第二十四話
幼い頃、あの雪山に家族でスキーをしに行ったんだ。まだ小さかった私は、麓で雪遊びをしていた。
そのスキー場は整備なんかはあまりされていなくて、結構な頻度で吹雪く山だった。
二日目の朝。お父さんと、お母さん、お姉ちゃんがスキー板を持って山に登っていった。おじいちゃんとおばあちゃん、私が雪遊びをして一日過ごそうという話になった。私はその前の日がすごく楽しくて、朝ご飯を食べる前から外で走り回っていたんだ。
「そっちは行かないって約束だよ!」
殆ど一人で走り回っていた私は、やがて雪だらけの雑木林に足を踏み入れようとしていた。古くから『雪女』がいると、噂されていた山だったから。
それでも、誰の足跡もない真っ白な森に、立った一歩だけ入ってみたんだ。
そうしたら、景色が変わった。見えていたはずの森とは違う、真っ白な風が吹く荒れた雪山。私は戻ろうと思って振り返ったけれど、そこは高い山の中腹に見えた。大きな湖と、その奥に広がる海岸線が見えていた。
雪遊びをしていた、晴れやかな雪山なんかじゃなかった。
寒くて、雪が重くて、深くて。私はすぐに動けなくなって雪に埋もれた。何度叫んだって、風が音を消し去っていった。声が雪に吸われて、消えた。
少しずつ身体の芯が冷たくなっていくのが分かった。指先が凍えて、動かなくなった。
怖かった。おばあちゃんの言葉を守らなかった。私は、自分のせいでこうなったんだと分かっていたから。どうしようもなく、怖かった。
次に目を開けた時に、私は誰かの胸の中に抱かれていた。それが彼女だった。
「起きたの……?」
私は頷くだけだったけれど、彼女の細い目は優しく閉じられた。綺麗な黒髪で真っすぐ長かった。肌が雪みたいに白くて、暗い岩に囲まれていても、煌びやかに光っているように見えた。
「こわい?」
また彼女が聞いてきた。怖くなかった。でも不思議だったんだ。彼女の着物に包まれているのに、彼女と触れる肌が冷たかったから。
私は彼女の着物の中で少しずつ温まれた。彼女の肌は、私のお母さんとは違って冷たかったけれど、私を抱いてくれる温もりが同じだったから。
彼女は「自分が雪女だ」と何度も私に言い聞かせた。私のいた雪山まで届ける、と約束してくれた。
「あなたの、お名前は……?」
「せいら、あらきせいら」
それを聞いた彼女は、名前を教えてくれた。
「私は、リンというの」
胸の中に強く抱いてくれた。
「眠りなさい。食べはしないから……」
彼女はそう言って、静かに目を閉じた。寒さで何度も目を覚ました。そんな一晩を明かした。
朝になると吹雪は弱くなっていて、彼女は私の手を優しく握って歩き出した。
途中の崖で私は躓いて、雪に埋もれた。彼女は飛んで、私を抱え上げていた。
「こわくない?」
また彼女は私に聞いた。肩を触れるリンの手が震えていた。吹雪いているのに彼女の髪の毛だけは風に靡いていなかったのを覚えている。
「うん、ありがとう」
そう言った私を強く抱いて、立ち上がった。リンは私を抱えて歩き出した。着物越しでも、彼女の肌の冷たさが伝わってきた。身体が震えるほど冷たかった。
「寒いよね、ごめんなさい」
私は彼女に抱かれながら、猛吹雪の山を進んでいた。
私はリンの着物を握って放さなかった。しがみついて、抱きしめていた。
「休む?」
彼女は聞いてきた。鼻の先に見えるはずのリンの顔さえも吹雪で見えなくなりそうだった。
リンは私の手を握って、顔をしかめた。
「もう少しだから……」
そう言って彼女は腕を振った。
掌から風が吹き出して、振った先に、氷の壁が立つ。四方に出来て、青色の氷が吹雪を遮った。
彼女は息を吐いた。吐息から氷の粒が出ていた。
「……私はね、あなたと下に降りることは出来ないの」
リンは膝をついて、ヘたれこんだ私を見つめた。
「なんで……?」
座り込んだ私は膝が氷でヒリヒリすることだけで頭がいっぱいだった。
「私はこの山から出られない。でもね、山々を越えた先にあなたの家族が待ってる……」
今思えば、あの山を囲っていたのは『結界』だった。それも人間が管理しやすいような杜撰な術だった。
「やだ……」
そう言った私の目を彼女は見つめていた。息を吹きかけてきた。温かかった。
「分かったわ、行けるところまで」
リンは立ち上がった。青氷の壁に手をついた。音もなく崩れ去り、吹雪がまた吹き込んで来た。それから、彼女は私の手を取って一歩、また一歩と歩みを進めた。
私はその一歩が、自分の家族とリン自身を脅かしていることに気付いてはいなかった。




