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魔王軍を滅ぼした代償に死んだのは聖女? ……それとも  作者: 小鳥遊ゆう


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4 二度目の恋 



 傷つき倒れていた兵や、病に苦しんでいた民は、瞬く間に回復した。


 国中の民は勇者リュートと聖女エレノアの名を称え、街中に讃美歌と感謝の祈りを響かせた。


 だが、誰よりも報われるべきはずだった二人に残されたのは、あまりにも過酷な現実だった。


 二人が思い望んでいた身分を越えて共に歩むはずだった幸福な未来は、最初から存在しなかったかのように消え去った。




 ――それから数か月の月日が流れた。


 王城の一室で、リュートの時間は止まったままだった。


 かつて縦横無尽に戦場を駆け回った手足は麻痺して動かず、自分の力で起き上がることすら出来ない。自分がどこの誰かも分からず、ただ呼吸をして生きているだけの日々。


 一日のほとんどを寝たきりで過ごす彼のもとへ、毎日、必ずやってくる存在があった。


「リュート、おはよう。今日も良い天気よ」


 静寂に包まれた部屋に届く、鈴を転がすように優しく響く声。


 第一王女であるエレノアは、終わりの見えない戦後処理や執務に追われ続ける日々の合間を縫い、毎日欠かすことなく彼の部屋を訪れていた。


 彼女は、自分では上手く動かせないリュートの身体を優しく抱き起こし、スープを丁寧に一匙ずつ口へ運んだ。


 冷え切った彼の指先を自分の両手で包み込んで擦り、夜には毛布を幾重にもかけ直す。


 記憶を失ったリュートにとって、彼女は「見知らぬ女性」でしかなかった。けれど、毎日のように自室に通い詰め、甲斐甲斐しく世話をしてくれる姿を見るうち、頭の中にはいくつもの疑問が浮かんでいた。


 (この人は……一体、誰なのだろう?)


 洗練された優美な立ち居振る舞い、気品に満ちた言葉遣い、自由に着替える上質な服の生地。どれをとって見ても城で働く単なる使用人や給仕などではないことくらいは察しがついた。おそらくは高貴な身分の、それも途途方なく上の地位にいる人物のはずだ。


 (それなのに、どうして……。

 どうしてこんな高貴な身分の女性が、身動き一つ取れない僕の面倒を、これほど献身的に看てくれるのだろうか?)


 彼女は訪れるたび、勇者リュートの過去の話や二人の愛の思い出を語っていった。


 しかしそれはリュートにとって、どこか現実味のない遠い世界のおとぎ話のように聞こえた。


 (この人と愛し合っていた……?  どうして、そんな身分違いの恋なんてことになったのだろう)


 ――仮に、僕とこの女性が恋人同士だったとして。


 これほど気品にあふれ、誰もが見惚れるほど美しいのだ。この先、平民で何もできない自分などではなく、相応しい家柄の有力貴族と縁を結んだ方が、彼女にとっては幸せなのではないか。


 彼女から聞かされる勇者リュートの物語や二人の思い出は、どこか他人事としか思えなかった。




 だが――、月日が経ち、毎日エレノアの看護を受け続けるにつれて、リュートの心境は徐々に変化していった。


 彼女の口から語られる勇者は、あまりにも完璧で、強くて、美しかった。


 一方で、今の自分は、どうだろう?


 剣を握るどころか、自分の足で歩くことすらできない。恋人だという女性の献身に対しても、何一つ返すことができない。ただの役立たずでしかない。


 勇者の物語を聞かされるたびに、他人事だったはずの英雄の姿が、今の惨めな自分に重く重なっていく。


 なぜ自分は、動けないのか。


 なぜ彼女の想いに、何も返せないのか。


 毎日毎日、彼女に愛おしそうな瞳で見つめられ輝かしい勇者の物語を聴かされるたび、胸の奥がズキリと締め付けられるように痛んだ。その胸の痛みは、何もできない自分への鬱屈とした悔しさ、どうしようもない絶望感から来るのだと、リュートはそう思っていた。


 ある日の深夜。リュートは熱を出して苦しんでいた。その傍らでエレノアは一晩中、彼の額のタオルを替え、震える手を握りしめ続けていた。


 うとうとと意識が揺れる中で、彼女がいつもと変わらぬ物語を語っているのが、聞こえた。


「リュート、魔王軍に怯んでいた兵士たちがあなたの掲げた刃に勇気づけられて立ち上がった瞬間、リュートは間違いなく世界の希望そのものだったのよ?」


「圧倒的な魔王軍の前に兵たちが崩れかけたときだって……あなたが真っ先に剣を掲げて叫んだの。

『後ろには守るべき民がいる! 僕が壁になる、だから僕の背中に続け!』って。

 その一言で、死地にいた全員の眼に光が戻ったの……」


「だから、こんな病気なんかに……熱なんかにあなたが負けるはずがないわ。あなたは誰よりも強いのだから、きっとすぐに良くなる……そうでしょう?」


「……もう、……もう、やめてくれ」


 熱にうなされながら拒絶の言葉を口にすると、エレノアは大きく目を見開いた。


「昔の僕の話なんて、もうやめてくれ……!

 僕は君の求める勇者じゃない! 剣も振れない! 君のことも覚えていない! 

 ……ただの何もできない、無力な男なんだ。

  君みたいな美しく素晴らしい女性は、こんな無力な男なんかじゃなくて、もっと相応しい人と幸せになるべきだ。

 もう、ここに来ないでくれ!

