第十八話
また怜利に背負われて皆の待つ東北の屋敷の方に向かう。怜利は、私を背負って走っているのに、全く息切れをしないらしい。本当に同じ十二歳の子供なのか本気で疑いたくなる。
「暑くない?」
偶にそうやって聞いて来る。そのたびに、頷く。それだけで怜利はスピードを上げていく。ご飯を食べてから太陽の位置は少しも変わっていないように思えるのに、あっという間に山を越えて、随分開けてきた。
「もう少しで、海が見えるはず~。」
怜利がそう言った。確かに海の匂いがした。
「怜利、もうすぐ?」
無言で走る怜利に訊く。呼吸の乱れを全く感じない。流れる景色の奥に大きな海が見えていた。海を進む船が、ずっと真横にいる。
「そろそろじゃないかな?町が見えたら、そこの山に、」
怜利は、木々の上を走るのではなく、森を走り出した。土を踏む分、乗り心地は幾分楽になった。
ここには、湖がある。一昨日通ってきた湖よりもそこにある冷たい湖の方が十倍くらい大きいのだ。
「あれ?成羅のふるさとだっけ?」
少しだけ返事が遅れる。
「違うよ。」
嘘だ。幼い頃よく見ていた海がどこか霞んで見えた。
怜利は何も言わず、私を背負ったまま、斜面を駆け上った。
「お待ちしておりました。」
屋敷の大きな門には、怜利の屋敷みたいに門番が二人立っていた。両方とも額に角が生えている。
「鬼灯です。丙隊の六人が到着していると思うのですが、もう屋敷の中ですか?」
「はい、本堂に迎えております。そちらの方は?」
弓なりに反った赤い角の門番は、私に顔を向けた。正面から見ると、牙が飛び出ている。
「八神家所属の竜胆です。」
左にいた青い角の門番は、顔をしかめた。
「半妖か?」
怜利が一歩下がって、門番を睨む。
「何か問題でもありますか?」
赤い角の鬼が、門を開けた。
「問題無い。当主殿、中へどうぞ。」
「本日は、お越しいただきありがとうございます。鬼灯様。」
白髪の女が出てきた。鼻を通るその人の匂いは、悠希さんに近かった。
「お久しぶりです。」
怜利は、頭を下げたその女に見向きもしなかった。私はそんな怜利の後ろに付いて行った。
「他の六人は?」
「いらっしゃいますが、」
怜利は、振り向いて、着物姿のその女性に詰め寄る。
「生きてる?」
女は少しだけ微笑んで、怜利の顔を見つめた。それから一歩だけ下がって目を伏せる。
「ご無事でございますよ。当主様がご確認なさるまでは、牢にいますが?」
怜利は私を一瞬だけ見て、女に案内させるように言った。怜利と自分とで女を横挟みにして歩いた。
長い廊下は、怜利の屋敷とは違う黒塗りの床だった。
「ここでございます。」
地下牢に続く暗い階段の前で女性は止まった。奥の方からは、誰かの匂いがした。
「妖力を感じない。牛崎さん、本当にここですか?」
怜利は女性から一歩前へ踏み出して、階段の縁に足を掛けていた。
「もちろんでございます」
私と怜利は顔を見合わせた。その時背後から足音がした。しばらくの間聴いていた冷たい足音だった。
「怜利、来たんだ。」
山の中で一緒にいた時とは違う匂いだった。悠希さんの髪の色が銀色に光っていた。
「悠希さん。皆は?」
怜利の拳が握られた。私の前に少しだけ被さった。怜利は背中に隠すように右手で短剣を握っていた。
「付いて来て。」
怜利は中太刀を腰に差して、悠希さんに付いて行った。
私は、待っていろと言わんばかりの怜利が向けてくる掌を見詰めていた。
「竜胆様であられますか?どうぞこちらへ。」
丸腰の女性に付いて行って、庭に面した四畳の角の部屋で待った。部屋の中央の御盆には、魚の汁物が二杯よそってあって、その隣には顔よりも大きな羊羹が置いてあった。
「飲まれますか?フグの汁物でございます。」
「いただきます」
毒は、入っていない。一通り食べてみたことがある。それも授業だった。
口に含んだ白い身がほどけた。やわらかくて、不思議な美味しさがあった。
女性が縁側の方を見て、口を開いた。
「先代当主、私の夫。いえ、竜也のお兄さんがあなた方にお願いをしたのでしょう?」
怜利には何も言うなと言われているのだ。口は開かないことにした。女性は息を吐いて、少しだけ笑った。
「ごめんなさいね、竜胆様。あの子、悠希は私の娘です。屋敷主は私ですので、仕事として冷たく接しました。どうかお許しを。」
急に柔らかい匂いに変わった。嘘は付いていないようだった。
「悠希は、幼い頃から鬼灯様を憎んでいましてね。あの子の父親は当主のせいで死んだのだって、ずっと言ってるのよ。」
怜利が両親を亡くしたテロの対応に当たった三級術師だったはずだ。
「サキエさんですね、知っています。かっこよかったです。」
女性は私の言葉を聞いて微笑んだ。日が当たる横顔がやけに切なそうだった。私は、御盆にある羊羹を口に入れた。甘かった。
突然屋敷が地震とは違う何かで揺れた。地面から突き上げるような衝撃だった。妖気が地面から漏れ出している。地下で戦闘でもしているのだろうか。幸い皆の血の匂いはしない。
「始まったわ。」
女性の目を見詰めて訊いた。
「悠希さんは何をしているの?」
女性は目を瞑って首を横に振った。
「仇討ちよ、勝てっこないのにね。」
怜利が負けるはずがない、そう思いたかった。それに、閉じ込められている皆を置いて行けるほど、怜利は強くないのだ。
女性は目を瞑って、顔を歪めていた。
「あなたは、見たところ人間みたいですけれど、能力はなんなのですか?」
女性が目を瞑ったまま訊いてきた。何かが見えているのだろう。
「私は、半妖です。雪女と呼ばれる妖と、人間の。」
女性は目を開けて、私をみつめた。
「そう、」
それから女性はまた目を瞑って、揺れている屋敷の縁側に座り続けた。
「あの、なんで止めなかったのですか?悠希さんを。」
女性は目を閉じながら言った。
「見えるからよ。私の目は千里眼。どこに誰がいても見られるの。あなたたちを見ていたけれど。誰も悠希を殺そうとしなかった。鬼灯様だって、」
女性は目を開けた。空をみつめている。
「ヒトを殺さないじゃない」
階段の方から怜利の血の匂いがした。冷たい悠希さんの匂いは、土砂降りで溜まった水たまりの湿った匂いに変わっていた。




