ED1:婚活失敗ルート
離婚して最初の週末、俺は婚活アプリに登録した。
四十二歳。会社員。年収六百万円。離婚歴あり、子供なし。
自分で言うのもなんだが、条件は悪くないと思う。仕事は安定しているし、健康にも問題はない。家事も一通りできる。前の結婚生活で大きな喧嘩をしたこともなかった。
離婚理由は、子供についての考え方の違い。
美咲との結婚生活に不満があったわけではない。ただ、俺は父親になりたくなった。
それだけのことだ。
プロフィールの結婚観には「できるだけ早く結婚したい」を選び、子供については「希望する」にチェックを入れた。
相手の希望年齢は二十八歳から三十六歳。
できれば子供は二人欲しい。そう考えると、あまり年齢の近い女性では難しいかもしれない。
もちろん、四十代で出産する女性もいる。それは分かっている。
だが、相手を探す段階なら、少しでも可能性の高い方がいい。
登録を終えると、何人もの女性の写真が表示された。
俺は一人ずつプロフィールを確認し、気になった相手に申し込みを送った。
新しい人生が始まる。
久しぶりに、そんな期待を感じていた。
■■■
ところが、一週間経っても、思ったほど反応がなかった。
申し込みを送っても返事が来ない。やり取りが始まっても、数日で途切れてしまう。
最初は写真が悪いのかと思った。
友人に撮ってもらった写真に変更し、自己紹介文も書き直した。
それでも、状況はあまり変わらなかった。
ようやく最初の女性と会えたのは、登録から一か月ほど経った頃だった。
三十五歳の事務職の女性だった。
駅前のカフェで待ち合わせ、仕事や趣味の話をした。
感じのいい人だった。休日には映画を見たり、友人と食事に出かけたりするという。
話題にも困らなかった。これなら、次も会えるかもしれない。
そう思ったところで、離婚理由を尋ねられた。
「前の奥様とは、どうして離婚されたんですか?」
「子供についての考え方が合わなくなりまして」
「そうなんですね」
「私は子供が欲しかったんですが、妻は望んでいなかったんです」
女性は頷いた。
「ご結婚されたときから、そうだったんですか?」
「いえ。結婚した頃は、私も子供はいらないと思っていました」
「途中で変わられたんですね」
「ええ。四十を過ぎて、やっぱり父親になりたいと思うようになりまして」
女性はしばらく考えるような顔をした。それから、仕事の話に戻った。
別れ際には笑顔で礼を言ってくれたので、悪い印象は持たれなかったと思う。
だが、次の食事に誘うと、丁寧な断りの返事が届いた。
残念だったが、仕方がない。婚活とは、そういうものなのだろう。
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三か月ほど経つと、少しずつ勝手が分かってきた。
会ってもらえることと、交際に進めることは別だ。
条件が合っていても、実際に話してみると印象が違うこともある。
俺が断ることもあったし、相手から断られることもあった。
三十二歳の女性とは、二度食事をした。
三度目の約束をする前に、彼女から将来の生活について質問された。
「お子さんが生まれたら、育児休業は取れますか?」
「制度はありますよ」
「実際には、どのくらい取れそうですか?」
「まだ会社に確認していないので、何とも言えませんが」
「そうなんですね」
彼女は少し考えてから続けた。
「私は仕事を続けたいんです。産休と育休は取るつもりですけど、その後は復帰したくて」
「もちろん、続けてもらって構いませんよ」
「その場合、保育園のお迎えとか、子供が病気になったときのお休みとか、どう考えていますか?」
「そこは二人で協力していければと思っています」
彼女は頷いたが、それ以上は尋ねなかった。
後日、交際を見送るという連絡が来た。
俺は少し考えた。
確かに、子供が生まれた後の生活について、具体的な話はできなかった。
だが、相手の勤務時間も分からない段階で、保育園の送り迎えをどう分担するかなど決められない。
まず結婚して、それから相談するものではないのだろうか。
そう思ったが、相手にも考えがあるのだろう。
婚活では、条件が合わないこともある。
そう割り切って、俺は次の相手を探した。
■■■
半年が過ぎた頃、母から電話があった。
「どう? いい人は見つかった?」
「まだだよ」
「そうなの。難しいのねえ」
