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異知 〜世界の理を識る者〜  作者: 春野晴
1章 プロローグ
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23/24

23,記録に残らないもの

 翌日の放課後。


 訓練室へ向かう廊下を曲がろうとしたところで、東雲さんに呼び止められた。


「雲ヶ谷。今日はこっちだ」


 東雲さんが指したのは、訓練室とは反対側の通路だった。


「資料室、ですよね?」


「そうだ。昨日話したとおり、今日は基礎知識の確認をしてもらう」


「具体的には、何をするんですか?」


「異知に関する記録を読んでもらう。能力の種類、発生した現象、対応方法。それから、記録を読むときに何に注意すべきかもだ」


 俺はうなずいた。


 訓練なら、実際に動いて覚えられる。


 でも、資料を読んで学ぶとなると話は違う。知らない言葉も多いだろうし、どこから理解すればいいのかも分からなかった。


「難しい内容もありますか?」


「ある。ただし、全部を覚えろとは言わない。まずは、分からないことを分からないままにしないことだ」


 東雲さんは、どこかで聞いたような言葉を口にした。


 セフィラに来てから、何度も言われていることだった。


 それだけ大切なことなのだろう。


  


  *




 資料室は、想像していたよりも静かだった。


 壁一面に並ぶ書架。端末が設置された机。奥には、許可された職員しか入れないらしい区画もある。


 紙の資料と電子記録が混在していて、どこから手をつければいいのか分からない。


「まずは、この端末を使え」


 東雲さんが画面を操作すると、いくつかの項目が表示された。


 異知の基本情報。

 発現事例。

 能力による被害。

 現場対応記録。


「最初は発現事例からだ。能力の名前や説明だけを読んでも、実際に何が起きるかは分からない。具体的な記録を見たほうが理解しやすい」


「分かりました」


「ただし、閲覧できる範囲は限られている。許可のない記録を探したり、持ち出したりするな。分からない項目があれば聞け」


 東雲さんはそう告げると、隣の机に資料を広げた。


 俺は画面に表示された記録を開いた。


 最初の事例は、物体の運動に干渉する能力だった。


 次は、熱を発生させる能力。


 さらに読み進めると、光の屈折を変えるものや、特定の条件下で生物の身体機能に影響を与えるものまであった。


 どれも、現実に起きた出来事として記録されている。


 文章だけなら理解できる。


 けれど、その能力を持つ人間が目の前に立っていたら、俺は冷静に対処できるだろうか。


 たぶん、難しい。


「東雲さん」


「何だ?」


「異知って、こんなに種類があるんですね」


「確認されているものだけでも多いからな。それに、似た現象でも、同じ仕組みとは限らない」


「見た目が同じでも、違う能力かもしれないってことですか?」


「そういうことだ。炎が出たという結果だけを見て、熱を生み出したのか、周囲の物質に干渉したのか、それとも別の現象なのかを判断することはできない」


 東雲さんは、俺の画面をのぞき込んだ。


「記録には、実際に確認された事実と、担当者の推測が混ざっていることもある。そこを読み分けるのが大切だ」


 俺は画面を見直した。


 確定事項と推定事項。


 似たような文章でも、意味は大きく違う。


 書いてあることを、そのまま事実だと思い込んではいけない。


 異知について学ぶというのは、能力の知識を集めるだけではないらしい。


  


