10,映像に映った影
待ち合わせ場所は、駅から少し離れた雑居ビルの二階だった。
入口の看板には、小さく「喫茶室」と書かれている。昨日の店とは違い、客の姿はほとんどなかった。
階段を上がると、奥のテーブルに刹那が座っていた。
「やあ、蓮くん。こっちこっち」
「……今度は何なんだよ、この場所」
「静かでいいだろう?」
「人がいないだけじゃないか」
「それも立派な長所だよ」
刹那は悪びれもせず、向かいの椅子を指した。
俺が座ると、テーブルの上に黒い端末が置かれた。画面には、見覚えのある地域ニュースの動画が表示されている。
「それで、映像について何か分かったのか?」
「いくつかね。まず、これを見てほしい」
刹那は動画を再生した。
夜の道路。街灯。通り過ぎる車。
俺が何度も見返した映像が、同じように流れていく。
「ここだ」
刹那が画面を止めた。
映像が乱れる直前。道路の端に、人影のようなものが映っている。
「……これ、やっぱり人なのか?」
「その可能性は高い。ただ、映像だけでは断定できない」
「黒い服を着ているように見えるけど」
「そうだね。でも、服の色も輪郭も、乱れた映像から推測しているだけだ。これだけで例の男だと決めつけるのは危険だよ」
刹那は画面を拡大した。
人影は街灯の届かない場所に立っているように見えた。顔も、体格も、はっきりとは分からない。
ただ、気になることがあった。
「……こいつ、カメラのほうを向いてないか?」
「僕もそこが気になった」
刹那の声から、いつもの軽さが消えていた。
「映像が乱れる直前、この人物らしき影はほとんど動いていない。ところが、乱れが起きた直後には、画面の端から消えている」
「歩いていったんじゃないのか?」
「もちろん、その可能性もある。けれど、映像が乱れた時間は短すぎる。少なくとも、普通に歩いて立ち去ったと考えるには、少し不自然なんだ」
俺は画面を見つめた。
姉ちゃんが倒れた夜。
家の近くで起きた異常。
その現場に、正体の分からない人物がいた。
「……やっぱり、姉ちゃんを襲った男と関係があるのか?」
「まだ分からない」
刹那は、はっきりと答えた。
「でも、無関係として片づけるには気になる点が多い。だから、セフィラに映像の解析を依頼した」
「解析って、何を調べるんだ?」
「映像が乱れた範囲や時間、音声の途切れ方。それから、周囲で別の異常が記録されていないか。単なる機器の故障なのか、何らかの異知が関係しているのかも含めてね」
異知。
昨日、初めて聞いた言葉だった。
今までなら、映像の乱れを見ても、機械の不調だと思って終わっていたかもしれない。
だが、今は違う。
この世界には、自分の知らない力がある。
そして、その力が姉ちゃんを倒した出来事に関係している可能性がある。
「……俺も、その解析を見られないのか?」
「今の段階では難しいね。記録には事件の情報も含まれているから」
「また、それかよ」
思わず声が強くなった。
刹那は反論せず、俺の顔を見ていた。
「昨日も言っただろ。俺は何も知らない。姉ちゃんがどうして倒れたのかも、あの男が何者なのかも。自分の声に何が起きているのかだって分からない」
「うん」
「なのに、いつも『まだ分からない』『今は話せない』ばかりじゃないか」
口にすると、胸の奥に押し込めていたものが一気にあふれた。
「俺は、ただ待っていろってことなのか?」
刹那はしばらく黙っていた。
やがて、椅子の背もたれに体を預ける。
「……そう感じるのも無理はないね」
「だったら――」
「でも、君に何もさせるつもりはないよ」
刹那は端末を俺のほうへ向けた。
「君が見つけた映像が、調査のきっかけになった。君の記録も、これから原因を探るための情報になる。少なくとも、君は何もしていないわけじゃない」
「それだけで、姉ちゃんが目を覚ますのかよ」
刹那は答えなかった。
その沈黙が、何よりも腹立たしかった。
けれど、刹那が適当な慰めを口にしないことだけは分かった。
「……悪い」
俺は視線を落とした。
「いや。謝らなくていい」
刹那は端末をしまい、少しだけ表情を和らげた。
「君が怒る理由は分かるよ。僕だって、すべてを説明できるならそうしたい」
「じゃあ、何か一つくらい教えてくれよ。姉ちゃんは、セフィラで何をしていたんだ?」
今度は、刹那の目を見て尋ねた。
刹那はすぐには答えなかった。
窓の外を一度だけ眺め、それから俺に向き直る。
「お姉さんは、セフィラにとって重要な人だった。能力が優れていたのはもちろんだけど、それだけじゃない」
「……どういうことだ?」
「現場での判断力が高かった。自分の能力をどう使えば被害を抑えられるか、誰を優先して守るべきか。そういうことを、常に考えていた人だよ」
姉ちゃんの姿が頭に浮かんだ。
家では、だらしないところもあった。
俺をからかっては笑い、面倒なことを押しつけてくることもあった。
それでも、困っている人を見つければ放っておけない人だった。
「……姉ちゃんらしいな」
「うん。そういう人だった」
刹那は静かにうなずいた。
「だからこそ、今回のことは僕も気になっている。お姉さんが簡単に倒されるとは思えないからね」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「姉ちゃんは、そんなに強かったのか?」
「強かったよ」
刹那は即答した。
「ただ、強ければ負けないというわけじゃない。相手の能力や条件によっては、どれほど優れた人でも不利になる」
「……姉ちゃんより強い奴がいるってことか?」
「いるだろうね。能力の相性もあるし、戦い方もある。単純に強さを比べるだけでは分からないことも多い」
黒衣の男の姿が脳裏によみがえった。
姉ちゃんが倒れる直前、あの男は何かを求めていた。
コアをもらいに来た、と。
あの言葉の意味を、俺はまだ知らない。
「刹那。姉ちゃんを襲った男を見つけたら、俺にも教えてくれ」
「分かった。確かな情報があれば、君に伝える」
「約束だぞ」
「約束するよ」
刹那は、今度は冗談めかさずに答えた。
*
店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
駅へ向かって歩きながら、俺はさっきの話を考えていた。
姉ちゃんは、セフィラにとって重要な人だった。
現場で多くの人を守ってきた。
そんな姉ちゃんが、どうして突然倒れたのか。
答えはまだ見つからない。
それでも、映像に残っていた影は、調べる価値のある手がかりだった。
俺はスマートフォンを取り出し、ノートの記録を読み返した。
自分の声が聞こえなくなったこと。
姉ちゃんが倒れた夜に、映像と音声が乱れていたこと。
どちらも、まだ原因は分からない。
ただ、無関係だと決めつける理由もなかった。
俺は画面を閉じ、歩き出した。
家に帰ったら、今日聞いたことも記録しておこう。
今はまだ、何もできないかもしれない。
それでも、知らないままにしておくつもりはなかった。




