↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異知 〜世界の理を識る者〜  作者: 春野晴
1章 プロローグ
PR
20/24

20,見習いの一歩

 翌日の放課後。


 俺はセフィラの資料室で、異知に関する基礎資料を読んでいた。


 候補生としての活動が始まるにあたって、まずは基本的な知識を身につけることになったのだ。


 異知の分類。能力の発現条件。コアの基本構造。そして、能力を持つ者が事件に関わった場合の対応手順。


 どれも知らないことばかりだった。


 特に気になったのは、異知の能力が必ずしも本人の意思どおりに発動するわけではない、という記述だった。


 感情や周囲の状況、能力ごとの条件によって、意図せず発動する場合がある。


 俺の現象も、それに当てはまるのだろうか。


 自分の声が聞こえなくなる。


 あの現象が起きたとき、周囲の人間には俺の声がどう聞こえているのか。それすら、まだはっきりしていない。


 資料を読み進めても、自分の答えが見つかるわけではなかった。


「……難しいな」


 小さくつぶやいて、俺はページをめくった。


「分からないものを、分かったことにするのが一番危ない、か」


 昨日ジークが口にした言葉が、ふと思い浮かんだ。


 あの人は、こういう資料を読んだうえで言ったのだろうか。


 それとも、実際の現場で何かを経験したからなのか。


 考えても、当然答えは出なかった。


  


  *




 資料室を出て、受付へ向かっている途中だった。


 廊下の先で、職員が二人、何かを話しながら歩いていた。


「第三訓練室の確認は終わったか?」


「設備は問題ありません。ただ、模擬標的の反応が少し不安定で……」


「それは担当部署に伝えておけ。今日の訓練は予定どおりだ」


 その直後、別の職員がこちらへ急いでくる。


「すみません。第三訓練室の模擬標的ですが、先ほどから制御信号を受け付けなくなっています」


「何だって?」


 職員たちの足が止まった。


 俺は思わず、そちらを見た。


「原因は?」


「まだ分かっていません。電源を切って再起動させようとしましたが、反応がなくて……」


「なら、いったん使用を中止しよう。訓練中の人間は?」


「まだ入っていません。準備をしていた職員が一人、室内にいます」


「すぐに退室させろ。原因が分かるまでは誰も入れるな」


 指示が飛び交い、廊下の空気が変わった。


 俺はその場を離れようとした。


 候補生の自分が、ここで何かできるわけではない。


 そう思った直後、訓練室の方向から声が響いた。


「うわっ、何だこれ!」


 続いて、硬いものが床にぶつかる音。


 職員たちが一斉に振り返った。


「中の職員と連絡は?」


「応答がありません!」


「退室できていないのか……!」


 その場に緊張が走る。


 俺の足も、思わず止まっていた。


 誰かが危険な状況にいる。


 助けに行かなければ。


 そう考えかけて、俺は踏みとどまった。


 何が起きているのか分からない。


 能力が暴走しているのか、それとも設備の故障なのか。そもそも、あの部屋にどんな危険があるのかさえ知らない。


 俺が飛び込んでも、状況を悪化させるかもしれない。


「雲ヶ谷君?」


 振り返ると、刹那さんが立っていた。


「刹那さん。訓練室で何かあったみたいです」


「うん。今、確認しているところだよ」


 刹那さんは落ち着いた様子で、職員たちの話を聞いていた。


「中にいる人との連絡が取れないそうです」


「そうみたいだね」


「俺にも、何かできることは……」


 言いかけて、口を閉じた。


 何ができるのか。


 その答えを、俺自身が知らない。


 刹那さんは俺の顔を見て、穏やかに言った。


「今の君にできることは、状況を正確に伝えること。それから、指示があるまで安全な場所にいることだよ」


「……はい」


「助けたいと思うなら、なおさらね」


 その言葉に、俺はうなずいた。


 悔しくないと言えば嘘になる。


 けれど、ここで無理に動くことが勇気なのかどうか、俺には判断できなかった。


 俺は訓練室の扉を見つめた。


  


