません。彼女が持っているのは覇権と何兆円も生むタブレットなんです。逆に羽熊さんなら友人として信用していますし、奪おうとしても軽く逃げれるでしょうしね』
「……うれしいのかうれしくないのか微妙な立場ですね」
『だからこそ羽熊さんにお願いしたいんです。ですので素泊まりの準備と食べ物を用意して異地交流浸透機構に行ってください。仮眠室くらいありますよね?』
「場所は私の職場ですか。仮眠室はないですけど、寝るのに十分なソファーはあります」
『そうですか。政府の依頼で急遽資料を取りに来たと言う風にしてあります。ただデジタルではなく紙媒体なので時間が掛かるともしてあるので、夜を越しても不審がられません』
「役所仕事の杜撰さを利用しようってことですか」
皮肉交じりに返す。腐っても転後に発足した特別行政法人だ。データ管理はほぼデジタルだから資料を取り出すのはすぐに出来る。だが町の警護をしている国防軍がその内部事情を知るはずなどないから、そう言っておけば何時間かかっても不審がられない。
『文書主義の逆用ですよ。避難解除していたらもっと楽なんですけど、その前で時間がわずかではこれが限度なんですよ』
「バレれば大問題ですよね」
『この件を知ってる人は全員クビが飛ぶレベルで大問題になります』
世界レベルの覇権と数兆から数十兆円の金になる技術が見れるタブレット。それを持つリーアンを秘密裏に入国させて奪おうとする役人から守る。
国際問題直通だし、他国への内政干渉にもなるから責任を負うとなればクビは確実だろう。
「若井さん……あの、私は政治家でもなければ国家公務員でもないんですが」
今までは国からの正式な要請があって協力してきたが、今回は完全な巻き込まれだ。万が一事が露見してしまっても責任の肩代わりをしてくれる人はいない。娘が生まれたばかりでそのリスクを負うようなことはしたくなかった。
『出来れば羽熊さんを巻き込みたくはありません。ですが辻褄合わせをするならばこれが一番言い訳がしやすいんです。ルィルさん達の気持ちも考えて引き受けてもらえませんか? もちろん羽熊さんに責任を取らせるようなことはさせません。文書で無理強いさせたことを強調して明記するので、被害者側に立てるようにします』
「出来るんですか? あなたも責任を問わされるのに」
『それくらいの避難措置は出来ます。この件を知る中で民間人に属するのはあなただけなので、そこだけは全力で守ります』
政治家のそうした言葉は嘘っぱちであるのが常識だが、友人として接していることもあって若井がそうした政治的嘘をつくのが嫌いなことを羽熊は知っている。
戦争責任を辞任で逃げるのではなく、戦後復興担当大臣として取りきる姿勢からそこは信用できる。
「分かりました。引き受けます」
『ありがとうございます』
「その代わり、政治的な問題はこれっきりにしてください。もう命を狙われる秘密を知るのはこりごりだ」
『約束します。次の政権になっても異地問題に羽熊さんに頼ることはしないことを』
「その言葉、信用しますよ」
『友人として守りますし、万が一来たとしても全部ガチャ切りして連絡が来たことを教えてください。全力で怒りますので』
「出来れば問題解決の選択肢に私を入れること自体やめてほしいです」
『はい』
「……で、今後のスケジュールはどんな感じなんです?」
『午後八時に須田浜区民間に向かってください。そこの規制線を通れるようにしてあるので、止められたら羽熊さんの身分と私の要請を伝えれば通してくれます。あとはそこから異地交流浸透機構までの時間を逆算してルィルさんに来てもらう時間と方角を伝えてください』
「あと四時間か……分かりました。あと、この問題の収拾ってどうつけるんです?」
『何とかしてエルマ王と連絡を取って、王の意思を確認する必要があります。防務省よりなのかラッサロンよりなのか、なんにせよ確認を取らねばルィルさんはラッサロンに戻れない。羽熊さん、個人携帯で連絡できませんか?』
「連絡はしてみたんですけど電波が入らないと返ってきます。それに最後に電話をしたのは戦時中でルィルさんに手渡してたから、エルマさん自身は携帯電話持ってないと思います」
