第176話『ルィルの逃避行(前編)』
対チャリオス戦を戦争と呼ぶべきか紛争と呼ぶべきか、実は日本国内では正式に決まっていない。
戦争は国家間同士の争いを差し、紛争は国内での反抗勢力との争いを指す。
では国際展開する軍事企業が突如反旗を翻して攻め入った場合はどちらが適切なのか、定義に照らし合わせれば紛争となるが、チャリオスが仕掛けた規模を考えると国家レベルともいえる。
そのためメディアでは戦争または紛争と各々の判断で表記された。
ただ、イルリハランではラッサロンと含めて戦争で固定していることから、それに倣って近々戦争で統一する談話を発表するらしい。
チャリオスとの世界の主導権をかけた戦争が終結して十日が過ぎた。
日本国内では復興作業を活発化させている。
主な被害は日本列島を五つの区分に分けてコクーンを展開したことにより、その接地面の不動産の保証と、高度六十五キロから落下した大型護衛艦が生んだ被害だ。
そのどちらも被害は大きく、特に護衛艦の落下のエネルギーは減量化をしても大きかった。なにせ終末速度があるとはいえ六十五キロの高度から落下し、尚且つ一隻が五千から一万トンとあればその威力は核兵器に匹敵する規模になる。
もちろん破壊されない前提を防衛省はしてはおらず、万が一コクーンが突破されて破壊された場合は自爆をしてより細分化する細工を施していた。
高度が急速に落下したら自動で起動するため、どのような形で突破されても起爆システムが破壊されてなければ爆破して数メートル台にまで細かくなる。
周囲への被害は免れないが、元々護衛艦が滞空していたのは人口密集地から離れていた山奥だ。山の持ち主への保証は免れないが被害と補償を最小限にするにはこの方法しかなかった。
ただ、それが無事に機能を果たし、落下した七隻の護衛艦が出した被害は大きいが何もしなかった時と比べて数十分の一にまで減らせた。
復興予算でかなりの額が必要となるが、ではコクーンがなかった場合と比較するとはるかに安く済むから痛いが安い経費と言う認識らしい。
特に民間人の被害が出ていないのが大きかった。これで国民に多大な被害が出ていたら内政は混迷を極めていただろう。
先の戦争で戦死した自衛官は二八十人。ラッサロンの戦死者は百人。
歴史上の戦争と比較すると圧倒的に少ないが、それだけの人生が失われたことには変わりない。
しかも戦後八十年以上経ってだ。八十年前と現代では命の価値観が違うし、争いことが絶えない国とそれ自体がない国でもまた違う。
だから官民共々勝利しても断じて手放しで喜ぶ雰囲気ではなかった。
とはいえ立ち止まるわけにもいかない。時間は常に進み続け、止まっては何も変わらない。
日本は悲劇をバネに大きく躍進する国だ。
それを表すかのように、惨劇を前にしても昼夜コクーンの設置地域では破壊された家屋の解体作業が行われ、落下した護衛艦の回収作業を行っている。
完全に元の状態に戻るには数年は掛かる見通しだ。
*
「あなた、いつ頃須田町に帰れるの?」
妻の美子の実家のリビングで、亜紀を抱きしめながらあやしているとコーヒーを持ってきた美子が聞いてきた。
「戦争が終わって十日も経ったし、須田町自体はそんなに被害はないから戻れるんじゃないの?」
「あそこは前線基地になってたから退去に時間がかかるし、グイボラの心配もあるからね。グイボットは見えるからいいけどグイボラは地中だから見えないし」
「でもここ一ヶ月表れてないから大丈夫じゃない?」
「それは俺も思う」
グイボラが出現してから毎日目撃情報があったが、一ヶ月前に最後の駆除をしてからは発見はないし、戦争中でも国防軍が須田町に駐在していた。
さすがにぴたりと出現しなくなって一ヶ月も経てば完全駆除できたと判断して問題ないだろう。
おそらく国防軍の退去完了と同時に避難解除するはずだ。
「早いところお家に戻りたいねぇ」
羽熊の隣に座った美子は、微笑みながら抱きかかえる亜紀に指を伸ばして小さい手に握らせる。
「そうだな。俺も本当の仕事に戻りたいよ」
今の羽熊は実質無職状態だ。元々の職場は須田町にあり、参考人として政府に協力していたがその契約も先日に切れた。
することがないから、妻の義実家で家事手伝いをしつつ少しの間放棄してしまっていた亜紀の育児に専念していたのである。
「ねぇ、避難解除して落ち着いたらなにか動物を飼わない? 育児に合わせてペットを飼うと良いって聞くし」
「ペットか……ちゃんと躾けられるかな。飼ったことないぞ?」
「そこはちゃんと勉強して……ね?」