  *




「はいはい、通路を空けてくれ」


 不意に、聞き覚えのある声がした。


 黒髪の男が、職員たちの間をのんびりと歩いてくる。


 ジークだった。


「ジークさん!」


「お、蓮君。勉強中?」


「今はそれどころじゃ……」


「うん、見れば分かる」


 ジークは訓練室の扉に目を向けた。


 さっきまでの気楽な表情は変わっていない。けれど、視線だけは妙に鋭かった。


「中に一人。外から連絡が取れない。標的の制御系が止まって、原因は不明。そんなところ?」


「はい。現在、設備担当が確認を――」


「電源を落とした?」


「試しましたが、反応がありません」


「外部制御も?」


「同じです」


「そっか」


 ジークは短く答えた。


 それから、扉の横にある表示盤へ目を向ける。


「こいつ、標的の動力だけ止めても意味がないかもしれないな」


「どういうことですか?」


 職員が尋ねた。


「制御が死んでるのに、動力が残ってるなら、止まってるんじゃなくて止められなくなってる可能性もある。中の人が触る前に、確認したほうがいい」


 その言葉に、職員たちの顔つきが変わった。


「……確かに。動力系統は独立しています」


「なら、まずそっちを切る。室内に入るのはそのあとだ」


 ジークは表示盤の状態を確かめ、職員に具体的な指示を出していった。


 先ほどまで廊下を歩いていたときとは、まるで別人のようだった。


 声を荒らげることも、慌てることもない。


 ただ、必要なことを見極めて、順番に指示している。


 職員たちも、余計な質問を挟まずに動き始めた。


「動力系統、遮断します!」


 数秒後、表示盤のランプが一つ消えた。


 続いて、室内から声が聞こえた。


「おーい! こっちは大丈夫だ!」


「応答ありました!」


 廊下に安堵の空気が広がった。


 ジークは小さく息を吐く。


「よし。慌てて突っ込まなくて正解だったな」


「はい。ありがとうございます」


 職員が頭を下げる。


「礼はいいから、原因を調べといて。次も同じことが起きたら困るだろ」


「承知しました」


 ジークはそれだけ言うと、こちらへ振り返った。


「で、蓮君」


「は、はい!」


「そんなに身構えなくてもいいって。俺、別に怒ってないから」


「いや、そういうわけじゃ……」


「じゃあ、何?」


「……何でもないです」


「そっか。ならいいや」


 ジークは笑った。


 その笑顔は、昨日会ったときと何も変わらない。


 けれど俺には、さっきの一連のやり取りが頭から離れなかった。


 あの人は、状況を見ただけで危険の可能性を考え、何を先に確かめるべきか判断した。


 能力を使ったわけでもない。


 ただ、知識と経験で、危険な状況を切り抜けたのだ。


「……ジークさんって、普段からああいうことを?」


「ん? ああいうことって?」


「状況を見て、すぐに判断することです」


「さあなあ。必要なら考えるよ」


「それだけですか?」


「それだけって、結構大事だぞ」


 ジークは軽く俺の肩を叩いた。


「分からないときに、分からないって言えること。知らないことを、知ってるふりしないこと。あと、手に負えないなら手に負える人を呼ぶこと」


 彼は指を折って数えた。


「案外、それだけで防げる失敗もあるんだよ」


 俺は、すぐに返事ができなかった。


 難しい技術や強い能力だけが、人を助ける方法ではない。


 自分にできることと、できないことを見極める。


 それもまた、必要な力なのだろう。


「……ありがとうございます」


「おう。まあ、俺も報告書を忘れないようにしないとな」


「そこはちゃんとしてくださいよ」


 横から刹那さんが口を挟んだ。


「げっ、刹那。まだいたのか」


「最初からいるよ。さっきの対応は見事だったけど、報告書の件は別だからね」


「はいはい、分かりましたよ」


「本当に分かってる?」


「……努力します」


「提出期限は今日だよ」


「厳しいなあ!」


 ジークが大げさに肩を落とす。


 刹那さんは楽しそうに笑っていた。


 俺も、思わず笑ってしまった。


 さっきまでの緊張が、少しだけほどけていく。


  


  *




 帰り道。


 俺は今日の出来事を思い返していた。


 訓練室で何が起きたのか、詳しい原因はまだ分かっていない。


 それでも、あの場で何をするべきだったのかは、少し理解できた気がする。


 危険を見つけたからといって、すぐに飛び込めばいいわけではない。


 状況を知り、自分にできることを考え、必要なら適切な人に任せる。


 それは、何もしないこととは違う。


 俺はまだ候補生だ。


 能力の仕組みも分からないし、現場で何ができるかも分からない。


 けれど、何もできないと決めつける必要もないのだろう。


 今の俺にできることを、少しずつ増やしていけばいい。


 ふと、ポケットの中でスマートフォンが震えた。


 刹那さんからのメッセージだった。


『今日はお疲れさま。明日から、基礎訓練の見学もできるようにしておくね』


 俺は画面を見つめた。


 基礎訓練。


 能力を使うことだけではなく、判断や安全確認についても学べるのかもしれない。


『ありがとうございます。よろしくお願いします』


 返信を送って、スマートフォンをしまった。


 明日から、また一つ新しいことを学べる。


 そのことを、俺は少し楽しみに感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。