19,気まぐれな協力者
翌日の放課後。
俺は、刹那さんから届いたメッセージを確認していた。
『明日、セフィラに来られるかな。君の今後について、少し話を進めたいんだ』
昨日の会話の続きだろう。
候補生として、これから何を学ぶのか。自分の能力について、どこまで調べていくのか。
まだ分からないことばかりだったが、今の自分に必要な話であることは間違いなかった。
『分かりました。放課後なら行けます』
返信を送って、スマートフォンをしまう。
セフィラに通い始めてから、少しずつ日常が変わってきた。
学校では今までどおりに過ごしている。佐伯と話すこともあれば、授業で頭を悩ませることもある。
それでも、放課後になると、俺の知らなかった世界が待っている。
自分の声が聞こえなくなる現象も、姉のことも、まだ答えは出ていない。
だからこそ、できることを一つずつ進めていくしかなかった。
*
セフィラに到着すると、受付の職員が俺の名前を確認した。
「雲ヶ谷蓮さんですね。神楽坂執行官から話は聞いています。こちらで少しお待ちください」
「分かりました」
案内された待合スペースで、俺は椅子に座った。
壁に設置されたモニターには、各部署からの連絡事項が表示されている。職員たちはそれぞれ忙しそうに動き回っていた。
そのとき、受付の向こうから声が聞こえた。
「えー、今日の分はもう終わったんだけどなあ」
「終わったのは報告書の提出だけです。確認事項が残っています」
「細かいなあ。世の中、もう少し適当でも回ると思うんだけど」
「あなたが適当すぎるんです」
どこか気の抜けた会話だった。
やがて、廊下の角から一人の男が姿を現した。
黒い髪に、気負いのない表情。
両手をポケットに入れ、歩き方にも緊張感がない。
職員に小言を言われているのに、本人はまるで気にしていない様子だった。
「じゃ、俺はこれで」
「待ってください。まだ確認が――」
「また今度な」
「今度では困ります!」
男は軽く手を振り、そのままこちらへ歩いてきた。
俺の前を通り過ぎようとしたところで、ふと足を止める。
「ん?」
男の視線が、俺に向いた。
「君、見ない顔だね」
「あ、はい。候補生として、こちらにお世話になっています」
「へえ、候補生」
男は俺の顔を眺め、それから受付の職員に目を向けた。
「この子が例の?」
「……はい。ただし、詳細については神楽坂執行官から説明があるはずです」
「なるほどねえ」
男は納得したようにうなずいた。
特別なことを聞いたわけでもないのに、妙に引っかかる。
この人は、何者なんだろう。
「俺はジークヴァルド。ジークでいいよ」
「雲ヶ谷蓮です。よろしくお願いします」
「蓮君ね。よろしく」
ジークは気軽に手を上げた。
そのまま通り過ぎるかと思ったが、彼は俺の隣の椅子に腰を下ろした。
「で、候補生ってことは、これからいろいろ勉強するわけだ」
「そうですね。まだ分からないことだらけですけど」
「そりゃそうだ。最初から何でも分かってたら、教える側が失業しちまう」
ジークは笑った。
俺も、つられて少しだけ笑う。
話しやすい人だ。
少なくとも、初対面で緊張していた俺にとっては、ありがたかった。
「異知のことを学んでるのか?」
「はい。自分の能力についても、調べてもらっています」
「自分の能力?」
ジークは興味を示したが、すぐに深く聞こうとはしなかった。
「まあ、焦らないことだな。分からないものを、分かったことにするのが一番危ない」
その言葉は、思っていたよりも真剣だった。
「……そうですね」
「お、素直だね。もっと反発されるかと思った」
「初対面の人に反発する理由もないですから」
「ははっ、確かに」
ジークは楽しそうに笑った。
そのとき、廊下の奥から刹那さんが現れた。
「ジーク。こんなところにいたんだ」
「お、刹那。ちょうどいいところに」
「ちょうどいいところじゃないよ。さっきから君を探していた職員がいたけど?」
「気のせいだろ」
「本人が目の前にいるのに、気のせいは無理があるね」
刹那さんは呆れたように息をついた。
けれど、その表情には普段の軽い笑みが残っていた。
「それで、蓮君ともう話していたの?」
「まあね。いい子じゃないか」
「まだ会って数分でしょう」
「数分あれば、挨拶くらいできるさ」
ジークは立ち上がり、刹那さんの肩を軽く叩いた。
「それじゃ、俺は仕事に戻るか」
「本当に?」
「……戻る戻る。たぶん」
「最後の一言が余計だよ」
刹那さんがそう返すと、ジークは笑いながら廊下の向こうへ歩いていった。
その背中が角の向こうに消えるまで、俺は何となく目で追っていた。
*
「……あの人、何をしている人なんですか?」
俺が尋ねると、刹那さんは少しだけ考えるような顔をした。
「一言で説明するのは難しい人だね」
「それ、説明になってませんよ」
「はは。そうだね」
刹那さんは笑ったあと、少しだけ声の調子を変えた。
「ただ、セフィラにとっての重要人物であることは確かだよ」
その言葉に、俺は廊下の奥を見た。
さっきのジークは、仕事を面倒くさがっているようにしか見えなかった。
けれど、刹那さんがそう言うのなら、単なる気まぐれな職員というわけではないのだろう。
「君も、これから顔を合わせる機会があるかもしれないね」
「そうなんですか?」
「彼が気まぐれを起こさなければ、だけど」
「……本当に、どういう人なんですか」
「それは、君自身で確かめていくといいよ」
刹那さんはそう言って、会議室へ向かって歩き始めた。
俺はその後を追った。
今日の本題は、俺の今後についてだ。
ジークという人物について考えるのは、そのあとでもいい。
*
会議室では、候補生としての今後について説明を受けた。
当面は、異知に関する基礎知識や安全管理について学ぶこと。
能力の調査は、俺自身の感覚だけでなく、可能な範囲で客観的な記録も残しながら進めること。
そして、許可なく現場へ立ち入らないこと。
どれも当たり前のことだった。
けれど、今までの俺は、異知について知りたいという気持ちばかりが先に立っていた。
学ぶことと、実際に行動することは違う。
その違いを、これから理解していかなければならない。
「何か質問はある?」
刹那さんに尋ねられ、俺は少し考えた。
「……ジークさんも、候補生の指導をするんですか?」
「さあ、どうだろうね」
「知らないんですか?」
「知っていても、今は答えないほうが面白そうだからね」
「……刹那さんまで」
「冗談だよ。彼が協力してくれるかどうかは、本人次第かな」
刹那さんは笑っていたが、その言い方には含みがあった。
ジークは、セフィラにとって重要な人物。
けれど、誰かの命令に素直に従うような人にも見えなかった。
俺は、初対面の彼を思い出した。
気さくで、冗談好きで、どこかつかみどころがない。
それでも、分からないものを分かったことにするな、という言葉だけは、妙にはっきりと耳に残っていた。
会議室を出ると、窓の外はすっかり夕暮れになっていた。
セフィラには、俺の知らない人が大勢いる。
その一人一人が、異知に関わる事情や経験を持っているのだろう。
ジークヴァルドも、その一人だ。
今日の出会いだけでは、彼がどんな人物なのかは分からない。
けれど、また会うことがあるなら、そのときはもう少し話をしてみたいと思った。
俺は受付を通り、セフィラの建物を後にした。
まだ、何も始まったばかりだ。
それでも、俺の知らない世界は、少しずつ広がっていた。




