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異知 〜世界の理を識る者〜  作者: 春野晴
1章 プロローグ
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8/24

8,知らない世界の入り口

翌日。


 放課後になると、俺はスマートフォンを確認した。


 昼休みに届いていたメッセージには、待ち合わせ場所と時間が書かれていた。


『駅前の喫茶店。十七時。遅刻したら置いていくからね』


 最後の一文は、どう考えても余計だった。


「あいつ………」


 そう呟きながらも、俺は指定された場所へ向かった。


 神楽坂刹那。


 姉のことを知っていて、俺の身に起きた現象にも興味を持っている男。


 あいつに会えば、何か分かるかもしれない。


 そう思う一方で、少し怖くもあった。


 もし、自分の身に起きていることが、普通では考えられないようなものだったら。


 もし、姉が倒れたことと関係していたら。


 俺は、その先を考えるのをやめた。


 今は、確かめるしかない。


     *


 喫茶店に入ると、刹那は窓際の席で手を振っていた。


 銀白色の髪に、淡い薄紫色の瞳。


 周囲の客に紛れているはずなのに、なぜか目を引く。


「やあ、蓮くん。ちゃんと来てくれたね」


「呼んだのはそっちだろ」


「そうだった。いやあ、君はなかなか素直で助かるよ」


「……帰っていいか?」


「駄目。注文くらいしていきなよ」


 刹那は楽しそうに笑った。


 俺は向かいの席に座り、メニューを開いた。


 飲み物を注文してしばらくすると、刹那はテーブルの上に小さな端末を置いた。


「それで、昨日の話を聞かせてもらおうか」


 俺は鞄からノートを取り出した。


 最初に書いた、自分の声が聞こえなくなったという記録。


 その後に起きたこと。


 そして、地域ニュースで見つけた映像の乱れ。


 順番に説明していくと、刹那は茶化すことなく耳を傾けていた。


「なるほど。発生したのは合計で何回?」


「はっきり覚えてるのは、二回くらいだと思う。学校でと、そのくらいか…」


「最初のときは、意識して起こしたわけじゃないんだね?」


「ああ。今でも、どうすれば起きるのか分からない」


「周囲の音が全部消えたわけでもない?」


「違う。聞こえなかったのは、自分の声だけだ」


 刹那は端末に何かを書き込んだ。


 その表情からは、何を考えているのか読み取れなかった。


「……なあ」


「ん?」


「これって、何なんだよ」


 刹那はすぐには答えなかった。


 やがて、端末を置いて俺を見た。


「今の情報だけで断定するのは危険だ。でも、一つだけ説明しておいたほうがよさそうだね」


 俺は身を乗り出した。


「君が経験しているような、通常の物理現象では説明しきれない特殊な現象。それに関わる力を、僕たちは『異知《イチ》』と呼んでいる」


「……異知?」


「そう。人間の内側にあるコアと呼ばれるものに関係していて、そこから発現する力だ。能力によって、干渉できる現象も違う」


 聞き慣れない言葉が、頭の中を通り過ぎていく。


 コア。


 異知。


 今まで知らなかったものばかりだった。


「じゃあ、俺にもその……異知っていうのがあるのか?」


「可能性はある。だけど、まだ決めつけないほうがいい」


「自分の声が消えるんだぞ。それでも分からないのか?」


「現象が珍しいことと、原因が確定していることは別だからね」


 刹那は淡々と答えた。


「僕が君の話だけで能力を断定したら、それは調査じゃなくて当てずっぽうだ」


 反論できなかった。


 俺は、自分の身に起きたことを知りたかった。


 けれど、知りたいからといって、答えがすぐに手に入るわけではない。


「……じゃあ、俺はこれからどうすればいい?」


「今までどおり、起きたことを記録する。無理に再現しようとしない。それから、何か変化があれば僕に連絡する」


「それだけ?」


「今の君にできることとしては、十分だよ」


 納得できたわけではなかった。


 それでも、闇雲に動くよりはましなのだろう。


 俺はノートを閉じた。


  


    *




「もう一つ、聞きたいことがある」


 俺は保存した動画を刹那に見せた。


「これ、俺の家の近くで起きたことなんだ。姉ちゃんが倒れた夜と関係があるかもしれない」


 刹那は動画を再生し、問題の箇所で指を止めた。


 画面が歪み、音声が途切れる。


 ほんの一瞬の乱れだった。


「この映像だけでは、何が起きたのかまでは分からないね」


「やっぱり、そうか……」


「ただ、君が気にしていることは理解できる。お姉さんが倒れた夜に、周囲でも異常が起きていた。無関係だと決めつける理由もない」


 刹那は動画の情報を確認し、端末に記録した。


「これ、調べてもらえないか?」


「セフィラで確認できる範囲は調べてみるよ。ただし、結果がすぐに出るとは限らない」


「頼む」


「うん。引き受けた」


 あまりにもあっさりした返事だった。


 俺は拍子抜けしつつも、胸の奥にあった重さが少しだけ軽くなるのを感じた。


 初めて、自分が見つけたものを誰かと共有できた。


 それだけのことなのに、今までとは違う気がした。


「……神楽坂」


「刹那でいいよ」


「じゃあ、刹那。姉ちゃんのことも、調べてくれるのか?」


 刹那の表情が、わずかに変わった。


「お姉さんについては、僕も知りたいことがある。けれど、君に何でも話せるわけじゃない」


「どうしてだよ」


「今は、君が知らないほうがいいこともあるから」


「それを決めるのは、あんたなのか?」


 思わず強い口調になった。


 刹那は怒らなかった。


 ただ、俺をまっすぐ見つめた。


「……そう言われると、耳が痛いね」


 そして、いつもの軽い笑みを浮かべた。


「でも、何もかも一度に知ればいいってものでもない。君が自分で確かめられることは、自分で確かめるといい。僕は、その手助けくらいならできる」


 納得したわけではない。


 けれど、姉のことを何も知らない俺には、今すぐ答えを求めることもできなかった。


  


   *




 店を出るころには、外は夕暮れに染まっていた。


「今日はありがとう」


 俺がそう言うと、刹那は少し意外そうな顔をした。


「おや、素直だね」


「……やっぱり取り消す」


「ははっ。冗談だよ」


 刹那は片手を上げ、駅とは反対の方向へ歩き出した。


「何かあったら連絡して。君が思っている以上に、世界には知られていないことが多いから」


 その背中を見送りながら、俺は今日聞いた言葉を思い返した。


 異知。


 コア。


 自分の知らない力が、この世界には存在している。


 そして、自分にも、その力が関係しているかもしれない。


 まだ何一つ確定していない。


 それでも、ようやく知るための入口に立てた気がした。


 俺は鞄の中のノートに手を添えた。


 姉を襲った男のこと。


 姉が倒れた理由。


 自分の身に起きている異変。


 知りたいことは、山ほどある。


 だが、その答えを探すためには、今までの自分が知らなかった世界と向き合わなければならない。


 怖くないと言えば嘘になる。


 それでも、もう目をそらすつもりはなかった。


 俺は夕暮れの街を歩き出した。


 まだ何も知らない少年が、知らない世界の入口に立った。


 その一歩が、やがて大きな渦へとつながっていくことを、このときの俺はまだ知らなかった。

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