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「……そこにあるテーブルの引き出しを開けてみろ」
俺は手錠をかけられたまま、風間を見て言った。
「ガキが隠し持ってた手紙が入ってる。読んでみろ」
風間は俺を警戒しながらテーブルへ近づく。
ゆっくりと引き出しを開けると、一通の手紙を手に取る。
風間は手紙を開き、静かに読み始めた。
俺はその手紙の内容を思い出し、心の中で読み上げる。
『__京へ。
今はまだ、読んでも分からないかもしれない。
だけど、分かる時がきたら、ちゃんと読んでほしい。
私は長い間、雨音と名付けられた人に体を乗っ取られていたの。
意識はあるのに、時々、体が勝手に動いて、勝手に言葉を話していた。
私の体を使って人を傷つける悪い人がいる。
その人がどこの誰なのか、私にも分からない。
あなたのお父さんに「愛してる」と言われたあの日、その人は私の中から消え、現れることはなかった。
この先、あなたの母親である私に何かあった時は気をつけて。
その時は、女の子であるあなたの姉、零が、私と同じ目にあうかもしれない。
その時は京。
あなたが零を守って、信じてあげてほしい。
京。
私もあなたのお父さんも、あなたを愛してる。
それだけはどうか忘れないで』
風間は読み終えると、ゆっくりと手紙を閉じた。
部屋に重い沈黙が流れる。
殺し屋の男も、子供も、一言も口を開かなかった。
俺は風間の表情を見て、小さく笑う。
「……驚いただろ?」
風間は手紙から視線を上げ、まっすぐ俺を見つめる。
その瞳には驚きだけではなく、事件の真相へ近づいた者だけが浮かべる、確かな緊張が宿っていた。
「その手紙をよこせ!」
と片腕の男は風間の手から手紙を奪い取るように受け取り、食い入るように文字を追った。
手紙を持つ手が、わずかに震えている。
読み終えた男は、ゆっくりと顔を上げた。
「……今、雨音という奴はどこにいる…」
誰に問いかけるでもなく呟く。
そして、何かに気づいたように京を見る。
「まさか……京…、いや、零に取り憑いて――」
「そんな馬鹿な話があるか!」
風間が声を荒げる。
「雨音は…彼女は、おそらく二重人格かなにかだろう。
謎の人物に体を乗っ取られていたなんて、馬鹿げている」
風間の言葉に俺は思わず吹き出した。
「ははっ!確かにな!お前の言う通りだ」
笑いが止まらない。
「片腕のお前!今すぐ体を乗っ取れる奴を連れてこい!
そんな奴がこの世に存在するなら、ここに連れてきて見せてくれ!」
部屋に乾いた笑い声が響く。
そのときだった。
「ここにいるわ」
静かな声が響いた。
全員の視線が、一斉に京へ向く。
子供はゆっくりと顔を上げた。
その口元には、それまで一度も見せたことのない妖しい笑みが浮かんでいた。
「なっ……」
風間が息をのむ。
俺の全身から血の気が引いていく。
「お前……まさか……」
俺は震える声で言葉を絞り出す。
「あの時の……女……?」
京はくすりと笑った。
「聡…」
その呼び方だけで、俺の鼓動が止まりそうになる。
「あの日、言ったでしょ。あなただけの女になるって」
京は自分の胸に手を当てる。
「体は男。でも、見た目はあなたが歩道橋で突き落としたあの女に、よく似ているでしょう?」
妖しく微笑むその姿は、尾行し追い続けた女と重なって見えた。
「なんで…それを知ってるんだ?」
俺は声を震わせる。
「田中…、まさかお前、あの人を殺したのか?」
と風間が俺を見て言った。
「京!しっかりしろ!」
片腕の男が子供の身体をゆさぶる。
京は気にも留めず、ゆっくりと風間の前まで歩み寄った。
「ねぇ、瞬…」
その一言に、風間の表情が揺れる。
「本当の私を見ても……愛してるって言ってくれる?」
風間は拳を強く握り締めた。
「雨音……」
かすれた声が漏れる。
「お前に会いたい」
数秒の沈黙。
「いま、どこにいるんだ?」
京は穏やかに微笑んだ。
「案内するわ。ついてきて」
そう言って、玄関へ向かって歩き出す。
片腕の男が俺の胸ぐらをつかみ
「あの子の母親を殺したお前は、いつか必ず俺が殺す…。
その日まで絶望の中で生きていけ」
そう言って、男が俺から手を離し、風間と共に部屋から出ていった。
俺は手錠をかけられたまま、その背中をただ見送ることしかできなかった。
部屋には静寂だけが残っていた。
やがて、廊下から慌ただしい足音が聞こえてくる。
玄関の扉が開き、数人の警察官が部屋へなだれ込んできた。
風間が呼んだ部下達だろう。
「田中聡。これからお前を移送する」
俺は抵抗しなかった。
もう、抵抗する理由もない。
警察官に腕を取られ、ゆっくりと立ち上がる。
そのままマンションを出ると、冷たい空気が肌を刺した。
赤色灯を回したパトカーが静かに止まっている。
俺は後部座席へ乗せられた。
ドアが閉まる。
車内に響く乾いたエンジン音が、すべての終わりを告げているようだった。
窓の外では、見慣れた街並みがゆっくりと流れていく。
もう二度と、この景色を自由な立場で見ることはないのだろう。
俺は小さく息を吐き、うつむいた。
__終わった。
長い長い悪夢は、ようやく幕を閉じた。




