↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異知 〜世界の理を識る者〜  作者: 春野晴
1章 プロローグ
PR
16/24

16,姉が残した物

 翌日の放課後。


 俺は、昨日刹那から聞いた話を思い返していた。


 姉さんは、強かった。


 それは知っている。


 けれど、強いだけの人ではなかったらしい。


 異知の事件に関わり、現場の状況を見て、何を優先するべきか判断していた。


 俺が知らない姉さんの姿が、記録の中には残っている。


 そう考えると、少し不思議な気持ちになった。


 家で見せていた顔も、セフィラで見せていた顔も、どちらも同じ姉さんのはずなのに。


「雲ヶ谷、帰らないのか?」


 声をかけられ、顔を上げた。


 教室には、もうほとんど人が残っていなかった。


「今帰るところ」


「そうか。じゃあ、また明日な」


 佐伯が鞄を肩にかけ、教室を出ていく。


 俺も立ち上がり、机の中を確認した。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 刹那からだった。


『昨日の話の続きだけど、今日、資料を一つ見せられそうだよ。時間はある?』


 俺はすぐに返信した。


『あります。今から向かいます』


 送信してから、少しだけ考える。


 姉さんの記録。


 その中に、何が書かれているのだろう。


 期待と不安が入り混じったまま、俺は教室を後にした。


    


 *




 セフィラの資料室に入ると、刹那はすでに机の上へ資料を広げていた。


「やあ、蓮くん。今日は少し古い記録を見てもらおうと思ってね」


「姉さんの記録ですか?」


「そう。閲覧できる範囲のものだけどね」


 刹那は一冊のファイルをこちらへ差し出した。


 表紙には、事件の管理番号と発生日時が記されていた。


「これは、詩織が現場対応に参加した事件の記録だ。戦闘そのものより、彼女がどう判断したかが分かるものを選んだよ」


 俺はファイルを開いた。


 最初のページには、事件の概要がまとめられていた。


 市街地で発生した異知の異常現象。


 周辺設備への影響。


 現場に残された複数の負傷者。


 そして、対応に当たった職員の報告。


 読み進めるうちに、ある記述で目が止まった。


 ――現場到着後、対象の制圧よりも周辺住民の退避を優先。


「……姉さんは、最初から戦おうとしなかったんですか?」


「必要がなかったからね」


 刹那は答えた。


「その事件では、異知の影響を受けた設備が不安定な状態にあった。無理に戦闘を始めれば、周囲に被害が広がる可能性があったんだ」


「だから、先に人を逃がした……」


「そういうこと。もちろん、状況によっては制圧を優先する必要もある。でも、詩織は目の前の相手だけを見て判断する人じゃなかった」


 俺は記録を読み続けた。


 退避経路の確保。


 負傷者の状態確認。


 ほかの職員との連携。


 姉さんが行ったことは、派手な戦闘ばかりではなかった。


 むしろ、戦う前に考えなければならないことが、いくつもあった。


「……俺、姉さんが能力を使って戦っているところばかり想像していました」


「それも間違いではないよ。彼女は戦闘でも優秀だったからね」


 刹那は少し笑った。


「でも、強い能力があれば、すべてを解決できるわけじゃない。何をするべきかを判断できなければ、その力をうまく使えないこともある」


 その言葉に、俺は自分の手を見た。


 俺の能力は、まだ何も分かっていない。


 自分の声が聞こえなくなる。


 今のところ、分かっているのはそれだけだ。


 そんな状態で、誰かを守ることができるのだろうか。


「刹那さん。姉さんは、最初からああいう判断ができたんですか?」


「まさか」


 刹那は即答した。


「経験を積んで、失敗もして、周囲から学んでいたよ。最初から何もかも分かっていた人間なんていない」


「失敗も……?」


「もちろん。むしろ、失敗したあとに何を学ぶかが大事なんじゃないかな」


 俺は記録に視線を戻した。


 姉さんも、最初から完璧だったわけではない。


 その当たり前のことが、今になってようやく実感できた気がした。


   


  *




 ファイルの後半には、現場にいた職員からの所見が添えられていた。


 その中に、短い一文があった。


 ――雲ヶ谷詩織は、救助対象の状態を確認したうえで、自身の異知による処置を実施。負傷者の安定を確認後、現場対応へ復帰した。


「姉さんの能力は、治療にも使えたんですね」


「そうだね。生命活動に関わるリズムを調整する能力だから、身体機能の回復を助けることもできる。ただし、何でも無条件に治せるわけじゃない。対象の状態や、詩織自身の負担にも左右される」