「そうだな。この戦争の傷跡がどれくらい響くか次第だけど考えてみようか」
「やった」
するとポケットに入れていたスマホから着信音が響いた。
「っ、ああああああ!」
着信音にびっくりして亜紀が泣き出す。
「あらあらびっくりしちゃったね。亜紀頂戴」
「ごめん」
抱えつつでは電話はできない。羽熊はぐずる亜紀を美子に渡してリビングから出た。
「ルィルさんから?」
画面に映る発信元はルィルであった。
戦後処理などで迷惑がかかると思って電話は掛けないようにと思っていたのだが、彼女のほうから連絡がきた。
「はい、もしもし」
『突然の電話ごめんなさい。ルィルよ』
「久しぶりでね。あ、いや、先の戦いお疲れ様でした」
『大変だったけどみんなの協力で切り抜けられたわ。こちらこそお疲れ様。日本のおかげで勝つことができたわ』
「戦後処理とかで大変だろうと思って電話を避けてたんだけど、もうある程度は落ち着いたの?」
『そうね。おかげさまで数泊なら出かけられるほどには落ち着いたわ。ねぇ、いま洋一はどこにいるの? 接続地域?』
「美子の実家だよ。東京の」
『東京か……』
なにか歯切れが悪い様子に、羽熊はいくつかの予想を考える。
「ひょっとしてこっちに来たいの?」
ルィルの確認する文言からそれが第一候補に挙がる。
『出来ればね』
「さすがに今はまだ難しいよ? 接続地域一帯の避難解除はされてないし、国防軍がいるから関係者以外の立ち入りはできないだろうし」
『洋一は関係者よね?』
「関係者じゃないよ。あくまでアドバイザーとして政府に協力しただけだから、接続地域に入る特権なんてないさ」
『そう……それは困ったわ。数日だけでもいいから日本領に入りたいのだけど』
ここまでくれば単に旅行ではなく、何らかの事情で他国に逃げたいと分かる。
それを直接言わないのは言質を取らせないためだろう。
「……」
羽熊は思考を巡らして、一つルィルに尋ねた。
「もしかしてだけど、せいじ君かぐんじ君に会いたいの?」
『…………ええ。片方よりはどっちもかしら』
質問の意図にルィルは察したのか答えてくれて、動機は分からないが理由は分かった。
テロが起きてから隠語ばかり用いてやり取りをし続けた成果を喜んでいいかはわからないが、前提さえ分かれば会話はしやすくなる。
「どっちもか。会う約束の時間って決まってる?」
『出来れば今夜には会いたいの。無茶なのは分かっているんだけど、どうにかならないかしら』
「俺一人じゃどうにもできないから他の人に聞いてみないといけないな」
『無理なお願いだからできれば人は増やしたくない……かな』
二つの理由だから厄介な案件だ。知る人間は極力減らしたい気持ちは理解できる。
しかし、羽熊には何一つ権限がない。首相官邸に向かっていたのはアドバイザーなだけで何かしらの決定権はなく、避難区域に含まれている自分の家にすら帰ることは許されないのだ。
ここで羽熊が許可したところで羽熊は接続地域には入れないし、逆に近づいたルィルは国防軍に不法入国として逮捕されてしまう。
ある意味日本に逃げ込んではいるが、逆に前科がついて送り返されてしまう。
合法的に出入国するようにしなければこれまた面倒になる。ただでさえルィルは名目上とはいえ不名誉除隊をしているのだ。それは避けねばならない。
「だとしても俺一人じゃどうしようもできない。あまりことしゃないけど、ある意味最強のコネを持ってるから、話すだけ話すよ」
『……それしかないか。お願いしていい?』
「話がついたら折り返し電話をするよ」
『ありがとう。ちなみにだけどこの旅行はお互いにためになるから』
「分かった。念を押しとくよ」
通話が切れた。
「また面倒ごとか。戦争が終わったばっかりなのに向こうは向こうで動いてるんだな」
政治と軍事でルィルが一時的に国外に出たい事案。それだけなら亡命とも言えて、エルマがテロの実行犯と言われて日本に逃げた状況と似ている。
知っている限り表ざたになってる直近の騒動は、レーゲンが軍事侵攻してラッサロンが一方的に撃退したことだ。コクーンの存在が世界中で認知されて扱いが問題になると言われているが、それが原因でルィルが逃げる状況になるとは思えない。
水面下で別の騒動が起きているのだろうか。
何であれ、日本も関わるとなれば無視するわけにはいかないしルィルは大事な友人だ。頼られて見捨てる選択肢は羽熊にはない。
とはいえ、信頼出来て頼れてこのことを知る人間を最小限とすると相談する人はほぼ決まる。