戦時中、エルマに連絡をして鉄甲で身を守れることをルィルに伝えていた。そしてその時にイルフォルンに行く組とルィルとで別れていたから持っていないはずだ。
『そうですか。政府間のラインを使えばできなくはないですが、それだと記録に残るから避けたいんですよね』
「……ともかく私は須田町に行くので、エルマさんへの連絡はお願いします」
『分かりました。八時以降は空けておくので、合流出来たらスピーカーにして話をさせてください。より詳細な事情を聞きたいので』
「分かりました。では準備をするので切ります」
『よろしくお願いします』
通話は切れ、羽熊は美子の元へと向かう。
ここから職場までは交通事情によるが二時間あれば到着する。今から準備しても十分買い物をしていく余裕もあるから、まずは説明だ。
「美子、いま若井さんと話したんだけど、このあと須田町に行ってくるよ」
「今から? 急だね。って避難解除されてないけどいいの?」
「詳しいことは言えないけどルィルと会ってくるんだ」
「……また面倒ごとに巻き込まれるの?」
「守ってくれるかは分からないけど、これっきりって言っておいたよ」
「それってまた巻き込まれるフラグじゃん。書類にはっきりと書いてもらったら?」
「そうするよ。それでルィルと一晩か過ごすことになるから」
「なんだか本当に面倒なことになってるね」
「まったくだよ。で、相手はルィルだけど女性と夜を過ごすから前もって伝えとく」
「それは気にしないよ。ルィルさんだし、ハーフが問題でこの前の戦争が起きたのにワンナイトラブなんてバカなことをあなたがするとは思えないし」
「もちろん。ただ亜紀が生まれたばかりだから心配は掛けたくないからさ」
「そんな心配をしてくれる人が不倫なんてしないよ。どちらかというと面倒ごとであなたがけがをするほうが怖いよ。テロの時だって、亜紀が生まれなかったら死んでたんだから」
「そうだな」
「フラグが立つのがいやだから言わないけど、ちゃんと帰ってきてよ」
「約束するよ。命より大切なものはないから」
「危険はないんだよね? ほら、映画じゃ特殊部隊が突入してくるのとかあるじゃない」
「そう言われると不安になるけど、そうはならないから俺に行くようにお願いしたと思う。じゃなかったら自衛官を行かせてるよ」
「だとしても命を優先にしてね?」
「何を捨てても命は守るよ」
愛する妻と娘が不安で待つのに、国益を考えてタブレットを守って死ぬなんてことはしたくない。それならばタブレットなんて手放して家族に帰ることを最優先で考える。
最もイルリハランの特殊部隊が突入して銃撃戦をするならば深刻な国際問題になる。日本とイルリハランは切っても切れない関係になっているから、両国ともに決裂なんて事態は絶対に避けたいはずだ。本音はともかく建前だけは守ろうとするだろう。
「多分そこはルィルさんも若井さんも考えてるだろうし、こっちも警戒して過ごすよ。早ければ明日には決着がつくから」
公式の記録に残さずに防務省の独断専行を止めるには秘密裏にエルマと連絡を取る必要がある。しかし、現状連絡が取れるのは政府間のラインだけだ。だとすれば記録に残ってしまうから、若井総理もそれは避けたいとしている。
政府間ラインは最終手段として、それ以外で何とか連絡が取れればいいが思い浮かばない。
だとしてもエルマの判断を聞いた時点でどうあれルィルの逃避行は終了するから、明日中には決着がつくだろう。
「だから行ってくるよ」
「うん。あ、あなたが向こうについたらルィルさんと話できる?」
「んー、それはこの問題が落ち着いてからのほうがいいかな。電話を盗聴されて言質を取られると面倒になりそうだから」
「そっか、分かった。でも何度も言うけどちゃんと帰ってきてね?」
「もちろん」
美子の言う通り映画であればひと騒動起きるのが定番だ。特殊部隊に襲われてタブレットを奪われ、それを取り返すストーリー。
当然ながら羽熊には戦闘能力など皆無だし、武勇より命を取って無様な姿をさらすだろう。命が無事ならまだいいが、そんな騒動が起きれば日本とイルリハランに決定的な亀裂をも作ってしまう。
せっかく戦争が終わって次に行くのに六年前より悪くするようなことはしたくない。
だから考えられる不安要素は徹底的に省く。
「五時半ごろに行ってくるよ」