離婚の話をしたとき、母は最初こそ渋っていたが、俺が子供を欲しがっていると知ると、再婚を応援してくれるようになった。
「焦らなくてもいいけど、あんまりのんびりもしていられないでしょう?」
「分かってるよ」
「できれば、若い人の方がいいわよね」
「そう思って探してる」
「そうよねえ。お母さんも、孫の顔を見られるかもしれないんだもの」
母は楽しそうだった。
電話を切った後、俺はアプリを開いた。
何件か新しい紹介が届いていたが、子供を希望しない女性も多かった。
相手の年齢を三十八歳まで広げてから、そういうプロフィールを目にする機会が増えた気がする。
『夫婦二人で穏やかに暮らせる方を希望します』
『子供は考えていません。旅行や趣味を一緒に楽しめる方と出会いたいです』
俺は申し込みを見送った。
それでは、美咲との生活と変わらない。
子供が欲しくて離婚したのだ。その条件だけは、譲れなかった。
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四十三歳になった。
婚活を始めて一年が過ぎていた。
何人かと食事を重ね、短い交際に進んだこともあったが、再婚には至っていない。
それでも、いずれ相手は見つかると思っていた。
仕事も生活も安定している。相手に求める条件だって、それほど多くない。
年齢が若く、子供を望んでいて、気が合う女性。
そう考えていたが、その三つを満たす相手とは、なかなか出会えなかった。
結婚相談所に登録すると、担当者から現実的な話をされた。
「三十代前半までの女性をご希望なんですね」
「できれば。子供が欲しいので」
「承知しました。ただ、その年代の女性は、同年代の男性を希望されることが多いんです」
「年収はそれなりにあると思うんですが」
「もちろん、安定した収入は魅力の一つです。ただ、女性側もお仕事を持っている方が多いですから、収入だけで年齢差を補えるとは限りません」
担当者は資料を見せながら説明した。
同年代の男性からも申し込みがあること。
年齢差が大きい相手を最初から希望しない女性もいること。
子供を望む女性ほど、結婚後の生活や育児への協力を重視する場合があること。
「まずは、お会いできる方の幅を広げてみませんか?」
そう勧められた。
俺は考えた末、希望年齢を四十歳まで広げることにした。
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久しぶりに、大学時代の友人たちと飲みに行った。
「婚活、どうなんだ?」
「まあ、ぼちぼちだな」
「いい人、見つかりそう?」
「なかなか難しいよ」
俺が苦笑すると、友人はグラスを置いた。
「四十過ぎてからの婚活って、大変そうだよな」
「お前はいいよな。もう子供もいるし」
「いやいや、こっちだって大変だぞ。来年は受験だし」
そう言いながら、友人は楽しそうだった。
別の友人がスマートフォンを取り出した。
「うちは上の娘が彼氏を連れてきたぞ」
「もうそんな歳かよ!」
「そうなんだよ。こっちが驚いたわ」
笑い声が上がった。
俺も笑った。だが、胸の奥に小さな焦りが生まれた。
友人たちの子供は、もう中学生や高校生だ。
俺はまだ、結婚相手すら見つかっていない。仮に来年再婚できたとしても、すぐに子供が生まれるとは限らない。
その頃には、友人たちの子供は大学生になっているかもしれない。
俺はグラスを傾けた。
美咲と結婚した頃は、友人たちもまだ子供が小さかった。
俺は休日の自由を楽しみ、子育てに追われる彼らを見て大変そうだと思っていた。
それが、いつの間にか逆になっていた。
彼らが子育てを終えようとしている今、俺はこれから父親になろうとしている。
考えてみれば、当たり前のことだった。
ただ、その当たり前のことを、俺はあまり考えていなかった。
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四十四歳になった。
婚活は続けていた。
何人かの女性とは交際に進んだが、結婚の話になると、どこかで折り合いがつかなくなった。
相手が子供を希望していても、必ず授かるとは限らない。
そんなことは分かっている。
それでも、最初から子供のいない人生を受け入れるつもりはなかった。
ある日、三十七歳の女性と食事をした。専門職として働いている人で、話もよく合った。
