#3
10月15日
世界は混沌の中、成立する。世界は人の海である。人種や民族や思想で作られた曖昧な境界線が、曖昧に揺れ動く。揺れ動く境界線は、様々な波紋を生んで人の海が動く。境界線がなくなれば、波紋はなくなり穏やかな海となる。唯一の特異的な出来事は人の死。死は海の一部を消失することを意味する。そこに周りの海は流れて、また平穏と波紋の海となる。大量な人の死だって、周りの海はなだれ込む。目の前には大量の死が、ビルの崩壊とともに起きている。だが、これもまた周りの海がなだれ込んで、平穏な海となる。
同日
「え、やぱ。ニューヨーク爆破されてるんだけど」
由紀夫の「JAM PHONE」にはニュース速報が入っている。
「…へ〜、また宇宙から?アメリカ初じゃない?」
「ってことは、今日の部活休み?」
「いや日本じゃないから無理だべ」
周りは宇宙からの攻撃なんかより、部活が大事だ。そして自分もまた、花澤理恵が大事だ。何度も帰宅時に見かけたことを考えると、家が近いことは確かである。ということは、一緒に家に帰ることが自然な状況であり、今後の関係を発展させる上で有利だ。
「と思うんだけど、どう思う?」
「さすが由紀夫氏。計画として完璧ではないか!ここで、来週のJAM社への見学で授業を使った合法デートできるじゃないか!」
「あんまり大きな声で叫ぶな!」
横で叫んでいる、ずんぐりむっくりした体型に口髭を生やしている低身長な男はいつでもテンションが時代を逸している。
「永愛って名前、絶対間違えてるよな。由紀夫の名前と交換してほしいよ」
「小生だって名前を取り替えて欲しいぐらいだ!親が12月24日に生まれたテンションでつけた名前だぞ!一人称だって、悩みに悩んで小生にしたんだぞ!それに伴ってキャラクターだって寄せたんだ!」
「だったら辞めろよ」
「辞められない!小生は外見に伴ったキャラクターでしか生きていけない!名前なぞ、ただの肉塊を区別するための名称でしかない。そんな名前に左右されるのではなく、肉塊の外郭に左右される方が自然の成り行きだ!」
「だったら痩せろよ」
「痩せられない!」
「それじゃ、また明日ね〜」という可愛い声が耳に入ってきた。
目の前のくだらない人間の声よりも、教室の対角から響く美しい声の方が耳に入るのは、恋をした人間の能力だ。花澤理恵に注視すると、彼女は教室の扉を出る瞬間だった。足は自然に花澤理恵に向かっていた。
微妙な距離感を図りながら、街路を歩いていると本当にストーキングをしている気になる。いや、まさにこれがストーカーなのか。いやいや帰宅の方向が偶然同じなのだから、自分は今帰宅中であると理路整然と説明がつく。と、足を止めて電話をしている理恵に気づかない自分に気がついた。いまだに半分が消失したスカイツリーをバックに、親指と小指を立てていた。
「あぁ…母さん?うん。帰る帰る…」
何気なく振り向いた理恵と目が合ったのは、見惚れているのか緊張しているのか、固まっている由紀夫だった。
同日
揺られる船の中で、1人海を見ている。やはり、アメリカは遠い。しかし遠出も慣れてきたものだ。日本は海を最も感じられる国だと思っていたが、太平洋の中心にいると本物の海を感じられる。世界と海と人は同じである。
同日
「Ω世代って言われてもさ〜。小さい時に、JAM PHONE出てきた時に皆んなこれやってたじゃん!それなのに、ダサい古いっておかしいよ。っていうか私たちギリギリΩ世代なんだから」
「そうなの?」
「そうだよ!Ω世代ラストイヤーだもん」
「M―1みたいな?」
「M−1?!」
「あぁ、昔の漫才の大会だけど」
「由紀夫くん、知ってるんだ!」
唐突に名前を呼ばれた!驚きが電気のように身体中に走った。電撃が走ると人は痺れて動けない。
「おねぇちゃんが好きでさ。昔の動画ずっと見せられてたんだよね。違法動画だけど」
「お姉さんいたんだ」
「うん…でも、東京爆撃で死んじゃったけど」
「あぁ…ごめん」
10年前の東京攻撃の遺族は周りに少なくない。葛飾区に住んでいなかった自分は、親族も友達も被害がなかった。奇跡だとも思ったが、10年も経つとあの時の震えるような恐怖感は薄れていく。まだ小学生だったからだろうか。唯一覚えているのは、椅子にひいた防災頭巾を被る日が来るなんて!という子供ながらの「防災意識の重要性」ぐらいだった。
「全然…これもさ…」
花澤理恵は歯に噛みながら電話のポーズをした。
「お姉ちゃんのこと忘れたくないからだし
「花澤理恵さんはΩ世代だから正しい訳だし、くらだらない世代論争に巻き込まれたとしても胸を張って電話のポーズをした方がいいと思う」
「なんでフルネーム?」
「あの、いや、なんて失礼のないように呼ぼうと思って…」
「理恵でいいよ?」
災害への風化という自責の念は一気に吹き飛んだ。青春のくだらないストーカー作戦は、酸っぱいなんて1滴も入っていない甘さと、下の名前で呼ぶ権利と電話ポーズを一生するという決意を獲得した。