「五時半か……じゃあお弁当作る? 時間的に夕飯食べていかないでしょ?」
「なにかコンビニでも寄って買っていくよ」
「せっかく行くのにコンビニ弁当じゃ味気ないよ。あなたは荷物の準備をしてて、夕食と明日の朝ごはん分作るから」
「ありがと」
「ん」
うなずくと美子はソファから立ち上がって台所へと向かっていき、羽熊も準備のために借りている自分の部屋へと向かった。
*
「ルィル聞こえる?」
『ええ、聞こえているわ。今どのあたり?』
「避難区域の規制線まで五分ってところ。だからあと十分でオフィスに着くかな」
時刻は午後七時四十五分。羽熊は予定通り自分たちの家のある須田町へと向かっており、その道中でニッコを使ってルィルとやり取りをしていた。
『了解。じゃあ八時きっかりに私も着けばいいわね』
「くれぐれもこっち側から見える位置取りはしないでよ。報道陣がそれなりにいると思うから、写真を取られたら面倒になる」
『分かってる。髪も隠して光は見えないようにしてるから。洋一も気を付けてよ?』
「俺は政府に頼まれて資料を取りに来ただけだから問題ないさ」
羽熊は公式の偽要請で避難区域に足を踏み入れる。不法入国を黙認されるルィルと違ってメディアに見られても特に問題はなかった。問題になるのは羽熊とルィルが会っているところを見られるところだが、オフィスビルの内側ならその心配はないし、カーテンやブラインドを閉めれば見られることもない。
「それでエルマとの連絡はどう?」
『ダメ。個人携帯は私が捨てちゃったし、向こうで買いなおしてないみたいで番号は復旧していないわ』
「基地経由から連絡はできないか……」
『出来るけど、多分防務省が止めるでしょうね』
「そうか」
『詳しいことは直接会って話すわ。若井首相も聞いたほうがたぶん次が早いだろうし』
「分かった」
ちょうど規制線も見えてきて、羽熊はニッコのスピーカー通話を切った。
道路を横断するように通行止めのバリケードが設置され、二名の警察官が赤色の誘導棒を持って立っていた。その警官二名は大きく誘導棒を振って停止する仕草をし、羽熊はその手前でミニバンを止めた。
「ここからは通行止めです。引き返してください」
当然運転手が羽熊と知らない警官は、命令に従って引き返すよう伝えてくる。
「私は羽熊洋一と言います。日本政府の若井総理直々の要請で自分の職場に行く必要があります。確認をお願いできますか?」
と羽熊は免許証を見せながら簡潔に説明をする。
「羽熊って……言語学者の羽熊洋一……さんですか?」
「ええ、まあ。それで確認をお願いできますか?」
「少々お待ちください」
最近は出ずとも、転後から手記を出版したあたりで取材を大量に受けたから顔を覚えている人がいても不思議ではない。民間人を自称とする身からすれば他人に顔が知られているのは不気味さを覚えてしまう。
「……確認が取れました。今バリケードを動かします」
「お願いします」
若井総理は話を通してくれたようだ。これで一応建前としての書類を持ち帰れば疑われることはないし、指揮系統でも真相を知るのは若井だけか数人だけだろう。
「詳しいことは聞いてないんですが、避難中の須田町って電気や水道は通ってるんですか?」
「ガス以外は通っています。避難解除と同時に供給を開始しますが、電気と水道とネットは使えます」
明かりや冷蔵庫など常時稼働していなければならないのもあるし、水道も止めるわけにはいかないのだろう。
「ありがとうございます」
「いつごろ戻られますか?」
「たぶん明日まで掛かると思います」
「そうですか。お気をつけて」
「はい」
さすがに警務を放棄するわけにはいかないから手伝うや一緒に行くようなことは言わない。言われるとそれまた面倒だが公務員はこういう時はっきりとしているから心配することがない。
羽熊は免許証を受け取り、会釈をして封鎖を超えてひと気の消えた須田町へと入る。
避難隔離された町は不気味なほど静かだ。
街頭の明かりは点いていても民家やビルは消灯されたままで、音も自分が運転する車の走行音しかしない。
撤収中とはいえ国防軍の前線基地だというのに、大方の撤収が完了したのか自衛官の姿もなかった。
「まるで人類が滅亡した世界に来たって感じだな」
