21,訓練の先にあるもの
翌日の放課後。
セフィラに到着した俺は、受付で刹那さんの名前を伝えた。
「本日は基礎訓練の見学ですね。担当の方が訓練室でお待ちです」
「分かりました」
昨日のメッセージによれば、今日から基礎訓練を見学できるらしい。
能力を使う練習だけではなく、異知を持つ者が普段どんな訓練をしているのか。それを知ることも、候補生として必要なことなのだろう。
案内された訓練室の前では、何人かの職員が準備を進めていた。
室内には、床に引かれた白い線や、壁際に設置された模擬標的が並んでいる。
思っていたよりも広い。
「お、来たね」
聞き覚えのある声に振り返ると、刹那さんが壁際に立っていた。
「おはようございます」
「もう放課後だけどね」
「……こんにちは」
「うん、正解」
刹那さんは楽しそうに笑った。
「今日は見学が中心だけど、簡単な動作確認にも参加してもらう予定だよ」
「俺も訓練するんですか?」
「できる範囲でね。いきなり能力を使えなんて言わないから安心して」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
俺の能力は、まだ自分でも仕組みが分かっていない。
使おうと思って使えるものなのか。それすら確かではなかった。
「それと、今日の担当を紹介しておこうか」
刹那さんが視線を向けた先で、一人の男性がこちらに歩いてきた。
年齢は三十代くらいだろうか。短く整えた髪に、無駄のない身のこなし。制服の袖には、現場で使う装備がいくつか取り付けられていた。
「君が雲ヶ谷蓮君か」
「はい。よろしくお願いします」
「俺は東雲征司。第三種の異知使いで、普段は現場に出ている」
東雲さんは簡潔に名乗った。
「今日は訓練の補助を任された。分からないことがあれば聞いてくれ。ただし、分からないことを無理に試すのはなしだ」
「分かりました」
「よし。じゃあ、まずは見ていこう」
東雲さんは訓練室の中央へ歩いていった。
その背中を追いながら、俺はふと思った。
第三種。
昨日まで読んでいた資料にも、そんな分類があった。
けれど、数字が何を意味しているのか、俺はまだ十分に理解できていなかった。
*
訓練室の中央では、二人の職員が向かい合っていた。
一人は軽装の防具を身につけ、もう一人は少し離れた位置で構えている。
「模擬戦を始める。今回は相手を倒すことより、距離の管理と状況判断を重視しろ」
東雲さんの声が響いた。
「開始!」
合図と同時に、一人が前へ踏み込んだ。
対する職員は真正面から受け止めず、半歩だけ横へ移動する。攻撃が空を切った瞬間、相手の側面へ回り込んだ。
動きが速い。
けれど、何が起きたのかは目で追えた。
次の瞬間、踏み込んだ側が体勢を崩し、訓練は終了した。
「そこまで」
二人は構えを解いた。
「今のは、何が悪かったんですか?」
俺が尋ねると、東雲さんは模擬戦を行った二人を見ながら答えた。
「攻撃を当てることに集中しすぎた。相手が避けたあと、自分がどんな姿勢になるかまで考えていなかったんだ」
「でも、攻撃そのものは速かったですよね」
「速いことと、当たることは別だ。相手がどう動くかを考えなければ、速さを無駄にすることもある」
俺はうなずいた。
能力の強さだけではなく、動き方や判断も重要になる。
当たり前のことのようで、実際の動きを見ると、その意味がよく分かった。
「異知を使う場合も同じだ。強力な能力を持っていても、使うタイミングを間違えれば隙になる。逆に、能力そのものが弱くても、使い方次第で相手を崩せる」
東雲さんはそこで言葉を切り、俺に向き直った。
「君の能力については、まだ詳しく分かっていないんだったな」
「はい。自分の声が聞こえなくなることはあるんですが、それ以外は……」
「なら、今は無理に発動させようとしなくていい。まずは自分の体がどう動くのか、何を感じるのかを知るところからだ」
「体の動き、ですか?」
「そうだ。能力を使う前に、普通の動作で自分の状態を把握する。自分が何をしたのか分からないまま能力を使っても、何が起きたのか判断できないからな」
俺は自分の手を見た。