 俺はうなずいた。l


 姉さんが人を助けていた。


 その事実は、想像していたよりも具体的だった。


 ただ強かったから、誰かを救えたのではない。


 何をするべきかを考え、能力をどう使うか選び、必要な行動を取っていた。


「……姉さんは、こういう記録を残していたんですね」


「本人が書いた報告もあるし、ほかの職員がまとめたものもあるよ」


「本人の報告も?」


「もちろん。ほら、これ」


 刹那が別のページを示した。


 そこには、詩織自身が書いた簡潔な所見が残されていた。


 専門的な記述の中に、一行だけ、妙に目を引く文章があった。


 ――現場では、救助対象の不安を軽視しないこと。状況を説明し、本人が判断できる余地を残すこと。


 俺は、その一文を何度も読み返した。


「本人が判断できる余地……」


「詩織らしい言葉だね」


 刹那は静かに言った。


「助ける側が正しいと思うことと、助けられる側が望んでいることは、必ずしも同じじゃない。緊急時には選択肢が限られることもあるけど、だからといって、相手の意思を無視していいわけじゃないんだ」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 姉さんは、ただ命を救うだけではなく、その人がどうしたいのかも考えていたのだろう。


 それは、能力の強さとは別の話だった。


「……俺、姉さんのことを何も知らなかったんですね」


「知らなかったことに気づけたなら、これから知っていけばいい」


 刹那はファイルを閉じた。


「ただ、記録に残っているのは、彼女の一部分だけだ。書かれていないこともあるし、現場にいた人間にしか分からないこともある」


「はい」


「だから、記録だけで詩織のすべてを分かったつもりにはならないこと。これは大事だよ」


 俺はもう一度、さっきの一文を思い出した。


 本人が判断できる余地を残すこと。


 その言葉の意味を、俺はまだ十分に理解できていない。


 それでも、忘れたくないと思った。


  


   *




 資料室を出る前、俺は刹那に尋ねた。


「この記録、もう少し読んでもいいですか?」


「もちろん。閲覧の手続きをすれば、読める範囲のものは確認できるよ」


「ありがとうございます」


 刹那は軽く手を振った。


「ただし、読みふけって帰る時間を忘れないようにね。君、集中すると周りが見えなくなりそうだから」


「そんなことありません」


「そうかな? 今も、さっきからずっと同じページを見ていたけど」


「……それは」


 言い返せずにいると、刹那は楽しそうに笑った。


「まあ、いいさ。今日はここまでにしよう。続きはまた今度だ」


 俺はファイルを職員に返し、資料室を後にした。


 施設の出口へ向かう途中、壁に飾られた写真が目に入った。


 以前見た、姉さんとセフィラの職員たちが並んでいる写真だった。


 写真の中の姉さんは、少しだけ笑っていた。


 その隣には刹那がいる。


 俺の知らない時間を、二人は一緒に過ごしていたのだろう。


 姉さんが何を考え、何を大切にしていたのか。


 まだ、全部は分からない。


 けれど、少しずつ知っていくことはできる。


 俺は写真から目を離し、施設の外へ出た。


   


  *




 帰宅後。


 俺は机に向かい、記録用紙を広げた。


 今日、声が聞こえなくなる現象は起きていない。


 だから、能力に関する記録に新しく書き足すことはなかった。


 代わりに、ノートの別のページを開いた。


 そこには、姉さんについて知りたいことが並んでいる。


 セフィラでの仕事。


 異知の事件での判断。


 能力の使い方。


 そして、姉さん自身が何を大切にしていたのか。


 俺は、今日読んだ記録から一つだけ書き加えた。


 ――力を使う前に、何を守るべきか考える。


 ペンを置き、文字を見つめる。


 それが、姉さんのすべてを表す言葉だとは思わない。


 ただ、今日の俺には、忘れたくないことだった。


 自分の能力が何なのか、まだ分からない。


 いつか制御できるようになるのかも分からない。


 それでも、能力の正体が分かるまで何もできないわけではない。


 知識を身につけること。


 自分の感情や行動を振り返ること。


 そして、目の前の相手をきちんと見ること。


 今の俺にも、できることはある。


 俺はノートを閉じた。


 姉さんが残した記録は、過去の出来事を伝えるだけのものではなかった。


 その中には、これから俺が考えなければならないことも、確かに残されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。