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異知 〜世界の理を識る者〜  作者: 春野晴
1章 プロローグ
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21/24

21,訓練の先にあるもの

 翌日の放課後。


 セフィラに到着した俺は、受付で刹那さんの名前を伝えた。


「本日は基礎訓練の見学ですね。担当の方が訓練室でお待ちです」


「分かりました」


 昨日のメッセージによれば、今日から基礎訓練を見学できるらしい。


 能力を使う練習だけではなく、異知を持つ者が普段どんな訓練をしているのか。それを知ることも、候補生として必要なことなのだろう。


 案内された訓練室の前では、何人かの職員が準備を進めていた。


 室内には、床に引かれた白い線や、壁際に設置された模擬標的が並んでいる。


 思っていたよりも広い。


「お、来たね」


 聞き覚えのある声に振り返ると、刹那さんが壁際に立っていた。


「おはようございます」


「もう放課後だけどね」


「……こんにちは」


「うん、正解」


 刹那さんは楽しそうに笑った。


「今日は見学が中心だけど、簡単な動作確認にも参加してもらう予定だよ」


「俺も訓練するんですか?」


「できる範囲でね。いきなり能力を使えなんて言わないから安心して」


 その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。


 俺の能力は、まだ自分でも仕組みが分かっていない。


 使おうと思って使えるものなのか。それすら確かではなかった。


「それと、今日の担当を紹介しておこうか」


 刹那さんが視線を向けた先で、一人の男性がこちらに歩いてきた。


 年齢は三十代くらいだろうか。短く整えた髪に、無駄のない身のこなし。制服の袖には、現場で使う装備がいくつか取り付けられていた。


「君が雲ヶ谷蓮君か」


「はい。よろしくお願いします」


「俺は東雲征司。第三種の異知使いで、普段は現場に出ている」


 東雲さんは簡潔に名乗った。


「今日は訓練の補助を任された。分からないことがあれば聞いてくれ。ただし、分からないことを無理に試すのはなしだ」


「分かりました」


「よし。じゃあ、まずは見ていこう」


 東雲さんは訓練室の中央へ歩いていった。


 その背中を追いながら、俺はふと思った。


 第三種。


 昨日まで読んでいた資料にも、そんな分類があった。


 けれど、数字が何を意味しているのか、俺はまだ十分に理解できていなかった。


  