趣味は旅行と映画鑑賞。
休日には美味しいものを食べに出かけるのが好きだという。
一緒にいて楽しかった。
久しぶりに、また会いたいと思える相手だった。
ところが、子供の話になると、彼女は少し表情を曇らせた。
「私は、子供は授かれば嬉しいと思っています。でも、絶対に欲しいというわけではないんです」
「そうなんですね」
「年齢的なこともありますし、もし授からなくても、夫婦二人で暮らしていける人がいいなと思っていて」
俺は返事に迷った。
子供が授からなくても、二人で暮らしていける相手。
それは、結婚相手を探すうえで当然の希望なのかもしれない。俺自身、子供が欲しいという気持ちさえなければ、彼女とまた会いたいと思っていた。
だが、俺は子供が欲しくて離婚したのだ。
「私は、できれば子供が欲しいんです」
「そうですよね。プロフィールにも書かれていましたものね」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「だから、たぶん私たちは合わないんだと思います」
その言葉を聞いたとき、不意に美咲の顔が浮かんだ。
私は産まないわ。
あのとき、美咲も自分の望みをはっきり口にした。
今、目の前の女性もそうしている。
俺は、彼女の判断を受け入れるしかなかった。
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四十五歳の誕生日を、一人で迎えた。
仕事から帰り、スーパーで買った惣菜を温める。
特別な予定はなかった。
スマートフォンには、友人たちから祝いのメッセージが届いていた。
その中に、大学時代の友人からの写真があった。
高校を卒業した息子と並んで写っている。
『春から大学生だ。ようやく一段落だよ』
俺はしばらく、その写真を眺めていた。
友人は、これから子供の手が少しずつ離れていくのだろう。
夫婦で旅行に出かけたり、自分の趣味に時間を使ったりするようになるのかもしれない。
それは、俺が美咲と過ごしていた生活によく似ていた。
十二年前、俺は子供を持たない人生を選んだ。
その選択を、美咲は受け入れてくれた。
そして四十二歳になった俺は、今度は子供のいる人生が欲しくなった。
あの飲み会で、俺は友人たちの子供の話を羨ましいと思った。
受験や部活動の話をしている彼らが、充実しているように見えたのだ。
だが、写真の友人がそこにたどり着くまでには、十八年ほどの時間があった。
俺が美咲と旅行を楽しんでいた頃、彼は子供を連れて出かけ、熱を出せば仕事を休み、受験のたびに気を揉んでいたのだろう。
そんなことは、考えれば分かる。
けれど、あの頃の俺は、彼らが積み重ねてきた時間よりも、目の前で楽しそうに話す姿ばかり見ていた。
美咲との十二年間が、不幸だったわけではない。
それは今でも分かっている。
美咲と別れたことを後悔しているのか、自分でもまだ分からない。
これから誰かと出会い、結婚して、子供を持てる可能性はある。
ただ、四十二歳の頃に思い描いていた未来が、少しずつ遠ざかっていることだけは確かだった。
スマートフォンを手に取り、婚活アプリを開く。
新しい紹介が一件届いていた。
相手は四十一歳。プロフィールには、こう書かれていた。
『子供は希望していません。これからの人生を、二人で穏やかに楽しめる方を探しています』
趣味は旅行と映画鑑賞。
休日には美味しいものを食べに出かけたいという。
以前の俺なら、きっと魅力的だと思っただろう。
いや、今でも魅力的だと思う。
画面を閉じようとして、指が止まった。
もし、この人と結婚したら。
また誰かと食卓を囲み、休日の予定を相談し、休みが合えば旅行に出かけるのだろう。
美咲と暮らしていた頃のように。
それも、悪くない人生だ。
だが、俺はプロフィールを閉じた。
子供が欲しい。
その気持ちは、まだ変わっていなかった。
新しい条件で検索を始める。
画面に表示された女性たちの写真を、一人ずつ確認していく。
四十五歳。
俺はまだ、父親になることを諦めていない。
■■■ ED1:婚活失敗ルート 完 ■■■
ED1:婚活失敗ルートはここで終了です。
このまま美咲視点の結末を読みたい方は、第5話「共通エピローグ:私が選んだ人生」へお進みください。
もう一つの結末を読みたい方は、そのまま第3話「ED2:婚活成功ルート・前編」へどうぞ。