動くのは車の移動に合わせて後ろへと流れていく街頭と、ミニバンが照らずヘッドライトの光だけだ。
映画やゲームを彷彿させる風景に畏怖を抱いてしまう。
もちろん角を曲がってもグイボットもいなければグイボラもいない。逃げ延びた敵リーアンもいないから移動に関しては気持ちとは裏腹にスムーズだ。
そして無人の町であってもボタン式以外の信号は律義に動き続け、律義に羽熊もそれに従う。
無視しても構わないのだがそこはルールに従う日本人の性か。
そうして羽熊の乗るミニバンは職場である異地交流浸透機構へと到着した。
時刻は七時五十分。
約束の時間の十分前に到着し、羽熊は異地交流浸透機構にある来客用駐車場へと車を止めた。
普段羽熊は自転車通勤で来ているから自分用の駐車場はない。誰もいないのだからどこに止めようと関係ないが、路上駐車は気持ち的に嫌なのと「私はここにいます」と伝えてしまうのも避けたかった。
日本側は容認してもイルリハランの防務省側がどう動くか分からない。後顧の憂いを断つのも考えて目立たないように駐車場へと車を移動し、持っているカギで裏口からビルの中へと入った。
星務省所管の異地交流浸透機構は十階建てで、明かりはなるべく点けたくないから持参したランタンを使って室内を照らし、稼働記録も残さないようにエレベーターも使わず階段で七階へと上がる。
デジタル社会である以上、ある程度の記録が残るのはやむを得ないがその数は減らしておきたい。
七階に向かうのは羽熊が務める部署があるからで、高さを考えるなら十階だがそこへのIDパスはない。
「ルィル、いま仕事場についた。俺の部署は七階の北側だからそこに回ってくれ」
『了解。着いたら合図を送って』
「はぁ……はぁ……分かった」
運動不足ともあって七階上がるだけで膝が重くなる。
「運動しないとな……」
これから亜紀を連れて美子と色々なところに行く。大黒柱として運動不足でヒィヒィしている姿は見せたくない。
元に戻ったらせめて活発になる頃の亜紀と息切れせずに遊べるよう体力を付けようと、決意をして七階へと上がった。
電気は通っているから非常灯は灯っており、ランタンで周囲を照らしながら静寂でホラー映画特有の不気味さのある通路を移動して、自分の職場の前へと着いた。
IDカードをカードリーダーにタッチしてロックを解除し、ドアノブを回して中へと入る。
三十人は努める広々としたオフィスは当然誰もいない。
蛍光灯を点けると人がいると一発で外からバレてしまうから点けられず、ランタンを消してスマホのライトに切り替えて窓へと向かった。
ブラインドで閉められた一つの窓に向かい、ブラインドを引き上げた。
「うおっ!」
開けた瞬間、そこには空に浮遊する一人のリーアンがいたのだ。
頭にはビニール製のニット帽を被って発光を防ぎ、ネックウォーマーで鼻まで覆って可能な限り露出を減らしていた。肩からは鞄を掛けていてすぐさまルィルだと分かった。
すぐに窓のカギを開けて窓を開けると、ルィルは無音で室内へと入ってきた。
「ふぅ……洋一、ひさしぶり」
「久しぶり」
再び窓とブラインドを閉め、ニット帽とネックウォーマーを外して挨拶をするルィルにあいさつで返した。
ルィルは握りこぶしを突き出して、それに応えるように羽熊も軽く拳を当てる。
ランタンに光を灯して、わずかばかりに周囲を照らす。
「今回は巻き込んでごめんなさい」
「急だったけど、なんとか若井総理がやってくれたよ。まずは荷物を下ろそう」
羽熊は数歩下がって適当な机を指さした。これは羽熊にルィルからタブレットを奪う意思がないことを伝えるためだ。
日本政府や防衛省からすれば、バーニアンのデータにアクセスできるタブレットは垂涎の的だが、羽熊個人からすれば何が何でもというわけではない。だから手を出す気はないとして数歩下がる。
「他に人はいないの?」
「いない。警官も自衛官もいないよ。あ、だったら窓は開けとこうか。もし俺も知らないで来ていたらまずいから」
後顧の憂いは徹底的に潰す。明かりの関係からブラインドは閉めないといけないが、窓は開けられる。羽熊は再び窓に近づいて窓だけ全開にした。
「もし誰かが攻めてきたら逃げて」
「そうならないことを願うわ」
