#2
10月15日
騒がしい教室の中、席にじっと座る由紀夫は一人称に悩んでいた。僕と自称すると、高貴で幼い人間性ですと宣誓しているようで、17歳の高校生には恥ずかしい。俺と呼ぶにはなんとも赤毛の天然パーマから受ける弱々しい印象とのギャップを感じる。由紀夫という古めかしい名前を昔から嫌悪していた。読書家の父の影響でどこかの古文作家の名前から引用されたようだ。軍国主義に傾倒したらしい古文作家とは、似ても似つかわしくない赤毛の天然パーマの幼い顔。身長は180センチもあるので、どうしても顔と体がアイコラ画像のようだと自認している。そんなことよりも、自分の一人称を悩んでいる原因。彼の視線の先には、花澤理恵が笑顔で座っている。
「いや指電話なんて私やらないよ〜」
「理恵よくやってるじゃん〜!ほら、これ見て!Ω世代のあるあるだって!おばさんじゃん〜」
理恵の向かい側に座る女子生徒は、「JAM PHONE」を使ってTOKTOK動画を流している。動画には、「Ω世代あるある」というタイトルと滑稽な表情をした女性が大袈裟に親指と小指を立てて耳に当てて電話するアクトをしている。
「私は、お母さんがやってるのを見てただけで移っちゃったのかな」
笑顔になった時のエクボがとても可愛い。可愛いという表現以外で彼女を表現する方法が浮かばない。こんな時に名前の引用元作家は、どんな表現をするのだろうか。
「おーい、始めるぞー。座れー」
担任の白石が、授業を始める。
「そんじゃ、近代史の5ページ。20年前の北海道隕石から始めるぞー」
白石が壁の銀色の棒を振れると、深緑の額縁が浮かぶ。そこには様々な映像資料と文字が浮かび上がる。黒板という古い学校文化を想起させるために開発されたビジョンの一番上に「対宇宙史」と文字が。
「2034年。北海道帳尻岳山域に、64mの隕石が落下した。これは1945年の広島原爆と比べて300〜600倍の爆発が起きたと言われている。奇跡的に人的被害はなし。これだけの爆発で人的被害ないという点で、宇宙からの警告として今では結論づけられている」
「ただのシンプルな隕石だったんじゃないですか〜」
「そういう陰謀論に踊らされるな〜。続けるぞ〜。その後、隕石からΩが発掘された…」
退屈な授業を真面目に受ける理恵。それをじっと見つめる由紀夫の表情には少年の柔らかさと恋の甘さが広がっていた。
同日
水口は眉を異様に縮めて、真剣な表情で席に座る。彼女の手には昔の新聞記事が。考えことをする時は、紙の資料を手にする流儀は上司の滝上に似たようだ。水口は、どんどんと歳をとる自分に嫌気が差しながら、記事の「北海道帳尻岳隕石落下」の文字を見つめる。
「これが初めての宇宙からの攻撃。そして最後の人的被害のない攻撃…」
その後5年間全く隕石は現れなかった。その後、世界は大きく動き出す。中国の台湾侵攻。中国は2038年に台湾沖に侵攻、日本の与那国島と西表島、石垣島にも基地拠点を置こうと彼らは日本海域にも海軍を派遣した。日本政府は自衛隊やアメリカ軍にも要請をして両軍の牽制。軍事的衝突は起こらなかった。というよりも、起こせなかった。2020年に起きたウクライナ戦争により、核が攻撃手段ではなく単なる抑止力であることが世界に露呈した為、中国は強気な姿勢で台湾侵攻を起こしたとされている。アメリカと武力衝突をすると、核戦争になりかねない。中国は、自衛隊とアメリカ軍の警告に対してすぐに反応して、ギリギリで武力衝突を避けて牽制し合う時間を延々と作った。アメリカは極東の戦争に核を使うことを嫌がり、日本も核の悪夢に再び魘されることを嫌がった。中国、アメリカ、日本の3国ともに思惑が一致した形だ。時間稼ぎをする中で、順当に台湾を手中に収めた中国は、東南アジアへの侵攻を企むのだった。そんな折、2039年2回目の宇宙攻撃が日本の東京で起きた。2回目は隕石ではなく、爆発物による攻撃であり人的被害を生み出した。
「くそ…」
水口は眉間の皺を緩めて、こめかみを摘んだ。眉の筋肉を使いすぎたわけではなく、記事に刻まれた過去の幻影に蝕まれた為だった。
「おい!水口!」
水口が振り返ると、デスクの大きなビジョンを孫の手で指す滝上がいた。
「取材行ってこい」
ビジョンに大きく映っていたのは、ニューヨークのビルが真っ二つに瓦解していく様だった。




