八雲 2
「柊結衣だ」
その名前を口にした瞬間だった。
零の瞳が大きく揺れる。
ぽろり、と一粒の涙が頬を伝い、そのまま床へ落ちた。
零は何も言わず、俺に背を向ける。
肩が小さく震えていた。
「……零」
俺は鉄格子によりかかる。
「こっちに来い」
零はゆっくりと振り返る。
涙を拭うこともせず、一歩ずつ俺のもとへ歩いてきた。
俺は牢屋の隙間から左手を伸ばす。
そして、零の頭をそっと撫でた。
柔らかな髪の感触が指先に伝わる。
ずっと触れたかった。
話したかった。
それがようやく叶った。
「……京は元気か?」
零は小さく頷く。
それだけで十分だった。
京は生きている。
それだけで救われる気がした。
俺は零を見つめながら、静かに話し始める。
「零。よく聞いてくれ」
零は真っすぐ俺を見つめ返す。
「俺は殺し屋だった」
その言葉に、零は驚いた表情を見せる。
「だから今も、命を狙われている人間だ」
俺は一度目を閉じる。
「外では、俺が父親だと言うな」
零は息をのむ。
「お前たちまで危険な目に遭うかもしれない」
それだけは避けたかった。
父親として、最後まで守りたかった。
零は涙を拭い、小さく頷く。
「……うん、わかった」
短い返事だった。
だが、その一言には強い決意が込められていた。
「もう行かなきゃ…。見回りの人に見つかっちゃう。
早く、風間さんのところに戻らないと…」
零はゆっくりと鉄格子から離れ、扉の方へ歩き始める。
数歩進んだところで立ち止まり、振り返った。
少しだけ笑って言う。
「また来るね」
一呼吸置いて。
「お父さん」
その一言が、胸の奥深くまで染み渡る。
俺は何も答えられなかった。
零が去り、足音が遠ざかっていく。
静まり返った牢の中で、俺は一人うつむく。
頬を伝う涙は、もう止めることができなかった。