  *




 一時間ほど経ったころ、俺は一つの記録で手を止めた。


 そこには、ある異知使いの能力について、短い説明が記されていた。


 発現時に、対象の周囲で音響上の異常が確認された。


 しかし、観測された現象と能力の作用範囲には不一致があり、原因は特定されていない。


「……音響上の異常?」


 思わず声に出していた。


 東雲さんが顔を上げる。


「気になる記録でもあったか?」


「いえ、これって、どういう意味なんでしょうか。音に関係する異知なんですか?」


「可能性はある。だが、音が変化したからといって、必ずしも音そのものを操る能力とは限らない」


 東雲さんは俺の画面を確認した。


「音が聞こえなくなったのか、音の伝わり方が変わったのか。それとも、観測した側の感覚に異常が起きたのか。記録だけでは判断できないな」


「なるほど……」


 俺は説明を読み返した。


 原因は特定されていない。


 その一文が、妙に引っかかった。


 自分の能力について考えるたび、俺も同じところで立ち止まっている。


 声が聞こえなくなる。


 でも、どうしてそうなるのかは分からない。


 何が起きているのかを理解できないまま、現象だけが記憶に残っている。


「東雲さん。俺の能力も、こういう記録のされ方をするんでしょうか」


 東雲さんは少し考えてから答えた。


「今の段階なら、そうなる可能性はあるな。確認できた現象と、分かっていない部分を分けて記録することになる」


「分かっていない部分も、ちゃんと残すんですね」


「当然だ。分からないことを、分かったことにして記録するほうが危険だからな」


 俺はうなずいた。


 分からないことは、恥ずかしいことじゃない。


 ただ、分からないまま放置するのも違う。


 今の俺にできるのは、分かっていることを正確に覚えておくことだ。


 そう考えて、俺は自分の能力に関する記録項目を開いた。


 けれど、そこに表示された内容は、まだ簡素なものだった。


 発現の詳細は不明。

 再現性は未確認。

 追加観察を要する。


 自分のことなのに、他人の記録を読んでいるような気分になる。


 俺は画面を閉じかけて、ふと手を止めた。


「……あの」


「どうした?」


「俺、能力が発動したときのことを、もう少し思い出したほうがいいんでしょうか」


「思い出せる範囲ならな。ただ、無理に記憶を掘り起こす必要はない。思い違いが混ざることもある」


 東雲さんは、俺の画面を指した。


「今は、実際に起きたことと、自分がそうだと思っていることを区別できればいい。次に自然に現象が起きたら、その前後を覚えている範囲で伝えてくれ」


「分かりました」


 俺は自分の記録を閉じた。


 焦って答えを探しても、見つかるとは限らない。


 そのことは、少しずつ分かってきた。


  


  *




 資料室を出るころには、窓の外が夕暮れに染まっていた。


「今日のところはここまでだ」


 東雲さんが端末の閲覧記録を確認しながら言った。


「どうだった?」


「知らないことが多すぎて、どこから覚えればいいのか分からなくなりそうでした」


「最初はそんなものだ。全部を一度に理解しようとするな」


「はい。でも……」


 俺は少しだけ言葉を探した。


「記録を読んでいると、異知って、能力そのものだけじゃなくて、起きたことをどう判断するかも大事なんだなって思いました」


「いい着眼点だ」


 東雲さんはうなずいた。


「現場では、目の前で起きたことを正しく理解できるとは限らない。情報が足りないこともあるし、見たものが必ずしも真実とは限らない。だからこそ、確認できた事実を積み重ねる必要がある」


 俺は今日読んだ記録を思い返した。


 説明できる現象もあれば、原因が分からない現象もある。


 それでも、記録は残されている。


 分からなかったことも含めて、次に調べるための手がかりになるからだ。


「雲ヶ谷」


「はい」


「君の能力についても、今は分かっていないことのほうが多い。だが、それは何も分からないという意味じゃない」


 東雲さんは、落ち着いた声で続けた。


「君が実際に経験したことは、君にしか分からない部分もある。だからこそ、思い込みで結論を出さず、観察したことを大切にしろ」


「……分かりました」


 俺は深くうなずいた。


 能力の正体は、まだ分からない。


 いつ、どうして発動するのかも、どこまでできるのかも。


 でも、分からないからといって、何も手がかりがないわけじゃない。


 今日の記録だって、最初はただの文章だった。


 けれど、一つずつ読んでいけば、何が確認されていて、何が分かっていないのかが見えてくる。


 自分の能力も、同じように考えていけばいいのかもしれない。


 資料室を後にする直前、俺は一度だけ振り返った。


 壁に並ぶ記録の数は、今日読んだものの何倍もある。


 その中には、まだ誰にも説明できていない現象もあるのだろう。


 そして、俺自身もまた、その一つなのかもしれなかった。


 俺は東雲さんの後を追い、廊下へ出た。


 答えは、まだ見つからない。


 それでも、分からないことを正確に見つめる方法なら、少しずつ学べる気がした。

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