日本に於いては最強のコネであっても個人的信条としては使いたくなかった。が、羽熊一人ではどうにもならないから、画面を操作してとある人物の名前を探す。
時間は午前十一時。戦後処理や辞任準備、国内政策と分刻みで動いている。安易に電話を掛けたところで出るとは思えないから、メッセージアプリを起動して連絡をするよう文章を送った。
危機感を煽る文言にしたから、時間があれば連絡してくれるだろう。
「お帰り、誰からだったの?」
リビングに戻ると美子が聞いてきた。
「ルィルさんからだったよ」
「え、ルィルさんから? 元気にしてるの?」
「なんか厄介ごとに巻き込まれてるっぽいね」
話すべきではないだろうが、美子はSNSでやたらとコメントを残す性格ではないし、言いふらしたりもしないから知っても問題ない。身内に甘いかもしれないが羽熊は話した。
「また? 向こうも大変だね」
「なんかリアクション軽いね」
「だってお父さんに電話をする余裕があるのと、お父さんが慌ててないから厄介ではあっても危険じゃないかなって」
美子の言う通りだ。危険なら羽熊ではなく日本に連絡をするから、羽熊に電話をする時点で危険度を測ったらしい。
「さすが。詳しいことは聞いてないけど一時的に日本に避難したいみたい」
「となると前のエルマさん達みたいに亡命希望?」
「そんな感じはなかったから避難じゃないかな」
「けど接続地域は避難解除されてないのに日本に来れるの?」
「それを今聞いてみるところ。返事がいつ来るかは分からないけど」
期限は夜。夜といっても深夜ではないだろう。せいぜい午後八時とするなら小細工をするには時間が少ない。けれど向こうから時間を作ってくれなければ何もできないから、気にしつつも美子から亜紀を貰って再びあやしながらテレビを見るのだった。
連絡がきたのは一時間後である。
『羽熊さん、メッセージ見ました』
メッセージを読んでくれた若井総理が電話をしてきてくれた。
「若井さん、多忙の中すみません」
『五分なら大丈夫です。それでルィルさん絡みで厄介なことが起きたとか?』
「言質を取らせないために直接的な表現はしてないんですが、どうやら向こうで政治と軍事絡みで一時的に国外に逃げたいみたいで、接続地域に来たいそうなんです」
『ラッサロンの日本大使館からは特に聞いてはませんね。国外に避難というなら大使館に逃げるほうが早いですが』
異例ではあるが、イルリハラン国内にある日本大使館は軍事基地のラッサロンにある。当然大使館は日本領だから逃げ込むと治外法権として逮捕はできない。
「いえ、旅行と言っていたので亡命的な避難ではなく一時的に逃げる避難をしたいんだと思います」
『問題を大きくしたくない、と言うことですか』
「ただでさえ任務とはいえ不名誉除隊をしましたからね。しかもニュアンスから公式ではないようだから次は本当に不名誉除隊になりかねない。ギリギリ何とか出来るのが旅行と称しての国外逃亡かと」
要は高飛びだ。電話ができるのと急いではいても切羽詰まってないことから現在進行形で追われているわけではない。ならば周囲の人間は味方か黙認していると推察できる。
『……羽熊さん、分かると思いますがこれだけの情報で法を捻じ曲げて都合をつけさせるのは厳しいです。確たる証拠がないと』
「それは承知しています。だから若井さんに相談をしてるんです。それでダメならダメだったと返事をするだけですので」
羽熊としては助けてあげたいけれど、出来ることと出来ないことがある。我儘を通していい事案ではないし、そこまで子供でもない。
だからこそ羽熊は判断を上に委ねたのだ。責任逃れとも言えても、そもそも羽熊に責任を取る義務はない。
『出来ればその政治と軍事的理由が知りたいですね。ルィルさんが詐欺まがいの嘘を言うとは思ってませんが、立場的に相手の言葉を鵜呑みするだけで動くわけにはいきません。その逃げる理由と証拠があればこちらとしても動く根拠になります』
「具体的にに言わないのは証拠を残すのを避けたいからだから、お願いをしても拒むと思いますよ?」
『……羽熊さん、メッセージアプリにあるアプリを送るので、それをルィルさんに送ってください』
「アプリですか?」
『これは政府専用のメッセージアプリで通話記録が残りません。それなら安全に情報を送れます』
「暗号化するアプリはあったりしますけど、その類ですか?」
『一般的なそれは民間のなので開示請求すると止められませんが、このアプリにはそれがありません。元々は閣僚間でのやり取りをする目的として開発されたもので、存在自体が知られてないので流出する心配もありません。使い方は電話番号を登録して、同じアプリに登録しあった番号同士でやり取りができます』
