第三十話
目が覚めた。隣には悠希さんが寝息を立てていた。幸璃がいる隣の部屋からシャワーの音が聞こえ始めた。昨日のカップ麺の匂いがごみ箱から漏れて臭い。
窓の外はまだ暗い。枕元にあったペットボトルを持って、起き上がった。怜利にもらった呪具と、千円札一枚だけを持った。『無限鞄』から普段着の上下を出した。ドアを開けてホテルの外に出た。
なかなかの大通りだが、車もあまり通らない。気にせず走れる。
朝の空気が心地いい。生温い風が吹いていて、私の足を止めようとしてくる。私は止まりそうになってしまう。けれど私は走りたかった。
私はご飯を買いに二軒先のコンビニに向かっていった。不思議と息が切れていた。街路樹に背中を預けて、しゃがみこんだ。胸が苦しくなって、目の前が暗くなっていく。
「成羅ちゃん?」
悠希さんが目の前にいた。心配そうな匂いが街中に広がる味噌の香りに紛れていた。
「……大丈夫?」
肩を担がれた。
「だ、大丈夫」
咄嗟に答えた。自分の力で立とうとしたけれど、立てなくて力が抜けた。
「大丈夫か?」
幸璃が肩を担いでくれた。二人が両側から支えてくれて、コンビニまで一瞬で歩いてしまった。
気付いたら幸璃に背負われていた。硬い背中が揺れている。木々の匂いがした。張り薬の匂いが鼻を突いた。おでこに貼ってある。
「幸璃……?ここどこ」
声が細い。気持ち悪くて、音が遠く聞こえる。
「三途の川……、生きてたか。よかった」
背中の方から悠希さんの匂いがした。どんどん近付いてくる。
「起きた?びっくりしたよ。起きたらいないし、街で見つけたら妖力がなくなってたから」
妖力が無くなっていた?妖力切れか。怜利に訊いてみないと分からないな。
「普通は切れないって聞くんだけどね。昨日の大移動で使い切っちゃったのかな?」
そんなことはないはずだ。そんなわけがない。
あぁ、眠い。
「成羅、起きてる?」
彩の声がした。怜利の匂いがした。彩がおでこの布を取った。怜利の息遣いが聞こえた。
「起きて成羅。」
怜利の指がおでこに触れた。怜利の灰色の妖力が体に流れてきた。
「起きたね。よかった」
線香のにおいと、古い畳の香り、それからフグのにおいがした。
悠希さんの顔が布団の足元に見えた。やけに青白い顔をしている。怜利が枕元で誰かと話している。「いずも、」と聞こえた。あぁ。よかった、来れたみたいだ。
「れいり……?」
呼んでみた。怜利は私の視界に顔をのぞかせる。
「ぼうやぁ、本家に送りましょか?」
おばあさんの枯れた声が聞こえた。
「……うん、ばあちゃんお願いします」
怜利がそう言うと、おばあさんが私の右側に座った。
「こんにちは、わしは古塚 宮子言います。」
「古塚のばあちゃん。出雲屋敷の今の当主だよ。本家に飛んでもらう。いいかな?成羅。」
次に目を覚ますと、怜利の研究棟の慣れたベッドに寝ていた。おでこに氷袋が乗っていて、冷たい。冷たい、?
「……起きた?」
部屋の隅に姉ちゃんがいた。
「早い帰りだったね。てっきりもっと長いもんだと思ってたよ」
姉ちゃんは冗談めかして、笑っていた。私は怜利の匂いがする布団を押し返した。
「母さんは?」
「仕事。成羅が帰ってくるまでは会わないって」
「皆は?」
姉ちゃんは溜息を一つ吐いて
「置いてった。てか、成羅。あんたチカラ弱くなってるんだって?」
私はその言葉を認識できなかった。
「冗談よしてよ」
ベッドの枠を掴んでみた。金属のそれは少しずつ温かくなっていく。冷えない。
「うそだ」
私は立ち上がって、キッチンのほうに歩いた。怜利がココアを入れてくれたあのキッチンに。
蛇口を捻った。出てきた水に触れる。凍らない。
リンのチカラが、無くなってる。いや、そんなわけない。
「ふんっ」
怜利にもらった呪具に力を籠める。いつもなら大きな鎌に変わるのに、ただの危ないキーホルダーになってしまった。
怜利の研究室にある道具をひたすら漁った。なにか私の妖力に反応するものがあるはずだったから。
「成羅?」
私を呼ぶ声が入り口から聞こえた。パジャマ姿の明だった。姉ちゃんが明の姿を見たと同時に部屋から出て行った。
「あれ……、成羅……」
明が気付いたのだろう。感知が得意だった。
「明、わ、わたし、」
「いい。言わなくていいよ。」
私は明に抱きしめられながら涙を流した。
もともと無かった私の妖力は、突然に消えてしまった。




