十年の巡礼
辞職して十年、大陸の宿網を泊まり尽くすことは、まだできていない。
部屋が多すぎるからではない。
フィアが組む巡礼路が、いつも臨時の観測点を足すからだ。
「前の山の風向は十年に一度しか反転しない」彼女は竜運の吊籠の縁に立つ。「今日を逃すと、次の十年を待つ」
「予約は山下だ」
「宿は逃げない」
「前回もそう言った。あの宿はあとで河妖が対岸へ運んだ」
彼女は少し考える。
「今度、山は逃げない」
十年巡礼は、もともと共同体の公式行事だった。
毎年、議員が分火、道路、救援施設を回り、加入権が強制に変わっていないか、離脱手続が本当に使えるかを見る。
辞職した僕は公式の列には入らない。
だからフィアと自分で歩く。鞄一つ、普通の宿泊券一束、湿気を道中ずっと文句を言うアラン一本。
ベリーは今、竜運の総隊長だ。最初の二駅だけ順路で乗せてくれた。吊籠を石梯堡の新駅へ下ろし、先に貨物一覧を確認してから祭りのケーキを食べる。
刀が落ちる前、彼女は本当に動かなかった。
「成長が明らかだ」と僕は言った。
「旅客評価に書いて」
石梯堡の黒日外殻の屋根は大きい。
雨が当たっても炉火は抜かれず、低い太鼓のような音だけが出る。古い許可柱は軌道へ溶け、帝国東部、北境、銅湾を繋ぐ。地方の軌距はまだ違い、列車は入駅後、ガルドが設計した変換車架で上げられ、輪距を替える。
四十分かかる。
統一軌距より遅い。
だが自分の旧線を壊す必要はない。
駅の便所は、十年前のあの扉軸をまだ使っている。
アランは見学を拒んだ。
北境病院は七回増築されている。
セインは門前で軍学校の学生に囲まれ、署名を求められていた。民選防衛官を三期連任し、今年は出ないと決めた。どの民選職も長く座ると、椅子を自分の一部だと思い始める、というのが理由だ。
「このあと何をする」と聞く。
「例外条項を直す」
「まだ出勤か」
「公職ではない。頁単位の料金だ」
ルミラの灰耳は半分白くなっていた。
彼女は共同種子庫を見せてくれた。第一巻で広げた四十二畝の田が、国境を越える種子交換の中心になっている。各地は自分の糧食を作り、耐病、耐寒、凶年の備蓄だけを共有する。
「今年の在庫は何日分だ」と聞く。
「どの都市」
「全部だ」
「『全部』という帳はない。晴風は九十二日、銅湾は六十八日、王都は百三日」
厚い帳簿を差し出される。
一歩下がる。
「いらない。もう辞職した」
「成長も明らかだ」
ガルドの工業標準事務所は通りの半分を占めている。
門口にねじ変換部品が二百種以上並び、長い髭の僕の像がある。
「なぜ髭がある」
「芸術加工だ」
「外せ」
「公共資産だ」
隣でゴブリン劇団が『王位を拒んだ宿屋の店主』を上演している。台上の僕は身の丈八尺、一剣で黒日を裂き、三十分の演説までする。
「史実が違う」とアランが評した。
「どこだ」
「剣はもっと輝くべきだ」
銅湾はあとで道路共同体へ再申請した。連合防衛の体系へは戻っていない。シズは、病院、宿、河路は開ける。守備を共同指揮へ渡す気はない、と言った。
申請は、そのまま通った。
離脱したから二級都市にはならず、再加入にも当時の誤りを先に認めろとは求めない。
半山杯旅館はベッド六十になった。
最初の「ベッドは十二」の木札は、まだ広間に掛かっている。店主は削り損ねた杯の絵を半月に直し、商売はかえって良くなった。
巡礼の最後は王都大衆食堂だ。
二枚目の古代炉種はここで点いた。今は古炉も解体され、分火は各卓の小灯に入っている。灯のない卓を選んでも、飯代は変わらない。
食堂の後ろ壁に、あまり開かない扉が残っている。
札に地名はない。
こうだけ書いてある。
|私的な帰途。公共商路にあらず。|
十二炉が安定して繋がったあと、僕とフィアはこの扉から一度、地球へ戻った。
卷五が始まる前の三日だ。地球は四年進み、ロランシアと同じだけ経っていた。路が開いているあいだ、向こうの三日はこちらではおよそ三時間にしかならない。駅で十二秒、古い放送が鳴り、次いで四年後の改札、四年後の知らせ、四年後の麺屋と両親がいた。
その路を商路には登記しなかった。
「また戻る?」フィアが、あとで一度聞いた。
「路があるときは見舞う」
「今は」
「宿のシーツを替える時期だ」
地球は振り返れる故郷だ。
旧風笛は、これからも暮らす場所だ。
十年後のこの巡礼が終わるとき、僕たちは普通の魔導車で晴風へ戻った。
窓の外に学校の分火、工房の夜勤灯、竜運の航標、沿線の小さな宿の窓がある。どれも僕のものではない。僕の命令で点く必要もない。
アランは荷物棚に掛かり、眠っている。
フィアは車窓に寄り、来季の風路を直している。
僕は旧風笛の遠隔帳簿を開く。
漏り三箇所、客室の稼働九割、ジェリーが硬貨を七枚呑んだ。
天候の警報がもう一条ある。
今夜、晴風に豪雨。