「では私とルィルさんで情報を受け取って、それを若井さんに渡すってことで」
『それで構いません。すみません、時間が来たので一旦切ります』
「分かりました」
通話が切れると、メッセージアプリに着信アイコンがすぐさま出た。開くと『ニッコ』と書かれたアプリがあり、それをタップするとインストールが始まった。さらに追加でアプリとメッセージが来た。
『これはゲスト制限版でコピー制限があります。ホストから任意の回数のインストール権限が与えられるので、二つ送ったどちらかをルィルさんに転送してください。送った方は使用不可となります』
これを週刊誌とかに持ち込むつもりは毛頭ないが、秘密の政府専用アプリをほとんど考える間もなく民間人に渡すとは、それだけ信用されているのか警戒心がないのか扱いに不安がよぎる。
それでも若井なりに動く根拠を得ようとしているのだから、その善意と厚意に甘えてルィルにも触れていないほうのニッコをメッセージアプリに説明を加えて送った。
ニッコのインストールが終わると登録画面に変わり、電話番号を入力する。
あとは民間のメッセージアプリと同じ要領だ。
そして若井とトークルームを開くと、さっそくテストメッセージが来た。
『ルィルさんからの情報を待ってます』
そのメッセージに適当な返答をしてルィルからの応答を待った。
応答は音声通話だ。
「もしもし」
『ルィルよ。アプリありがとう』
「いや、一応これ経由なら情報漏洩はないらしいから言えなかったことも言えるよ」
『助かるわ。さすがに言ったことがバレると本当に不名誉除隊になるから』
「時間がないから簡潔に理由を教えてほしいのと、若井総理に動いてもらいたいので動くべき証拠を送ってほしい。できるかは分からないけど、ルィルさんを日本に入国させます」
『理由はチャリオスから手に入れたバーニアンの技術情報を我が国の防務省が独占しようとうごいているらしいの。だけどチャリオスの中ではこれは日本が協力しなければ手に入らなかったから、一部でも共有する方針と反発しているの』
「あいつらに技術情報を手に入れたの?」
『運よくね。ただ情報を見るにはバーニアンが作ったタブレットが必要で、それを今私が持ってるの』
「…………カギとなるタブレットを旅行の荷物に紛れ込ませた体で日本に逃げて防務省の独占を防ごうって魂胆か」
『察しがいいわね』
「この六年で鍛えられたよ。でも軍人って命令は絶対じゃなかったっけ?」
『まだ正式に命令が下ってないの。この情報は今こっちに戻ってきてるリィア少佐が流してくれて、すぐに旅行に出たってわけ』
「なるほどね。じゃあそれを若井さんに伝えるから、見せられる技術情報を映したタブレットの画像を送って。それなら日本政府も黙ってるわけにはいかないから」
ルィルたちの行動はもしその情報が洩れれば日本との関係が悪化することを危惧してのことだろう。
これからも日本との関係は友好状態を堅持しないといけない。たとえ自主的でもいずれバレることだから、その前に伝えたほうが誠意が伝わって好感を持たせることができる。
善意と打算からラッサロンは動こうとしたけど、防務省は独占しようとしてこの事態となった。と言ったところか。
確かに政治的で軍事的理由だ。その行動が正しいかどうかは羽熊には判断できないから考えないようにして、とにかく中継ぎ役としての役目を優先する。
ニッコのルィルとのトーク画面に着信が入った。写真を撮って送ってくれたようで、タブレットとペオの文字が大きくあるデータが表示されていた。
文字はマルターニ語だから読めるけれど、技術者ではないからそれが本物かどうかは分からない。
「詐欺じゃないことを祈るぞ」
確率的に詐欺ではないことも軍事作戦でないことは分かっている。避難解除されれば通常通り入国することができるのだから、わざわざ嘘っぽい理由を立てて無理にでも入国する意味はないのだ。
それに戦争で疲弊している今に追い打ちをかければ日本も温和にとはいかないし、日本が大好きなルィルがするとは思えない。もし命令があったとしても軍を辞めるだろう。
だから羽熊は口ではそう呟いてもそうではないことを確信し、若井に向けて証拠画像を送ったのだった。
愛用していたPCが前話投稿後に致命的なクラッシュをしてしまい、執筆作業が出来ませんでした。
幸いシステム以外のデータは無事でしたが、設定等の再現に時間が掛かってしまいましたがなんとか戻せました。
あと少しなので頑張ります。