  *




 訓練室の中央では、二人の職員が向かい合っていた。


 一人は軽装の防具を身につけ、もう一人は少し離れた位置で構えている。


「模擬戦を始める。今回は相手を倒すことより、距離の管理と状況判断を重視しろ」


 東雲さんの声が響いた。


「開始!」


 合図と同時に、一人が前へ踏み込んだ。


 対する職員は真正面から受け止めず、半歩だけ横へ移動する。攻撃が空を切った瞬間、相手の側面へ回り込んだ。


 動きが速い。


 けれど、何が起きたのかは目で追えた。


 次の瞬間、踏み込んだ側が体勢を崩し、訓練は終了した。


「そこまで」


 二人は構えを解いた。


「今のは、何が悪かったんですか?」


 俺が尋ねると、東雲さんは模擬戦を行った二人を見ながら答えた。


「攻撃を当てることに集中しすぎた。相手が避けたあと、自分がどんな姿勢になるかまで考えていなかったんだ」


「でも、攻撃そのものは速かったですよね」


「速いことと、当たることは別だ。相手がどう動くかを考えなければ、速さを無駄にすることもある」


 俺はうなずいた。


 能力の強さだけではなく、動き方や判断も重要になる。


 当たり前のことのようで、実際の動きを見ると、その意味がよく分かった。


「異知を使う場合も同じだ。強力な能力を持っていても、使うタイミングを間違えれば隙になる。逆に、能力そのものが弱くても、使い方次第で相手を崩せる」


 東雲さんはそこで言葉を切り、俺に向き直った。


「君の能力については、まだ詳しく分かっていないんだったな」


「はい。自分の声が聞こえなくなることはあるんですが、それ以外は……」


「なら、今は無理に発動させようとしなくていい。まずは自分の体がどう動くのか、何を感じるのかを知るところからだ」


「体の動き、ですか?」


「そうだ。能力を使う前に、普通の動作で自分の状態を把握する。自分が何をしたのか分からないまま能力を使っても、何が起きたのか判断できないからな」


 俺は自分の手を見た。


 今まで、能力のことばかり考えていた。


 どうすれば発動するのか。何が原因なのか。どうすれば制御できるのか。


 けれど、その前に知っておくべきこともあるらしい。


「じゃあ、君も簡単な動作をやってみようか」


「俺がですか?」


「見学だけで帰るつもりだったか?」


「いえ、そういうわけじゃ……」


「なら大丈夫。難しいことはしない」


 東雲さんは訓練室の床に引かれた白い線を指した。


「まずは線に沿って歩く。合図があったら止まって、向きを変える。それだけだ」


 俺は少し拍子抜けした。


 もっと特別なことをするのかと思っていた。


 けれど、言われたとおりに線の上を歩き始める。


「止まれ」


 足を止める。


「右を向け」


 右を向く。


「戻れ」


 元の向きに戻る。


「よし。次は少し速度を上げる」


 同じ動作を繰り返す。


 最初は簡単だったが、速度が上がるにつれて、止まる位置が少しずつずれていった。


「……あれ?」


「今、自分がどこに立っているか、ちゃんと見ていたか?」


「見ていたつもりです」


「つもりと実際は違う。足元だけじゃなく、周りの位置も確認する。自分がどこにいて、どこへ動いたのか。それを意識してみろ」


 俺はもう一度、線の上に立った。


 今度は床だけでなく、壁や模擬標的の位置も視界に入れる。


「止まれ」


 足を止めた。


「右」


 体の向きを変える。


「よし。さっきよりいい」


 東雲さんは短くうなずいた。


 たったこれだけのことなのに、思っていたより集中力を使う。


 自分の体を動かすことと、自分の動きを把握することは、同じではないらしい。


  


  *




 訓練が一区切りついたころ、俺たちは室内の休憩スペースへ移動した。


 水を飲みながら、俺は先ほどの動作を思い返していた。


「どうだった?」


 刹那さんが隣に座った。


「思っていたより難しかったです」


「でしょう? 簡単なことほど、雑にやってしまうからね」


「刹那さんも、最初はこういう訓練をしたんですか?」


「もちろん。最初から何でもできる人間なんて、そうそういないよ」


 刹那さんはあっさりと答えた。


 その言い方はいつもどおり軽かったが、俺は少し意外に感じた。


 刹那さんは、何をしても余裕があるように見える。


 けれど、その余裕が最初からあったわけではないのだろう。


「……俺も、ちゃんとできるようになりますかね」


 思わず口にすると、刹那さんは俺の顔を見た。


「できるようになるかどうかは、これからの君次第だね」


「そこは、できるって言ってくれないんですね」


「根拠もなく大丈夫だと言うのは、無責任だからね」


 刹那さんは笑った。


「でも、今日の君は、最初にうまくいかなかったところを修正しようとしていた。そこは悪くなかったよ」


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」


 少しだけ、気持ちが軽くなった。


 俺はまだ、異知について何も知らない。


 自分の能力も、戦うための技術も、これから覚えていくことばかりだ。


 それでも、一つずつ身につけていけばいい。


 そう思えるようになった。


 休憩スペースの向こうでは、東雲さんが訓練記録を確認していた。


 俺が視線を向けると、彼は書類から顔を上げた。


「雲ヶ谷。明日も来られるか?」


「はい。学校が終わってからなら」


「なら、また同じ時間に来い。次は今日より少しだけ難しくする」


「分かりました」


「ただし、無理はするな。できないことをできると言う必要もない。分からないことは、その場で聞け」


 その言葉に、俺はうなずいた。


「はい」


 訓練室を出る前、俺はもう一度、白い線が引かれた床を振り返った。


 今日やったことは、特別な技でも、異知を使った戦いでもない。


 それでも、昨日までの自分には知らなかったことが一つ増えた。


 能力を知ることと、自分を知ること。


 その両方が必要なのだろう。


 俺は東雲さんに頭を下げ、刹那さんと一緒に廊下へ出た。


「明日も頑張ってね、蓮君」


「はい。よろしくお願いします」


 セフィラでの生活は、まだ始まったばかりだ。


 けれど、俺はもう、ただ答えを待っているだけではなかった。

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