 こんな役立たずは、このまま死んでしまった方が……僕にとっても、君にとっても幸せなんだ……っ!」


 高熱のせいで自制のタガが外れ、胸の奥に澱んでいた気持ちをそのままぶちまけてしまう。涙で視界が歪む。無力さと情けなさ、そして彼女に何も返せない申し訳なさの全部を吐き出し、リュートは固く目を閉じた。呆れられ、見捨てられることを覚悟して。


 だが、返ってきたのは、失望の溜め息でも決別の言葉でもなかった。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、リュート……っ」


 ベッドの脇で膝を折る気配とともに、小さな叫びが届く。エレノアは震える両手で、リュートの麻痺した指先を必死に抱え込み、自分の頬へと押し当てた。


「わたしが愚かだったわ……あなたを傷つけていたのね。

 ……でも、違うの。お願いだから自分を責めないで……!」


 彼女の目から溢れ出た熱い涙が、リュートの手にぽとりと落ちる。


「たとえあなたが勇者じゃなくても、わたしとの思い出だって、忘れたままでいいの……。

 今、こうして息をして、わたしの前にいてくれる……今のあなたが、わたしのすべてなのよ……!」


 流される涙の温もりが、指先を通じてリュートの胸の奥深くへと染み込んでいく。


 どうしてこの高貴な女性が自分の面倒を看てくれるのか。その答えが、彼女の流す温かな涙とともに、すっと胸に落ちた。


 彼女が愛し、守ろうとしてくれていたのは、過去の勇者などではない。今ここで苦しみ、苛立ち、不甲斐なさに泣いている自分そのものなのだと、リュートははっきりと理解することが出来た。


 どうして勇者の物語を聞くたび、胸が苦しくなったのか。リュートはその答えが、ようやく分かった気がした。


  ——自分は、彼女が話す過去の勇者に嫉妬していたのだ。


 エレノアの愛は過去の完璧な勇者に向けられたものであり、今の惨めな自分に向けられたものではないと思っていた。だが、それは間違いだった。彼女は最初から目の前にいる今の自分を見て、それでも愛してくれていたのだ。


 リュートにとって彼女の存在は、いつしか自身の闇を照らす光となっていた。


 足音が聞こえるだけで胸が跳ね、彼女の手が肌に触れるだけで、冷え切っていた心の奥底がポカポカと温かくなった。


 すべてを失ったリュートの心に蒔かれた慈愛の種は、エレノアの注ぐ愛に育まれ、まったく新しい恋として再び芽吹いていたのだ。


 だからこそ、彼女が愛おしそうに語る勇者の話を聞くたび、胸を切り裂くような苦しさに苛まれていたのだ。リュートは、自分が彼女に対して恋しているのだと、初めてハッキリと自覚した。


 記憶を失ったリュートが一人の女性(エレノア)に初めて捧げる――『二度目の恋』だった。







 その日を境に、リュートの世界は劇的に変わり始めた。


 彼女の愛に応えたい一心で、動かない身体に鞭を打ち、過酷なリハビリを開始したのだ。


「エレノアさん……本当にごめんなさい。身勝手な言葉で、君を深く傷つけてしまった……」


 熱から回復した日の朝、リュートは部屋を訪れたエレノアに頭を深く下げた。突然の言葉にエレノアが驚きで目を丸くする中、リュートは真摯な瞳で言葉を続ける。


「エレノアさんがどれほどの想いで僕を看病してくれていたかも知らずに、酷いことを言ってしまった。……でも、僕は目が覚めたんだ。

 貴女のの献身に、僕は心から感謝している。だから……今の惨めな僕のままで終わりたくない。

 貴女の想いに応えるために、僕もできる限りの努力をしたいんだ。

 ……リハビリを、手伝ってくれないだろうか」


 リュートの前向きな決意と感謝の言葉を聞いた瞬間、エレノアの瞳からぽろぽろと喜びの涙が溢れ出した。


「ええ……!  ええ、もちろんよ、リュート……っ!  喜んで……!」


 彼女はリュートの手を両手で固く握りしめ、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。




 エレノアが押す車椅子に乗って、リュートが城の庭園や回廊を回るようになると、二人の距離はさらに解きほぐされていった。


 風の匂い、太陽の暖かさ、そして何より嬉しそうに微笑み合う二人。


「見て、リュート。あなたがいつか一緒に作りたいって言ってくれた花壇よ」


「綺麗だね、エレノア。……僕は種を蒔いただけだけど、いつか世話まで出来るようになりたい。自分の足でも歩きたいし、君の手を引いて遠くまで行けるようになりたい」


 二人は寄り添って未来を語り合い、新たな時間を重ねながら絆を深めていった。


 エレノアは専属の医師を集め、リュートの身体機能の回復に向けた緻密な訓練計画を指示していた。それだけではなく、多忙な執務の合間を縫っては、医学の先進国から専門書を何冊も取り寄せて治療法を探し続けた。少しでも彼の回復につながりそうな治療法を見つけると、自ら提案して日々のリハビリに取り入れていく。


 自分のために一途に努力を重ねる彼女の愛情に、リュートは感謝を重ねた。彼女が提案してくれるリハビリ法を一つひとつ真摯に受け入れ、どれほど痛む訓練であっても決して弱音を吐かずに愚直に打ち込んだ。


 リュートの身体は奇跡的な回復を見せ、やがて少しずつ自分の足で立つことができるまでになった。




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