第二十五話
「せいら。聞こえる?」
リンの優しい声が聞こえた。目を開いた。大人と言うには少し幼い綺麗な顔が映った。
「着いた。すぐ下だよ」
応えようとしたが、歯が鳴る。
目を動かした。まだ吹雪いていた。首を横に向けてみた。深い崖があって、その下には二日前に遊んでいたあのスキー場が見えた。
「立って、行けるよね?」
リンの目を見た。酷く苦しそうな匂いがした。手を伸ばして、リンの頬に触れた。
温かい。
「せいら、私……早く行かなきゃ……」
リンの匂いが薄れていった。私は感覚の無くなった体を無理やり起こして立ち上がろうとした。でも、彼女の腕が私の腕を掴んだ。
「じゃあね、せいら……」
私の腕をそっと離した。彼女が掴んでいた跡には、水滴と、彼女の匂いが染み付いていた。違った。私の身体から、彼女の匂いがした。
「リン……?待って……!」
彼女を追いかけようとして、走り出した。けれど、すぐ前に見えない何かがあって、進めなかった。目の前にある彼女の足跡に触れようとしても宙にある薄い壁を破り切れなかった。
「せいらー!」
お母さんの声がした。崖のほうを振り向いた。地面にいたのは母さんだった。降りようと崖の近くまで行ったけれど、高くてとても怖かった。
どうしようもなくなったと勘違いしていた。
母さんのいる崖の下を覗き込んだ私は、リンがいないと降りられないと思った。
「リン!お願い……!戻ってきて!」
崖の下は吹雪いていないのに、山を振り返ると真っ白な雪景色が広がっていた。
リンを呼んでも戻ってくるわけがなかった。真っ白な吹雪の中にはもう誰もいなかったんだ。
「そんなことがあったんだよ」
私は怜利の爪先を見つめていた。ココアは手の平で冷えて、温かみもなくなってしまった。怜利はそれに気付いてか、もう一杯別のコップに淹れてくれた。テントの一つが明かりを点けた。
「あれから私にリンの能力が付いてしまった」
怜利は温かいお茶を啜って何も言わなかった。
「不思議だよね、能力が移っちゃうなんて」
「いや、なにも不思議じゃない。本来、雪女は妖力の高い妖だ」
怜利は左腕を前に突き出した。長袖から細い手首が覗いた。
「私のここにも、私じゃない力が宿ってるんだ……」
怜利はお茶を一口だけ啜って、口を閉じていた。
「だから、なにも不思議じゃない」
そういう怜利の目は水平線を見つめていた。徐々に白んできていた。
「私も、お父さんがここに宿ってる」
いつの間にか横にいた彩がそう呟いた。手は胸に置かれている。
「うん」
私はそう呟いて、早起きの二人といつものように朝焼けを眺めた。