「まあここでルィルを拘束してタブレットを奪ったらイルリハランとの関係が終わるから、それは何が何でもしないだろうけど」
「だから私も逃げたのよ。ここで防務省がデータを秘密裏に独占しても、必ず再現したら表に出てあなたたちが気付くから」
「まあ、コクーンや鉄甲は作れなくはないけど、エミエストロンやペオが突然出てきたら疑うね」
「だから共有するって考えがラッサロンにはあったのよ。なのに防務省は出し抜かれた挙句に、ラッサロンだけが戦果を挙げたから焦って動いたのよ」
「あ、待って。まずは若井さんと繋げるから」
「そうね。最初から話すわ」
概要は知っていても事の始まりまでは聞いていない。スマホを取り出してニッコを起動させ、若井に繋げてスピーカーモードにして机へと置いた。
『もしもし、羽熊さん? ルィルさんと合流出来ましたか?』
待っていたようで、ほぼノータイムで若井は出た。
「いまそばにいます。それでルィルさんから事の発端を話してもらおうと思って」
『ルィルさん、若井です』
「若井総理、此度は急な要望に応えていただいて感謝します」
『我が国にも影響がある事案ですので協力はします』
「私がここにいることを知っているのは何人くらいですか?」
『私と羽熊さんと奥様の美子さんの三人だけ……ですよね?』
「そうです。ほかの人はルィルさんのことは知りません。若井さんのほうは?」
『私も同様です。ではルィルさんお願いします』
「分かりました」
事の始まりは今日の午前八時ごろ。ちょうど十二時間前で、ルィルは休暇を使って実家に帰省しようと計画を練っていた時だ。
私用の携帯電話に着信が入り、出ると帰島途中のリィア少佐だった。
転移後から安否以外知らされていなかったから話をしようとしたら、リィアは小声で帰路についている途中と防務省の情報部が同乗していることを話した。
そして情報部は先の戦争で回収したバーニアンのタブレットとデータをオリジナルごと回収し、情報と技術の独占をするとして協力を要請した。
リィア達は話を聞いたときはデータがどのような扱いになっているのか知らず、そこでタブレットやらデータのことを知り、それは筋が通らないだろと連絡を取ったようだ。
やはりリィア達もあのデータの扱いに関して、ラッサロンが決めるならともかく役立たずだった防務省やしゃしゃり出るのには納得いかなかったらしい。
しかも指示を出したのは防務長官で情報部には防務長官の親族もいる。だから強気に出られたとのことだ。
ただ、まだラッサロンには提出命令は出ていない。指揮系統から防務長官の命令には従うほかないが、正式に出る前であれば動くことはできる。
状況を知ったルィルはラッサロンの司令官にそのことを報告し、ちょうご旅支度をしていたこともあって荷物にまぎれたタブレットを持って日本に向かおう、とする強引な理由付けを考えたのが電話を掛ける十分前だったらしい。
「タブレットにしてもデータにしても、私たちが自力で手に入れた物なら当然独占するけれど、日本の協力が無かったら手に入っていない。なのにどうして日本を無視して独占できるの? だから避難することにしたの」
『まさに仁義、と言うわけですか』
「義理立てとも言うのかしらね。戦争に勝ったのも、私が生きてるのも、リィア達がチャリオス本島に潜入できたのも、全部日本が共同してくれたからだもの。なのに自分たちの都合だけを通すなんて人として出来ないわ」
『だからこそ日本とイルリハランは手を握り合うことが出来ました。おそらくこの件が露見しなかったとしても、日本は権利を相談しても要求はしないでしょうね。経緯はともかくデータを手に入れたのはイルリハランですから』
「そうなるんですか?」
『合同チームで手に入れたなら主張できますが、入手する瞬間をこちらは把握していませんからね。建前と本音とで分かれます』
事実上日本の協力で手に入れても、直接手に入れた根拠がないからやんわりとしか言えないわけだ。
「だけど共に戦ったからこそ共有するべきと私たちは考えたの。少なくとも私の独断ではなくて、ラッサロンの兵士はみな同じ意見ね」
『予想は出来ます。おそらくそのデータの中には戦争時にチャリオスが見せた兵器以外のデータも多数あるのでしょうね。共同したからこそ露見したデータは共有してこの件で日本は何も言わないようにしたい。意味合いは違いますがそんなところでしょう』