今まで、能力のことばかり考えていた。
どうすれば発動するのか。何が原因なのか。どうすれば制御できるのか。
けれど、その前に知っておくべきこともあるらしい。
「じゃあ、君も簡単な動作をやってみようか」
「俺がですか?」
「見学だけで帰るつもりだったか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「なら大丈夫。難しいことはしない」
東雲さんは訓練室の床に引かれた白い線を指した。
「まずは線に沿って歩く。合図があったら止まって、向きを変える。それだけだ」
俺は少し拍子抜けした。
もっと特別なことをするのかと思っていた。
けれど、言われたとおりに線の上を歩き始める。
「止まれ」
足を止める。
「右を向け」
右を向く。
「戻れ」
元の向きに戻る。
「よし。次は少し速度を上げる」
同じ動作を繰り返す。
最初は簡単だったが、速度が上がるにつれて、止まる位置が少しずつずれていった。
「……あれ?」
「今、自分がどこに立っているか、ちゃんと見ていたか?」
「見ていたつもりです」
「つもりと実際は違う。足元だけじゃなく、周りの位置も確認する。自分がどこにいて、どこへ動いたのか。それを意識してみろ」
俺はもう一度、線の上に立った。
今度は床だけでなく、壁や模擬標的の位置も視界に入れる。
「止まれ」
足を止めた。
「右」
体の向きを変える。
「よし。さっきよりいい」
東雲さんは短くうなずいた。
たったこれだけのことなのに、思っていたより集中力を使う。
自分の体を動かすことと、自分の動きを把握することは、同じではないらしい。
*
訓練が一区切りついたころ、俺たちは室内の休憩スペースへ移動した。
水を飲みながら、俺は先ほどの動作を思い返していた。
「どうだった?」
刹那さんが隣に座った。
「思っていたより難しかったです」
「でしょう? 簡単なことほど、雑にやってしまうからね」
「刹那さんも、最初はこういう訓練をしたんですか?」
「もちろん。最初から何でもできる人間なんて、そうそういないよ」
刹那さんはあっさりと答えた。
その言い方はいつもどおり軽かったが、俺は少し意外に感じた。
刹那さんは、何をしても余裕があるように見える。
けれど、その余裕が最初からあったわけではないのだろう。
「……俺も、ちゃんとできるようになりますかね」
思わず口にすると、刹那さんは俺の顔を見た。
「できるようになるかどうかは、これからの君次第だね」
「そこは、できるって言ってくれないんですね」
「根拠もなく大丈夫だと言うのは、無責任だからね」
刹那さんは笑った。
「でも、今日の君は、最初にうまくいかなかったところを修正しようとしていた。そこは悪くなかったよ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
少しだけ、気持ちが軽くなった。
俺はまだ、異知について何も知らない。
自分の能力も、戦うための技術も、これから覚えていくことばかりだ。
それでも、一つずつ身につけていけばいい。
そう思えるようになった。
休憩スペースの向こうでは、東雲さんが訓練記録を確認していた。
俺が視線を向けると、彼は書類から顔を上げた。
「雲ヶ谷。明日も来られるか?」
「はい。学校が終わってからなら」
「なら、また同じ時間に来い。次は今日より少しだけ難しくする」
「分かりました」
「ただし、無理はするな。できないことをできると言う必要もない。分からないことは、その場で聞け」
その言葉に、俺はうなずいた。
「はい」
訓練室を出る前、俺はもう一度、白い線が引かれた床を振り返った。
今日やったことは、特別な技でも、異知を使った戦いでもない。
それでも、昨日までの自分には知らなかったことが一つ増えた。
能力を知ることと、自分を知ること。
その両方が必要なのだろう。
俺は東雲さんに頭を下げ、刹那さんと一緒に廊下へ出た。
「明日も頑張ってね、蓮君」
「はい。よろしくお願いします」
セフィラでの生活は、まだ始まったばかりだ。
けれど、俺はもう、ただ答えを待っているだけではなかった。