と若井は日本側が考えるデータ共有リストを挙げた。これ以上は実質求めないと伝えているのだ。
「状況整理はこれでいいとして、あとはどうやってその情報部を黙らせて帰らせるかですよね」
『ルィルさん、あなたの考えですとエルマ王はどちら側でしょうか』
「間違いなくこちら側と思うわ。国際問題と個人的考えから見ても、一部でもデータ共有して終わらせたほうがデータの精査と実証がすぐに行えるから」
『……仕方ない。政府間ホットラインを使ってエルマさんと連絡を取ります』
「いいんですか?」
『携帯が不通なので、個人的要件ながらホットラインを使ったとして誤魔化します。たぶんエルマさんも察するでしょう』
「まあ多分なにかあったなと察するでしょうね」
一国の首相がアポなしで政府間ホットラインを使って私的利用をするなんておかしい。エルマならなにか重大なことがあったと察して対応するはずだ。
エルマを深く知る羽熊はそう確信する。
『ルィルさん、リィアさん達が基地に着くのは何時ごろです?』
「明日の午前中かと」
『先ほどの説明は全部録音してあるので、それをエルマさんに聞いてもらいます。事実確認をしたり指示を出したりするでしょうから、多分その頃には決着はつくと思います』
「ではそれまではここにいても?」
『公にはできないので外には出ないでください』
「構いません。厚着をすれば寝具に入らなくても平気ですし、空に立ったまま寝るのも日常茶飯事なので」
「俺はソファで寝ますよ」
『分かりました。では失礼します』
することがない羽熊たちと違って若井は総理としての仕事もあって忙しい。することをまとめて早々に通話を切った。
「あとは待つだけか」
「ごめんなさい。せっかく戦争が終わったところなのに」
一瞬の静寂の後、ルィルは改めて面倒に巻き込んだことを謝罪する。
「もう謝らないで。別に誰かが怪我をすることも死ぬこともないんだから。めったにない特殊なお泊りとしか思ってないよ」
「そう言ってもらえると助かるわ」
「それでなんだけど夕飯は食べた?」
「いえ」
「美子が夕飯用に弁当を作ってくれたからそれを食べよう。それで話せる範囲でいいから今回どんなことをしたのか教えてよ」
「美子、お弁当作ってくれたの? うれしい」
羽熊にできることはルィルと一緒に、健全に夜を過ごすことしかない。夕食を取っていない羽熊の腹は静かながら鳴らしており、一緒に食べようと持ってきた鞄を開けて弁当箱やお椀と言った夕食セットを机の上に広げる。
「ルィルは味噌汁とか平気だよね」
「え、味噌汁もあるの?」
「インスタントだけどお湯を持ってきたから」
二つのお揃いの弁当箱を置き、その隣にお椀と置くとインスタントの味噌汁と具を入れる。魔法瓶は二個持ってきていて、一つは水で一つはぎりぎりに注いだお湯だ。
二時間以上の運転で少し冷めてしまったが味噌汁として飲む分には問題ない。こぼさないように注いで味噌汁の匂いを漂わせる。
「さ、いただこう」
「ありがとう。基地じゃ用意できなかったから我慢しようと思ってたの」
「ならちょうどよかった。どうせ寝るにしてもすぐには眠れないだろうからさ、ゆっくりと話をしよう。ネタはたくさんあるから」
「ええ、私もたくさんあるわ」
ルィルは浮いている高さを下げて、弁当の置いてある机の椅子へと腰を下ろした。
「あれ、床に近づいても大丈夫?」
「実はあの戦争のあと、床や地面に近づいても平気になったの」
「へぇ。まあグイボラやグイボットを間近で見続けて駆除したりしてたら慣れる……か?」
「荒療治かもしれないわね。ひょっとしたら地面に近づける突破口になるかも」
「だとしたらいいね」
ルィルは箸を使える。美子はそれを知っているからスプーンは入っておらず、二膳の割りばしがあるだけでそれを手渡した。
「では」
いただきます。
二人は両手を合わせて唱え、弁当を食べた。
「それじゃどこから話そうかしら」
「時間はたくさんあるからゆっくりでいいよ」
正真正銘邪魔のいない二人っきりだ。話す時間はたくさんあり、ルィルは弁当箱をつつきながら捜査官として動いたころから話し出した。




